教材研究覚書『海の命』(小6国語・光村)
立松和平『海の命』(光村図書「国語 六 創造」所収)
それは、全てのベクトルを「生」へと反転させる物語。
小学6年生以来なので、おおよそ四半世紀ぶりに立松和平『海の命』を“教科書で”読んだことになります。小学校の最高学年、その最後に用意されている教材なだけあって、やはり分厚いです。読み応えや扱われている(と考えられる)主題/テーマ、文体。直接的に“命”を扱う作品ということもあって、印象深い物語だなと思います。
村一番の素潜り漁師だった父に憧れ、将来は自分も父と海に出ることを夢見ていた“太一”。しかし父はある日、巨大なクエ(瀬の主)に銛を突き立てたまま海中で絶命していました。
一本釣りを得意とする“与吉じいさ”に無理やり弟子入りした太一は、やがて皆が認める村一番の漁師に成長します。太一の母は、いつか父と同じ道を辿ってしまうのではないかとその身を案じます。
与吉じいさも亡くなってしばらく経ったある日、いつものように海に潜る太一の前に、巨大なクエが現れます。かつて父を破った“瀬の主”です。このクエを銛で突き、捕らえれば自分は本当の一人前の漁師だ……。しかし太一は静かに微笑んで銛を下ろし、海面へ戻っていくのでした。
定番教材の一つであり、主人公の精神的な成長を描く、これまたオーソドックスというかクラシックな物語教材文です。その側面だけ見れば『ぼくのブック・ウーマン』とおんなじやんけ、なのですが、中心的/中核的な話題が“生と死”や“命”であることで特大の重厚感が醸し出されているわけです。
物語は、特に中盤あたりから濃厚な“死”の気配に包まれます。
父の死、与吉じいさの死。そして太一の母は言います。
太一の死に場所は海であり、彼もまた海に帰っていくことを予感させるかのような展開です。
そうして訪れた、いわば“敵討ち”の場面。
悲壮な覚悟で瀬の主と対峙する太一ですが、彼はそこに父の姿を見ます。
濃厚な死の予兆。命のやりとりの気配。その全てを深海に沈めるように、あるいは水泡に帰すように。静かにフェードアウトするラストシーンは、穏やかな漁村をロングショットで写し取るエピローグにつながっていきます。
この「死から生への反転」がどのように起こったのか。
太一の父と与吉じいさ、それぞれに象徴的な言葉があります。
父はどんな大物を獲ったとしても「海の恵みだからなあ。」と言い、不漁が十日続いても泰然としています。与吉じいさは、タイなりイサキなりブリを20匹ほど釣ればその日はさっさと漁を切り上げてしまい「千匹に一匹でいい。」と言うのでした。
海で生きる、あるいは海で生き続ける、住み続けることに対する、静かで確実な肯定、あるいは決意がにじむ二人の様子が物語前半で語られます。この“肯定、あるいは決意”が、生へのベクトルを形作ります。
対して、太一と母はどうでしょうか。
母は、太一の背中に死んだ夫の影を見ています。夫を亡くした悲しみといずれ来るかもしれない息子の死。太一もまたそれを背負う覚悟を抱えています。彼は、海に生きることと海で死ぬことを同義として捉えているのです。海に生きた人間は、死ぬことで海に帰る。父も与吉じいさも、そうであったように。
母が見ていたのは、夫の死の影ではなく、太一が海に生きることと海で死ぬことを同一視していたその認識(あるいは誤解)だったのではないでしょうか。
太一と母を引き込もうとする、死のベクトルがここに見えてきます。海の底、水の中に死を見つめる太一と母の眼差し。あるいは海底の砂から、波間から這い伸びる“死そのもの”の眼差し。
太一は、父の直接の死因となった瀬の主と対峙することでしかこの死の眼差しを振り切ることができなかった。与吉じいさの死に直面して、「自然な気持ちで、顔の前に両手を合わせることができた」としてもなお、その眼差しから逃れることはできていなかったのです。
敵討ち。食うか食われるか。やるかやられるか。生きるか死ぬか。
生命の危機、あるいは自身の存亡をかけた戦いの中でなければ、いや、その戦いの中だからこそ、太一は死の眼差しを振り払い、ここ(父の死んだ瀬)にこそ命が、生があるのだと実感する。
全てが生へと反転したのはどこだったのか。それは、“一人前の漁師”ではなく、あくまで“村一番の漁師であり続け”ることを太一が決意した、この敵討ちの場面にこそ表れています。
確かに、父さえも仕留められなかった大魚を獲れば、それは漁師としての最高の栄誉になるでしょう。しかしそれは、海の命、「父もその父も、その先ずっと顔も知らない父親たちが住んでいた海」の営みの一切合切を刈り取ってしまう行為だと、大魚と対峙した太一は理解したのです。
何よりも、この村と海を持続させること。“村一番の漁師”に課せられた使命はその一点だったのです。
「海のめぐみ」、「千匹に一匹」の真意。
エピローグで描かれる、遠景としての漁村。
“村一番の漁師”である、あり続ける太一。
穏やかで満ち足りた様子の彼の妻。
4人の子どもたち。
生への賛美。
以上を授業で扱うかどうかはまた別の話ですが。
雪が降り積もる北海道で、南国の海風が吹く物語を読みます。