ミネタくんとの友情
【日々はあっちゅーま】
#7,ミネタくん
夜勤のマンガ喫茶のアルバイトは、兎にも角にも退屈である。
終電を逃したサラリーマン、酔っぱらった若い兄ちゃん姉ちゃん、漫画喫茶を常宿とする、日雇い作業員のおっちゃん達のいびきが、夏のお池のカエルの大合唱のようにブースから響き渡るのを聞きつつ、
本棚を整理するふりをしながら、発売したばかりの、キングダムの新刊を立ち読みする。
その頃の私は、音楽活動でこしらえた借金を返済するため、朝にも夜にも働きづめだった。
連続80時間勤務などはざらで、いつも寝不足でフラフラ。
漫画喫茶の夜間作業の、トイレの重点清掃に入る時には、便器を磨いたり、床を擦ったり、大体2時間くらいかけて行うべき清掃作業を、開始早々10分で片付け。
(片付けたとは言わない)
残りの1時間強を、個室の便座に腰掛けて仮眠タイムとするのが、当時の無上の幸せだった。
夜間シフトは2名のペアで組まれており、大抵一緒のペアになったのが、自分より2つほど年下のミネタくん。
ボサボサに肩まで伸び散らかった髪と、底の厚いガリ勉風のメガネ、ぶっとい眉毛と、飛び出た鼻毛、丸まった猫背がオドオドした印象を与える。
さながらゲゲゲの鬼太郎のねずみ男と、キテレツ大百科のベンゾウさんを足して2で割ったような感じの男の子。
あまり人付き合いが得意ではない性格のようで、仕事中に雑談を振っても、そっけない返事を一言返すと、そそくさと逃げ去り、
朝勤の人が来るまでの8時間、お互いのパーソナルスペースを確保したまま、黙ってブラブラ過ごしていた。
今となっては恥ずかしい事だが、当時の私は、音楽業界でさんざんっぱら舐めた辛酸のせいで、ずいぶんと心がすさんでいた事と。
一日も早く、借金を返して巻き返しを図りたかった焦りが重なり。
自分だけでなく、他人に対しても、厳しい態度で接する事が多かった。
特に、目標や、上昇志向の無い人間をなんとかしてやらねば!
みたいな無駄な使命感が燃え上がり。
(本当迷惑なやつです)
ミネタくんに対しても、いつまでもこんな所でアルバイト続けてて良いのか!
(自分は棚に上げて)
みたいなオーラを出していて、
きっとそれが原因で、彼も近寄り難かったんだと今更ながらに思う。
そんな水と油のように相容れない二人が近づくきっかけになったのは、自分の失恋がきっかけだった。
日中は主に家具屋でバイトをしていた私は、そこで働くMちゃんに熱烈に恋をしていて、向こうもまんざらではない感じだった。
重たい家具を運んで、作業に一区切りつけて休憩に入ると、彼女も合わせて休憩を取りに来てくれて、楽しく語り合ったり。
連絡先を交換したり。
ところが、いざ食事の約束を取り付けて愛の告白をするという、まさに当日に、別の男性社員にかっさらわれてしまい。
待てども暮らせども彼女の来ない公園で、一人夜が更けるまで待ちぼうけた。
一夜明けて、セミの抜け殻みたいになった私が、ミネタくんと漫画喫茶で働いていると、彼女から正式に、謝罪と、お断りのメッセージが入り、その場で泣いた。
ずいぶん驚いただろうが、ミネタくんは彼なりに私のことを励ましてくれて。
私はミネタくんに好感を抱き、ミネタくんも私に親しみやすさを感じるようになった。
そして、いざ仲良くなってみれば、ミネタくんも私も、話したい事は沢山あって。
2人の好きな漫画の話や、
(だって職場には山のように漫画がある!ダイの大冒険に、ハンターハンターに、魔法陣グルグル)
好きだったゲームの話と、朝まで小中学生みたいな話題で盛り上がった。
繰り返しになるが、その頃の自分は、人生で失敗を重ねて、もうこれ以上負けてなるものかと張り詰めていて。
自分を高める為の知識や、成功する為のノウハウみたいなものばかり追い求めている、鼻持ちならない奴だったので。
そういった意味でも、ミネタくんと仲良くなって、頑なだった自分の心がまた柔らかくなった事は本当に良かったと、感謝している。
ミネタくんはミネタくんで、少しずつ自分に心を開き始め、あまり人には話せないようなプライベートな悩みを打ち明けてくれるようになってきた。
音ゲー(ゲームセンターでリズムに合わせて踊ったりするゲーム)にハマりすぎて、借金してしまった話。
このままでは駄目だと分かっていつつも、自信が無くて就職に踏み切れない心の葛藤。
書きかけのままの小説。
人間関係へのトラウマ。
この仕事クビになったら、もう生きてけないな〜。
と遠い目で語るミネタくんに、掛けてやる言葉などなく。
ただ黙って聞いてやるぐらいしか出来なかったのを覚えている。
その後も、ミネタくんとは、たまに美味いラーメン探しに出かけたり。
ミネタくんのライフワークであるカラオケにお供しては、おすすめのボカロ曲を頑張って覚えたり。
(初音ミクの初期の名曲集を教えてもらった)
順調に友情関係を築き上げていたが。
私の借金の返済が終わり、それに伴って漫画喫茶の仕事を減らした事で、お互いシフトも被らなくなり、自然と顔も合わせなくなった。
私は私で、次第に絵本の制作が忙しくなってきて。
ミネタくんの事もすっかり考えなくなって過ごしていた初夏のある日。
ミネタくんが仕事を辞めたという話を、他のスタッフから聞いた。
朝勤のおばちゃん連中や、店長とも反りが合わず、半ば追い立てられるようにして、職場を去って行ったらしい。
最後の方は、おばちゃんたちに毎日いびられていた。
という話も聞き、やり切れない暗澹たる気持ちになった。
猫背に丸めた背中で、とぼとぼと職場を去っていったであろうミネタくん。
ミネタくん、新しい仕事で、うまくやれれば良いけど、というか、新しい仕事見つかれば良いけど…。
私も私で、書いた絵本が少しずつ電子書籍で売れだしたのを機に、
半年後、ミネタくんの後を追うように漫画喫茶を辞めた。
入った当初は、なんて退廃的で人生低空飛行な職場だ!と、一人憤慨していた私だが。
気がつけばミネタくんをはじめ、沢山の友達が出来、お客さんたちとも親しく話すようになり、最終的には色々な出会いが溢れる、思い出の場所となった。
毎晩、寝床を求めてやってくる、日雇いのおっちゃんたち。
水商売のねーちゃんたち。
人間関係に悩みを抱えた、どこか不器用なスタッフ。
売れないお笑い芸人の卵。
デザイナー志望。
今思えば、それぞれが、それぞれの事情を抱えて一夜を過ごす、野戦病院みたいなところだったなぁ、と思う。
きっとその当時は、気付かなかっただけで、自分も何か抱えていたのかも知れないな。
とふと思った。
それからさらに時間が流れ、こうやってエッセイを書き始める事になった折。
不意にミネタくんの事を思い出して、会いたくなった。
久しぶりに連絡を入れ、行徳のおすすめのラーメン屋に行こうと待ち合わせ。
1年ぶりくらいに会うミネタくんを見て、驚いた。
久しぶりにあったミネタくんは、以前のねずみ男のような風貌はなくなり、愛着していたアニメのパーカーではなく背広を着て。
髪の毛も短く整え、小ざっぱりした出で立ちになっていたのだ。
目をパチクリさせながら驚く私をよそに、漫画喫茶の仕事を辞めた後、大手運送会社の下請けで、契約社員の事務職として働く事になった経緯を、ラーメンすすりながら、淡々と話してくれたミネタくん。
あの頃、満喫の仕事が無くなったら、電車に飛び込んでやる。
と自嘲気味に語っていたミネタくんの姿はそこには無かった。
きっとミネタくんにとっても、あの時、あの職場で過ごしていた期間は、やり切れない悩みや、どうしようも無い葛藤を消化する為の、人生の必要な休息の期間だったのかも知れない。
まぁ、あまり昔の事を蒸し返すのは、野暮な話である。
それから2人して、相も変わらず、週刊少年ジャンプの、ホットなラインナップについて熱く語り合った後、
ミネタくんが愛してやまない、ボカロの曲をセレクトしに、カラオケへと向かった。
おしまい