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大羊春秋~羊務執筆者党史~ 第22回

この「大羊春秋」(だいようしゅんじゅう)とは、私 前多昭彦が主宰していた同人誌サークル「羊務執筆者党」(ようむしっぴつしゃとう・略称SSP)の活動を振り返る「回顧録」です。

GELBE SONNE 6〈前編〉

「SSP」の活動において私には主宰者として危機感がありました。それはメインライターである握手0.5秒をいつまでこのサークルに繋ぎ留めていられるかということです。
当時、同人誌界には商業誌のように寄稿した執筆者に金銭で“原稿料”を支払うサークルが現れており、この方法を用いれば前述の問題は解決したかもしれません。
しかし、私には「意気に感じて集った趣味の同人誌活動で何故金を払うのか」という思いが強く、原稿料については非常に抵抗感がありました。

そんな平成4(1992)年のある日、ここはこれまでに無い大きな計画を打ち「SSP」への寄稿に甲斐を感じてもらい、また歓心を買うしかないという結論に至ります。
そこで出たのは今度の『GELBE SONNE 6』は表紙をフルカラーにし、印刷部数は4桁、彼の希望を取り入れた作りにするというものでした。
余談ですが、この頃の私は入浴中にアイディアが出ることが多く、この案も入浴中に思いついたものです。

詳細は次の通り。

『GELBE SONNE 6』の表紙と裏表紙。

『GELBE SONNE 6 姫ちゃんのおませなひみつ』(ゲルベゾンネ ゼックス)
◎入稿日:平成5(1993)年6月7日(月)  ※領収証の日付による。
◎発行日:平成5(1993)年6月20日(日)
◎B5判・52頁・本文用紙90kg・無線綴じ・1000部印刷(見本誌28部)
◎頒価600円
◎表紙:コート紙・フルカラー
◎ジャンル:男性向
◎内容(ほぼ掲載順)
・表紙&表紙4イラスト/大島洸一
・中表紙イラスト/あかつきにゃおみ
・目次イラスト/あかつきにゃおみ
・漫画「土曜の午後はデート日和り」(12頁)握手0.5秒
・イラスト/握手0.5秒(3点)
・漫画「水沢先生に捧ぐ」(10頁)大島洸一
・漫画「Un malheur de Yuka-Hijiri」(5頁)七條乱雄斎
・漫画「ポコ太の決心」(4頁)神家処奈他
・イラスト/七條乱雄斎(3点)
・イラスト/あかつきにゃおみ(1点)
・4コマ漫画「姫ちゃんはりぼん」(5頁)
・「Vorstellung der Schreiber und Redakteure」(2頁)※編集後記に該当。

今号はこれまでのように執筆者各々が好きな題材で描くのを改め、題材となる作品を一つに絞る「Only本」としました。これは私の発案です。
理由は従来のいわゆる「よろず本」は、本1冊としてのインパクトに欠けるという判断からでした。

当時、TVアニメ「美少女戦士セーラームーン」のヒットにより、同人誌界では「セーラームーン」を題材とした本が数多発行される、言わば“セーラームーン旋風”が起きていました。
そのため、当然ながら本作を題材とする選択肢がありましたが、私はこれを選びませんでした。
というのも、この作品を題材とするのは陳腐に思えたのと、「セラムン本」が溢れる中、同様の本を発行すると目立たず埋没してしまうのではという懸念もあったからです。
蛇足ながらもう一つの理由は、その頃放映されていた「美少女戦士セーラームーンR」にさほど惹かれていなかったこともあります。

ちょうどこの頃、水沢めぐみの同名漫画が原作のTVアニメ「姫ちゃんのリボン」(1992.10.2~1993.12.3・全61話)が放映中でした。
私はこのアニメを視始めた際、「これはヒットして『セーラームーン』と双璧を成すのではないか」と考えました。

そのような折、平成4(1992)年12月某日、新刊のことで握手0.5秒へ電話をかけた際、話の流れで「最近気に入っている作品は何?」という旨を尋ねたところ、彼は「姫ちゃんのリボン」を挙げたのです。
これはまさに我が事得たりでした。
ただちに『GELBE SONNE 6』は「姫ちゃんのリボンOnly本」に決定です。
ただし、「姫ちゃん」が「セーラームーン」と双璧を成すというのは私の読み違えでした。結果として、ブームのさ中敢えて「セラムン本」を出さないという“奇策”になってしまいました。まあ、「SSP」らしいと言えるでしょう。

さらに私は本誌に“サブタイトル”を付けることを思い立ちます。
これは「姫ちゃんのリボンOnly本」としてのアピール度を高めるのが目的でした。
サブタイトル案はI上と私の討議の末に以下の4候補に絞られ、その中からメインライターである握手0.5秒が選定し、(1)に決まりました。
 (1)姫ちゃんのおませなひみつ
 (2)姫ちゃんのおませな絵本
 (3)姫ちゃんのDOKI DOKI絵本
 (4)姫ちゃんのときめき絵本

党内には、正攻法と言える「セラムン本」ではなく、言ってしまえばマイナー感がある題材のところへ、「SSP」初の印刷部数4桁という点も加わり、頒布数の低迷を危惧する声があったのも事実です。
この点についてどのようなやり取りがあったのかもはや分かりませんが、私の案が通り(押し通した?)、印刷部数は1000部となりました。

印刷所は東京都千代田区にある「日光企画」を利用しましたが、男性向同人誌ということで迷惑がかからないように、実名公表を避けて「中京顕徳府印刷」と記載しています。

今号に限り奥付の連作先が私の家からM本宅へ変更になりました(党内では相州府と呼ばれていました)。これは私が秋に引越しを控えており、入稿時点ではまだ転居先住所が確定していなかったためです。

平成3(1991)年2月に発生した男性向同人誌摘発事件の影響から印刷所より、男性向ジャンルの同人誌は表紙に内容が成年向である旨を明記するように指導されました。それを受け今号から表紙に「成人向」と表記されています。なお、この表示は印刷所の御厚意で入れていただいています。

フルカラー表紙採用に際し、表紙のカラーイラストを誰に依頼するかが問題でした。表紙と本文(漫画など)の執筆の両立は難しく、同一執筆者の担当は不可能と考えていたことから、本文担当の握手0.5秒への依頼は当初から除外されました。
そこでカラー表紙の執筆は大島洸一に依頼しました。
この人物はA見の旧友で、長い間この両名で同人誌活動を行っていましたが、A見の仲介と私の懇願により参加となりました。
当初は表紙のみの依頼でしたが、非常に嬉しい誤算で本文の漫画も寄稿していただけたことは大変嬉しかったのを憶えています。
なお、裏表紙右下に記されている独文は「SSP」のスローガンです。

“only本”となるのにあたり、巻末にその作品を題材とした4コマ漫画が掲載されました。
あかつきにゃおみによるこの4コマ漫画は党内そして読者からも大変好評で、この本文構成は『GELBE SONNE 8』まで続けられます。
この頃、既に彼女は兄のM本と共に新たに「えん」というサークルを結成し、主に「セーラームーン」を題材とした一般誌(いわゆる健全本)を発行し盛況を得ていました。なお、このサークルは現在でも活動中です。

本文の紙はこれまでの70kgから90kgに変更しています。厚い紙にしたことで“裏写り”が無くなり本文の見た目が良くなりました。

監督市川崑改め塩臣陣馬の厚意そして尽力により、漫画のネームをはじめ全てに写植を使用した初の本です。
当時…… というより、その後も変わりませんでしたが、私から塩臣への写植の発注は、彼が提示した見本の中から希望の書体と大きさを伝えるという方法でした。
今号では初めて漫画のネームも写植を使用した訳ですが、この場合は原稿の原寸大のコピーを渡し、それを参照して彼が独自に吹き出しの大きさに合う文字を選ぶというものでした。書体について私は「商業誌と同じで」としか伝えていないという有り様です。
これまでの“見出し”のみと違い、漫画のネームの作業は大変だったと思います。

『GELBE SONNE 3』より続いていた読者アンケート用紙の挟み込みは今号で廃止しました。

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平成4(1992)年の同人誌活動は通信頒布の事務処理を行ったくらいという低調なものだった私が、その年の晩秋に『GELBE SONNE 6』の企画を立てた理由は、偏にこれから「SSP」を主宰して行くうえでの危機感でした。
それについては前述の通りですが、これは握手0.5秒へ対してだけではなく、「SSP」に関わる私以外の全ての人に対する“恐れ”と言えます。
去られてしまったら、また一からやり直せば良いのですが、当時はこのような割り切った考えに想到しませんでした。1度得たものはなかなか手放せないという訳です。

後日、『GELBE SONNE 6』の企画立案は、「SSP」初のフルカラー表紙や増印刷部数を実行した『四面楚歌 -第参号-』という前例があったからこそでは、という意見が党内にありました。しかし、そのようなことは全くありません。「第21回『四面楚歌 -第参号-』」で述べました通り、この本に私は思い入れが無いため、ハッキリ言って思考の中にありませんでした。

私のアバウトな発注方法にかかわらず、塩臣陣馬は丁寧な大変良い仕事をしてくれました。彼による写植も本誌の質を押し上げたのは確実です。そのため、漫画などの原稿を描いた人と同様、彼の功績も大きいと言えるでしょう。

漫画「Un malheur de Yuka-Hijiri」のスクリーントーン貼りは私がやりました。貼るといってもアシスタントとしてI上の指示を受けて貼る訳ではなく、ペン入れまでが終わった原稿を渡され私の独断で貼るのです。
本来、スクリーントーン貼りまでが漫画執筆の大切な作業ですが、これが彼は嫌いでなりませんでした。
トーン貼りが嫌ならペンで描き込むといった他の表現方法をとれば良いのですが、彼はそのようなことはせず、依然としてトーンに頼った描き方を続けていました。
他の執筆者はトーン貼りまで自力でやっているのですから、正直言って、これはI上のワガママです。
年上でもあるし、また、彼の原稿が必要なのでわがままを受け入れてこういったことをしましたが、本来ならばこれは引き受けるべきではないでしょう。
この作業では不愉快なことがありました。1頁目に描かれた聖結花の“くちびる”をトーンで表現したところ、I上に自分の趣味ではないと剥がされたのです(後日また貼りましたが……)。彼のこの振舞に私は、「ならば自分でちゃんと最後までやれ」と思ったものです。

I上と私との間にこのようなささやかなトラブルがあった以外、本誌の製作は大過無く進み、無事に納品日となりました。

「土曜の午後はデート日和り」より。
「水沢先生に捧ぐ」より。

《第22回「GELBE SONNE 6〈前編〉」おわり》

※文中敬称略

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