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大羊春秋~羊務執筆者党史~(17)

この「大羊春秋」(だいようしゅんじゅう)とは、私 前多昭彦が主宰していた同人誌サークル「羊務執筆者党」(ようむしっぴつしゃとう・略称SSP)の活動を振り返る「回顧録」です。

四面楚歌 -第弐号-〈後編〉

「先んずれば人を制す」と言いますが、男性向同人誌摘発事件後に臆すること無く、まさに先んじて発行した『四面楚歌 -第弐号-』。今だからこそ述べますが、当時私は「SSP」が名を上げる好機だと、してやったりの感がありました。

ところが……

6月に発送された「コミックマーケット40」の当落通知に同封の「コミケットアピール」に、修正の具体的な指針が掲載されたのです。それは白または黒のベタで完全に性器を隠す(消す)ことという旨でした。

同人誌界の盟主といえる「コミックマーケット」がこの指針を打出した影響は非常に大きく、他の同人誌即売会がこれに倣いました。
これにより商業誌に準じた修正をしその結果、印刷所のチェックを通り、「コミックレヴォリューション準備会」に頒布OKを出されたのにもかかわらず『四面楚歌 -第弐号-』は、同人誌即売会で一切頒布できなくなりました。

さらには商業誌までもがこの指針に同調し、頼みの綱となった通信頒布の広告掲載に大きな影響が及びます。
辰巳出版の成人向漫画雑誌『ペンギンクラブ』に、通頒広告の掲載依頼で見本誌を送ると、本の紹介はするが、修正が甘いので通頒広告として連絡先は載せられないと通達されました。
それでもせっかくなので掲載してはもらいましたが、ハッキリ言って意味の無いものでした。

ならばと、いくつかの雑誌に見本誌を送り掲載依頼をしました。
あまとりあ社の成人向漫画雑誌『レモンピープル』のコーナー「お知らせ伝言板」に見本誌を送付したところ、同誌の1991月8月号に連絡先住所が併記された通頒告知が掲載されました。
ちなみに、この8月号で同コーナーの「同人誌通販」欄に掲載されたのは『四面楚歌 -第弐号-』のみです。そのためなのか表紙まで載せていただくという扱いでした
結果、13部の頒布が記録されています。

この通頒では大変思い出深いことがあります。
どこで『レモンピープル』を入手したのか分かりませんが、海外からエアメールでの通頒申込みが1通あったのです。
USAのヴァージニア州アレキサンドリアの“Ed Bielecki”(エド・ビレキ)という方からで、これには驚いたと同時に大変ありがたく思いました。
封筒には日本円で1000円が同封されていました。(笑)
奇跡的に手紙が残っていたので、スキャンした画像を載せます
「四面楚歌」を“Surrounded by Enemies”と英訳しているのが大変興味深いですね。対訳の諺辞典のようなもので調べたのではないかと、当時I上が言っていました。
エド・ビレキさんは以後、「SSP」の通頒の常連になりました。

もう一つ、少年出版社(現 コアマガジン)の『熱烈投稿』(A5判・中綴じ)にも通頒広告が載りました。
掲載誌を亡失していることもあり、成人向写真投稿雑誌に何故『四面楚歌 -第弐号-』が載ったのか、その経緯は今となっては分かりません。
ただ、好意的な紹介だったと記憶しています。
この本では27部の頒布が記録されています。

『熱烈投稿』の通頒でも印象的なことがあります。
当時、私は実家に住んでいましたが、電話だけは自室へ独自に敷いていました。
ある日曜の朝、私へ電話がかかってきていると母から知らされます。私の友人・知人ならば自室の電話にかけてくるので、いったい誰だろうかと不審に思いながらも電話に出ました。するとそれは男性の声による改まった口調で、『四面楚歌 -第弐号-』の通頒はまだやっているかという問い合わせでした。
ただ、ただ驚きました。
掲載された連絡先住所から電話帳を利用して番号を調べかけてきたのでしょう。自室の電話番号は電話帳に載せてなかったので、両親が使う電話にかかってきたという訳です。

その他に次の雑誌の編集部へ見本誌を送った記録があります。ただ、掲載されたかは分かりません。
◎『ハーフリータ』
  ※松文館発行の成年向漫画雑誌(月刊)。B5判・平綴じ
◎『COMICレモンクラブ』
  ※日本出版社の成年向漫画雑誌(月刊)。B5判・中綴じ
◎『コミックドルフィン』
  ※司書房の成年向漫画雑誌(月刊)。B5判・中綴じ

また、通頒案内ペーパーとして復活した『SCHAFS NACHRICHTEN』での頒布が記録されていますが、煩雑になるのでいちいち述べません。
平成4(1992)年4月29日(木)発行の『SCHAFS NACHRICHTEN vol.13』で本誌の通頒を案内していますから、頒布が終了したのは翌年の夏頃だと考えられます。

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この『四面楚歌 -第弐号-』はいろいろな意味で思い出深い本です。
後年に出た『迷錯劇場』は別にして、本誌は私の作品が載った最後の本になりました。

200部印刷した本誌を大量に頒布する絶好の機会だった「コミックレヴォリューション9」で、44部しか搬入しなかったというのは今振り返ると非常に悔やまれます。ここでもっと大胆な策をとっておけば、私は通信頒布の事務処理に煩わされることも無く、その後の「SSP」の活動の流れが変わっていたかもしれません。
戦力の逐次投入は下の下ということでしょうか。愚かなことをしたものです。

「満月の夜には」より。
本誌の編集後記。
エド・ビレキさんからの手紙、上段に日本語で下段は英語で書かれている。一言語足りないが、私は“ロゼッタストーン手紙”と呼んでいた。

《第17回「四面楚歌 -第弐号-〈後編〉」おわり》

※文中敬称略

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