大羊春秋~羊務執筆者党史~(3)
この「大羊春秋」(だいようしゅんじゅう)とは、私が主宰していた同人誌サークル「羊務執筆者党」(ようむしっぴつしゃとう・略称SSP)の活動を振り返る「回顧録」です。
四面楚歌 -第弌号-
I上のサークル「羊書房」が企画・編集、私のサークル「面妖本執筆者党」が発行所というカタチで発行された男性向同人誌、その名は『四面楚歌 -第弌号-』といいます。
名付けたのはI上です。
『四面楚歌 -第弌号-』の詳細は次の通り。
◎入稿日:昭和62(1987)年7月12日(日) ※領収証の日付による。
◎発行日:昭和62(1987)年8月9日(日)
◎B5判・36頁・本文用紙70kg・無線綴じ・100部印刷
◎頒価350円
◎表紙エンボス梨地・2色刷り
◎内容(ほぼ掲載順)
・表紙イラスト/七条たみのり
・目次カット/七条たみのり
・中表紙イラスト/七条たみのり
・オリジナル漫画「羊教授の収集品」七条たみのり(20頁)
・オリジナルイラスト/七条たみのり(4点)
・アニパロイラスト/真恵多昭彦(4点)
・オリジナル4コマ漫画「半分実話劇場」七条たみのり(2頁)
・表紙4イラスト/七条たみのり
巻末の「編集後記」によると本誌の製作に参加したメンバーは、上段から真恵多昭彦・七条たみのり・鴨志田淳・渡瀬良彦となっています。
もう時効だと思いますので公表しますが、七条たみのりと渡瀬良彦はI上です。漫画などの作品執筆と編集とでペンネームを使い分けていました。
鴨志田淳というのは、前出の「高橋留美子総合F.C. U&R」在籍時に同じく会員で私が大変お世話になったHさんです。I上の依頼により編集作業に参加していました。ちなみに、漫画「羊教授の収集品」の登場する羊教授のモデルです。
言うまでも無く真恵多昭彦(まえだ あきひこ)とは私、前多昭彦です。この頃からあまり変化が無い名ですね。このペンネーム(ハンドル)の由来は後の機会に述べます。
現在、男性向同人誌では奥付に連絡先と印刷所名を明記することが義務付けられています。
ところが当事は逆で、「このような妖しい本を印刷してもらったことを公開するのは失礼にあたる」という訳で、どの男性向同人誌も印刷所名を伏せていました。
本誌も例外ではなく、印刷所は「何でも有り印刷」と誤魔化しています。
奥付記載の連絡先は同ジャンルのサークル「チーム プラスY」と同じ場所でした。これは連絡先(都下にある郵便局の私書箱)の管理者が、「プラスY」主宰者と私とI上共通の知人であるIさんだったためで、「面妖本執筆者党」でも御厚意で使わせていただきました。このIさんも「U&R」の会員です。
さすがに2サークルで共用は問題があると考えたのか、後に、訂正ラベルを貼り連絡先を私の家に変更しました。
余談ながら後年、「チーム プラスY」の主宰者であるTさんとは面識を持つことになります。
待望の初頒布は、昭和62(1987)年8月8日(土)・9日(日)に東京都大田区平和島の東京流通センターで開催の「コミックマーケット32」の2日目です。
ただ参加したサークルは「羊書房」でも「面妖本執筆者党」でもなく、前出のHさん主宰のサークル「留美子本目録」における委託頒布でした。
他に、「U&R」で知り合ったTさんのツテにより、同ジャンルのサークルで大手だった「美少女プロダクション」にも委託をしています。
何故、委託のみだったのか? 当時、私はコミケに参加申込みをしていません。おそらくI上が申込みをして落選したのか、初めから申し込んでいなかったかのどちらかでしょう。
ところで、我が国では刑法175条によりアダルトビデオや成年コミックなどには、男女を問わず性器にいわゆる“消し”、つまり修正を入れて性器を隠さなければなりません。
今では考えられないことですが、当時、男性向同人誌は無修正でした。これには様々な理由が考えられますが、まだ世に出始めた分野のため社会的に認知度が低かったことなどが挙げられます。
ただ、いつか警察による取り締まりがあるのではないかという、危機意識というか恐怖感が同人誌界にはありました。「コミックマーケット32」でも、「今日は警察が会場内を巡回しているらしい」といった噂を頒布中に耳にすると緊張が走ったのを憶えています。正直言うと恐かったですね。
言わば“初陣”は惨憺たる頒布結果でした。「留美子本目録」が2部、「美少女プロダクション」が10部という有り様です。
この結果に自分がどのような思いだったのか、今となっては分かりません。
この後、私は『四面楚歌 -第弌号-』の頒布に奔走します。
発行所が私のサークルなので私が担当するのは当たり前ではありますが、I上によるフォローは無かったと記憶しています。
この頃、同人誌の頒布は即売会と、雑誌の紹介コーナーに載せてもらって行う通信頒布が主な手段でした。
私がI上に送付した「四面楚歌-創刊号- 会計報告書」というワープロで作られたB5判2枚組のプリントの控えが今も残っています。
以下の詳細はそのプリントを資料にしました。
まず、成人向美少女漫画雑誌『レモンピープル』のコーナー「お知らせ伝言板」に見本誌を送付したところ、同誌の1987月12月号に『四面楚歌』の通頒告知が掲載されました。結果、21部の頒布が記録されています。
次に同人誌通頒情報誌『LLパレス』に投稿の結果、同誌の『No.6』に通頒告知が掲載。ここでは1987年12月から半年あまり間に51部の頒布がありました。
そして再び「コミケ」です。
昭和62(1987)年12月26日(土)・27日(日)に東京流通センターで開催の「コミックマーケット33」に「羊書房」が当選したので参加しました。配置場所は1日目の「V-35a」です。
この時は30部持ち込みで7部頒布という結果に終わっています。
どうも即売会での頒布は奮いません。
いつのことか忘れてしまいましたが、当事、新宿駅南口そばにあった漫画専門書店「まんがの森」が同人誌の委託頒布を行っていたので、委託を頼もうと訪ねたことがあります。が、店内で責任者らしき男性店員に見本誌を渡したところ、パラパラっとめくって見ただけで断られました。
本誌のレベルが低く売れないと判断されたからにほかなりません。この時は悔しかったですね。
これもいつのことか分かりませんが、『レモンピープル』で本誌を知り、趣味でアニパロやオリジナルの官能小説を執筆している男性Hさんから手紙が寄せられました。1度お会いしてその後2、3回手紙の遣り取りがあり小説も目を通しましたが、質の点で折り合いが付かなくて執筆依頼にまでは至らず交流が絶えてしまいました。
この頃、どのような気持ちで同人誌活動を行っていたかもう憶えていません。「これからも本を作れてそれが売れたらイイナ」程度の漠然としたものしかなく、具体的な長期ビジョンは無かったように思います。
しかし、I上はこれからも活動する、つまり『四面楚歌』を作り続けていくにあたり、参加者(執筆者)を増やし自分の執筆量を減らしたいと考えていたようです。
これが後の拡大路線につながります。
《第3回おわり》
※文中敬称略
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