大羊春秋~羊務執筆者党史~ 第25回
この「大羊春秋」(だいようしゅんじゅう)とは、私 前多昭彦が主宰していた同人誌サークル「羊務執筆者党」(ようむしっぴつしゃとう・略称SSP)の活動を振り返る「回顧録」です。
GELBE SONNE 7・その1
『GELBE SONNE 6 姫ちゃんのおませなひみつ』の大成功により、気を良くした総裁の真慧多昭彦は『GELBE SONNE 7』においてさらなる拡大路線をとり、印刷部数を前号より500部増やして1500部とします。
詳細は次の通り。
『GELBE SONNE 7』(ゲルベゾンネ ジーベン)
◎入稿日:平成5(1993)年11月20日(土) ※表紙入稿
平成5(1993)年12月6日(月) ※本文入稿
◎発行日:平成5(1993)年12月30日(木)
◎B5判・76頁・本文用紙90kg・無線綴じ・1500部印刷(見本誌42部)
◎頒価700円
◎表紙コート紙・フルカラー
◎ジャンル:男性向
◎内容
・表紙&表紙4イラスト/大島洸一
・中表紙イラスト/まるんべれぃ
・漫画「いずみさんにはかなわない」(17頁)AKUSYU 0.5 SECOND
・カット/九鬼亮一
・漫画「いけない妄想(ひとり寝の夜のヒミツ)」(5頁)穂南のの
・イラスト/九鬼亮一
・漫画「小山先生の神様に捧ぐ」(10頁)大島洸一
・漫画「私がNo.1」(6頁)神家処奈他
・漫画「秘書の秘所」(3頁)九鬼亮一
・イラスト/九鬼亮一
・漫画「ISTORICO COMICO TRAGICO!」(15頁)七条乱雄斎
・イラスト/まるんべれぃ
・4コマ漫画「まーっがーんっっばらばばらばばんっばばん」(5頁)
あかつきにゃおみ
・漫画「マイトのシュミ」(1頁)九鬼亮一
・「Vorstellung der Schreiber und Redakteure」(3頁)※編集後記に該当。
「Only本」路線は今号にも引継がれ、握手0.5秒をはじめとした党内での話合いの結果、「勇者特急マイトガイン」(1993.1.30~1994.1.22・全47話)が題材になりました。
このTVアニメはテレビ朝日系列にて毎週土曜17:00から放映されたロボットアニメで、「勇者シリーズ」の第4作目。かつての日活アクション映画のオマージュであることや敵組織が複数存在するなど、それまでのシリーズ作品とは違う作風が党内で話題になっていました。
この作品に決定したのは早く、少なくとも「コミックマーケット44」開催前には確定していたようです。
今号では新たな執筆者が参加しました。
◎まるんべれぃ
「第11回『新しいメンバー』」に登場したサークル「ぺるぱん」のメンバーの1人。この頃は「ロウディングゲート」というサークルを主宰し、独自に同人誌活動を始めていました。握手0.5秒の口添えと私の依頼で参加となりましたが、どのようなキッカケで彼と交流を持ったのかは今となっては分かりません。
◎穂南のの
「猫まんま亭」というサークルを主宰し、主に「セーラームーン」を題材とした男性向誌を制作していた女性。あかつきにゃおみ、M本の両名が運営するサークル(男性向ではない)にゲストとして参加していた縁から、M本の紹介で参加しました。ちなみに、彼女は「SSP」参加以前から同ジャンルのサークルである「STUDIOデルフォース」にも寄稿していました。
◎九鬼亮一
A藤がTV時代劇「必殺シリーズ」のファンサークルで知り合った人物。私とはA藤の紹介で前年の平成4(1992)年から交流があり、同年12月開催の「コミックマーケット43」では、彼が主宰するサークル「夢屋花乃屋」を手伝っています。彼が「コミックマーケット44」で発行の「セーラームーン」を題材とした本で男性向ジャンルに参入した事から、今号での原稿依頼となりました。
現在は天真楼亮一というP.N.になり、引続き「夢屋花乃屋」で活躍中です。
この頃党内では握手0.5秒、大島洸一、七条乱雄斎を「SSP」の主力執筆者と位置づけ、この3名を「SSP SANFRECCE」と称していました。
“SANFRECCE”とはJリーグの「サンフレッチェ広島」から取ったものです。“SAN”は日本語の「3」、“FRECCE”はイタリア語で「矢」(複数形)の意味で、毛利元就の「三本の矢」の故事が出典の造語です。
そこから転じて、「SSP」では3つ(人)の主力を指す言葉として使われ始めていました。
しかし、実際にこの3名が揃い踏みしたのは『GELBE SONNE 6』と今号のみです。
あかつきにゃおみから原稿を受取る際のことです。4コマ漫画それぞれにタイトルがないのを私が気付き、受渡し場所のファミリーレストランであかつき、M本、私の3名でアイディアを出し合い、彼女がその場で原稿にタイトルを書き込んでいったということがありました。『GELBE SONNE 7』にまつわる数少ない楽しかった思い出の一つです。
全面的なものだった前号と打って変わり、今号は写植の使用が部分的なものとなっています。何故こうなったのかいきさつは不明です。
本誌では中表紙の前に「遊び紙」を挿入しました。これが誰の発案でどういう理由で採用したのかはもはや分かりません。
印刷所は東京都千代田区にある「日光企画」を利用しています。相変わらず男性向同人誌ということで迷惑がかからないように、実名公表を避けて「西京鴨緑府印刷」と記載しています。
まるんべれぃによる中表紙は素晴らしいもので大満足でした。ただ、中央上部に描かれた“雷張ジョー”の後ろ髪のスクリーントーンが剥がれてしまっているのは非常に残念でなりません。どの段階で剥がれたのか分かりませんが、いずれにせよ私の不注意によるものです。まるんべれぃには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
当時、私は10月に親元からアパートへ引越して独立し、慣れない独り暮らしを始めたばかりでした。
このことから編集作業の進捗が思わしくないため、大島洸一に総裁府(つまり私の部屋)で行う作業の手伝いを願い出て、大島に承諾してもらいました。
ところが、これにI上が不満をもらしたのです。彼は執筆が遅れている自分の漫画の手伝いを大島に頼むと言い、頑として譲りません。
総勢10名以上が参加している本を仕上げるための編集作業に対し、I上の要求は飽くまでも執筆者個人の範疇です。別の言い方をすれば、“公”の作業の人員を引き抜いて“私”のためだけに使うということです。
他の執筆者は個人で最終段階まで仕上げているので、彼だけ特別扱いする訳にはいきません。またI上のワガママが始まったという訳です。
電話での長い交渉の末、根負けした私が折れるカタチとなりI上、大島、私の3名が総裁府に会して作業することになりました。行われた日にちは12月4日(土)から5日(日)にかけてです。いったいどういう手順で作業が行われたのかは今となっては不明です。
余談です。実は、この前日の3日(金)に私の母方の祖母が他界しており、葬儀などについて兄から電話ありました。が、携帯電話はまだ無く、キャッチホンでもなかった私の電話はI上との長電話のため繋がるはずもなく、ようやく兄と通話できたのは夜中の2時位だったと思います。その際は兄からお小言を食ったものです。
時が戻ります。
11月の前半、申込んでいた「コミックマーケット45」の当落結果が出ました。
ここで「羊務執筆者党」の運命を決定づけた大波瀾…… いや悲劇が起こります。
《第25回「GELBE SONNE 7・その1」おわり》
※文中敬称略
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