大羊春秋~羊務執筆者党史~ 第23回
この「大羊春秋」(だいようしゅんじゅう)とは、私 前多昭彦が主宰していた同人誌サークル「羊務執筆者党」(ようむしっぴつしゃとう・略称SSP)の活動を振り返る「回顧録」です。
GELBE SONNE 6〈後編〉
印刷所の伝票は今世紀に入って全て廃棄してしまったため、『GELBE SONNE 6』(ゲルベゾンネ ゼックス)の納品日(印刷所から出来上がった本を受取る日)がいつだったのか不明ですが、6月下旬だったのは確かです。
当日はM本のマイカーで都内にある入稿した「日光企画」へ向かいました。M本と私の他にもう一人いたはずですが、それがA見だったのかI上だったのかは、もはや憶えていません。
昨今、印刷所からの納品形態は段ボール箱での梱包が常のようですが、本誌
は紙包みでした。
受取った本の保管場所は全て私の家だったはずです。
「コミックマーケット」をはじめ同人誌界を震撼させた、平成3(1991)年2月発生の男性向同人誌摘発事件から2年以上が経っていましたが、男性向同人誌を取り巻く状況はまだ不安定なものでした。
特にいわゆる“修正”については流動的で、たとえ印刷所の基準をクリアしても、「コミックマーケット準備会」の基準を通らなければ頒布できない可能性があることが懸念材料でした。
そこで、7月某日に開催された「拡大準備集会」へ行き、終了後、舞台の下から準備会の方に声をかけ、『GELBE SONNE 6』の修正の具合を見てもらうようお願いしました。この事前チェックをしていただいたのが、当時のコミケで男性向ジャンルを担当し、現在のコミックマーケット準備会共同代表の一人である市川孝一さんです。
市川さんは本誌に目を通して「この修正なら大丈夫」と言っていただきました。
これで懸念は払拭されました。
本誌の初頒布は8月16日開催の「コミックマーケット44」を予定していました。
なにしろ初めての印刷部数1000部です。そのため頒布成績を少しでも良好にする策として、通常より早く本を完成させ、コミケット開催前に商業誌の同人誌紹介コーナーで紹介してもらう、事前宣伝を打つことを当初から企図していました。
発行日が6月20日となっているのはそのためです。
知名度が高いという利点から、掲載依頼先は辰巳出版発行の成人向漫画月刊誌『COMICペンギンクラブ山賊版』と決めていました。
ところが、本誌の同人誌紹介コーナー「DOJIN BANK'93」は人気が高いことから応募数が多く、見本誌を編集部へ送付しても掲載までに数ヶ月かかります。
しかし、これまでの掲載同人誌のラインナップから、著名な執筆者(サークル)によるものや良質な本は、応募つまり編集部への到着順を飛び越して優先的に掲載される傾向があったのです。
完成度に自信があった私は『GELBE SONNE 6』この処置を受けると確信し応募。案の定、「コミックマーケット44」開催直前の8月1日に発売された9月号(Vol.56)にて紹介されました。
掲載誌が残っているため、当コーナー担当である和泉蒼さんの書評を全文掲載します。
▼引用開始▼
セー○ームーン全盛の世の中とはいえ、まだまだその他のアニメにも人気作はあります。そんな少数派の一角をなすのが「姫ちゃん○りぼん」でしょう。それだけに姫ちゃん本の作者には、いかにも趣味で集まった熱意を感じます。
この羊務執筆者党の今春の新刊『姫ちゃんのおませなひみつ』も、そんな同人誌。握手0.5秒、大島洸一、七條乱雄斎、神家処奈他、あかつきにゃおみ(敬称略)という面々で、薄いながらもかなり質の高いエロパロ誌となっています。
力作は巻頭の握手0.5秒さんによる「土曜の午後はデート日和り」。イタズラ心から支倉先輩に変身した姫ちゃんが、愛子お姉さんとエッチしちゃうというお話です。実際には変身した男姿を描かずに、姫ちゃんと愛子が、レズっているような表現をとっています。わりとハードな漫画なのですが、綺麗にまとめたアイディアに巧みを感じました。
▲引用終了▲
ところが、予想外の事態も発生しました。
見本誌を出版社へ送付する際、通信頒布は行わないので誌面に連絡先の掲載をしないようにと明記した書簡を同封したのにもかかわらず、編集部の明らかな手違いで連絡先が掲載されてしまったのです。しかも、通常の「○○方SSP」という表記ではなく私の本名がフルネームで掲載されてしまいました。これは封筒の差出人住所を転載されたのが原因でした。
個人情報の保護という意識が全く無い、現在では信じられないことです。
よって、通頒申込みへの返信という予定外の事務作業を行うことになりました。
さらに『GELBE SONNE 6』の紹介なのに、どういう訳か『四面楚歌 -第参号-』のイラストが掲載されるというミスもあり、住所無断掲載の件と合わせて憤然としたものです。
また、今になって読み返してみると、6月20日発行なのに“今春の新刊”というのはおかしいでしょう。あと52頁の本を“薄いながらも”と評されるのも不快です。
この和泉蒼さんは頁数が多い厚い本こそ良質な本という考えがあったのでしょう。男性向同人誌のことを“薄い本”とも呼ぶ現在からすると苦笑してしまいます。
いよいよ『GELBE SONNE 6 姫ちゃんのおませなひみつ』の初頒布です。
【コミックマーケット44】
◎開催日:平成5(1993)年8月15日(日)・16日(月)
◎会場:東京都中央区晴海「東京国際見本市会場」
◎配置場所:16日「ト-52b」(新館1階)
◎売り子:I上・T中・真慧多昭彦(筆者)
配置場所は幸運にもいわゆる“お誕生日席”でした。
搬入数は900部で頒布結果は536部でした。
委託頒布も行っています。 ※《》内は委託部数
◎森伸之ファンクラブ(ナ-36b)《100+50+20》※2回補充〈完売〉
※『東京女子高制服図鑑』で有名な森伸之のサークル。
A見の紹介で委託。
◎夢屋花乃屋(ツ-43b)《100》〈完売〉
※天真楼亮一(当時は九鬼亮一)主宰のサークル。現在も活動中。
◎握手0.5秒PRESENTS(G-7a)《90》〈完売〉
※握手0.5秒主宰のサークル。
各委託先での頒布数と「SSP」本体の頒布数を合わせると896部、これは事実上の完売と言って良いでしょう。
初頒布で完売したのは勿論初めてです。ただこれは3サークルによる委託頒布が好調だったことも大きいでしょう。
当日の朝はM本が運転する車に武蔵小杉駅前で拾ってもらい、M本、あかつきにゃおみ、私の3名で会場へ向かいました。なお、本は事前にM本の車に積み込んでおきました。
当時「SSP」には台車が無かったため、私とM本、そして独自に会場入りしたI上とで小雨が降る中、駐車場から新館1階のスペースまで言わばピストン輸送で搬入です。
一梱包100部だった思いますが、紙包みのため扱いには神経を使います。また、本文用紙が90kgのため結構重量がありました。
そのため、無理せず一人一梱包で運んでいたのですが、そのうちI上が焦れたのか自分は二梱包運ぶと言い出したのです。私は無理しない方が良いと言いましたが、聞き入れられませんでした。
後、私がスペースで準備していると、二梱包運んだはずのI上が手ぶらでやって来ました。彼は開口すると持ちきれなくなったので、途中で置いてきたと言うのです。私がギョッとして彼の後をついていくと、新館1階入口前の柱の根元に包装が破けた梱包が2個置いてありました。
幸い中の本には異常が無かったものの心底からヒヤリとした出来事でした。このような無責任と言える一連の行為を、彼は何故やったのか理解し難いですね。
事前宣伝を打つ策は大当たりで、その効果は非常に大きなものでした。
とにかく早いテンポで捌けて行きました。
10時に開場して20分経たずに50部頒布していました。今、記録を比べてみると『GELBE SONNE 1 』が1日かかってようやく47部の頒布でしたから、その違いに驚きます。
その分売り子は大変でした。行列ができる訳ではなく、無秩序に人がワッと押し寄せて買い求めるので、3名とも座って休む暇が無く応対に非常に苦労しました。
これまで申込み時に返信用封筒を同封してくれた人、言わば常連の方を対象とした通信頒布は当初から行うことにしていました。
そのために案内ペーパー『SCHAFS NACHRICHTEN Vol.15』を7月1日付で151部発行しています。
そのうち送付したのは126部、78件の申込みがありましたが、2部希望の申込みが6件あったため、通頒の結果は84部と記録にあります。
ただ当時、常連の方のみで126人もいたとはちょっと考えられません。申込み締切が8月6日となっていますので、この中には8月1日発売の『ペンギンクラブ山賊版』経由でギリギリ間に合った申込みもあったと思われます。
しかし、当然ながら『ペンギンクラブ山賊版』を読んで申込んだほとんどの方には、在庫切れにより頒布をお断りすることになりました。
++++++++++++++++++++++++++++++++
『晋書』(しんじょ)という中国の歴史書に、『三国志』の時代に活躍した羊祜(よう・こ)という人物の言葉として「天下不如意、恒十居七八」(天下意の如くならざるもの恒に十にして七八に居る)という言葉があります。
「天下(世の中)の事柄は、自分の思う通りにならない事が十中の七、八を占めている」という意味です。
ところが、『GELBE SONNE 6』に限ってはこの言葉とは逆で、「十中の七、八がうまくいった」と言っても過言ではありません。
これまでにない良い本ができたのは勿論のこと、いくつものことがうまくいきました。
この成功で私に“驕り”が生じたものです。己の才を顧みず党内で「SSPはコミケで壁際を目指す」などと発言し、「月満ちればすなわち欠ける」という理に想到しなかったのですから、まあ、今考えれば25歳の頃なんてまだ子供だったということでしょう。
これは飽くまでも、決して“結果論”の域を出ることがありませんが、私のこの驕りが「SSP」の衰退を招いたと言っても過言ではないと、今は思えてなりません。
《第23回「GELBE SONNE 6〈後編〉」おわり》
※文中敬称略
ご意見・ご感想・ご質問がありましたらお気軽にコメント欄へお寄せください。