大羊春秋~羊務執筆者党史~ 第18回
この「大羊春秋」(だいようしゅんじゅう)とは、私 前多昭彦が主宰していた同人誌サークル「羊務執筆者党」(ようむしっぴつしゃとう・略称SSP)の活動を振り返る「回顧録」です。
コミックマーケット40
男性向同人誌への修正の件でコミックマーケット準備会に対し不快感を抱いていたものの、“コミケ”には欠席せずに参加しています。
「コミックマーケット40」は平成3(1991)年8月16日(金)・17日(土)に東京都中央区晴海の東京国際見本市会場で行われました。
本来は「幕張メッセ」(正式名:千葉県日本コンベンションセンター国際展示場)で開催される予定でしたが、千葉県側の意向により一方的にキャンセルされます。
これは同年3月頃、とある個人が幕張メッセ所轄の千葉西署に、「コミケ」で買ったものとして男性向同人誌(数量不明)を持込み、「コミケを取り締まってほしい」と主張したのに端を発します。これを問題視した千葉西署はコミケ準備会と幕張メッセに事情聴取を行いました。
この結果、「幕張メッセ」はトラブルのあるイベントには貸さないという結論を出したのです。
とある保守系(自民党か?)の議員の圧力があったとも言われています。
卑近な述べ方をすれば「コミックマーケット」は「幕張メッセ」を追い出されたのです。
この件については次のブログに詳しく語られています。
また「Wikipedia」にも項目があります。
『コミケ幕張メッセ追放事件』
この頃、同人誌界には様々な憶測が飛び交っていました。
千葉西署に男性向同人誌を持込んだ個人は男性で、サークルを主宰して「コミックマーケット」に参加していたと言われています。さらに、そのジャンルは男性向で巨乳好きだとも。名字(名前?)のイニシャルも伝わっていました。
ところで、ある日、事故り漫談のP.N.で寄稿していたN原に「SSP」のバックナンバーを見せた際、おそらくパロディ作品について言ったのでしょう、「こういうのはイメージが崩れるなあ……」とつぶやいたのは非常に印象に残っています。私は男性ならば誰しも“エロ”というものに好意的だと思っていたため、カルチャーショックでもありました。
余談ですがこのN原、作品の方向性が違ううえ画力があまりにも低く、また少々素行に問題があったため、その後、縁を切る形となりました。
この持込んだのが男性というのが確かならば(私は確実だと考えます)、先のN原の例と併せて、男性だからといって“エロ”、そして男性向同人誌というものに理解があり寛容だとは限らないということです。
これは銘記しなければならないでしょう。
さて「コミックマーケット40」です。
【コミックマーケット40】
◎開催日:平成3(1991)年8月16日(金)・17日(土)
◎会場:東京都中央区晴海「東京国際見本市会場」
◎配置場所:17日「M-51a」
◎売り子:A見・M本・真慧多昭彦(筆者)
修正が甘い『四面楚歌 -第弐号-』は頒布できません。
よって、頒布物は2種類の「C本」(折本のSSPでの呼び名)と『Boky Boky』、A見のサークルの本の委託を受けました。
カタログがもう手元に無いため、サークルカットは誰が何を描いたか不明です。
男性向ジャンルは“ガメラ館”こと東館に配置されました。
同人誌界のこの流れを受けて欠席したサークルが多く、場内は閑散としていました。
欠席せず参加しているサークルもありましたが、そのほとんどは「SSP」と同様に頒布物がありませんでした。
このような中でも『LOOk OUT』という本を発行する大手サークルだった「アルプス興業」が、『CITY HUNTER COLLECTION』という新刊を頒布していたのが印象に残っています。
この“コミケ”では新たな出会いがありました。
『四面楚歌 -第弐号-』を購入したというS籐という人物が、スパースを訪ねて来てくれました。彼は後に江田島平八というP.N.で「SSP」にゲストとして寄稿します。
「コミックマーケット40」の状況を目にした私は、これから同人誌界はどうなってしまうのだろうかと、失望感や挫折感が混ざった空虚な気持ちになっていたのを憶えています。
無修正という男性向同人誌の特性の一つが失われたのですから、当然、同人誌活動のモチベーションは低下しました。
この“事件”により多くの人が男性向ジャンルを、さらには同人誌活動そのものから去りました。しかし、私はそれを選びませんでした。
前述の通りモチベーションは下がっていた反面、ここでやめるのは悔しいと思ったからです。
《第18回「コミックマーケット40」おわり》
※文中敬称略
ご意見・ご感想・ご質問がありましたらお気軽にコメント欄へお寄せください。