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大羊春秋~羊務執筆者党史~ 第20回

この「大羊春秋」(だいようしゅんじゅう)とは、私 前多昭彦が主宰していた同人誌サークル「羊務執筆者党」(ようむしっぴつしゃとう・略称SSP)の活動を振り返る「回顧録」です。

GELBE SONNE 5〈後編〉

『GELBE SONNE 5』(ゲルベゾンネ ヒュンフ)は、初頒布の「コミックレヴォリューション10」に続き通信頒布が始まりました。

最初は通頒案内ペーパー『SCHAFS NACHRICHTEN』の「Vol.12」での通頒です。
『SN Vol.12』は手元に何部か現存しているので調べたところ、発行日が平成4(1992)年3月6日(金)なのが意外でした。
初陣の「コミックレヴォリューション10」の開催が平成3(1991)年11月17日(日)ですから、4ヶ月近くの間いったい私は何をしていたのでしょうか?(笑)
題材がパロディ主体の「SPP」の本は話題性、言わば“鮮度”が大切なためなるべく早く頒布しなければなりません。
そのため、遅い頒布は良くないのですが、これはちょっと間が空き過ぎですね。一連の男性向同人誌規制によりモチベーションが低下していたためかもしれません。

この『SN Vol.12』の送付対象者は『四面楚歌 -第弐号-』の通頒申込みにより、こちらに返信用封筒が残された人だと思われます。ただ、何部送付して、何件の申込みがあったのかは今では分かりません。総頒布数は判別していますが、一人で複数購入する人がいるため、頒布数が必ず申込み数と一致するとは限らないのです。
ちなみに、この通頒では一人で5部購入した人がいました。
という訳で、『SCHAFS NACHRICHTEN Vol.12』での通頒おける総頒布数は48部でした。

次は雑誌の通頒についてです。
まず、辰巳出版発行の成人向漫画雑誌『ペンギンクラブ山賊版』(B5判・中綴じ)の同人誌紹介コーナー「DOUJIN BANK '92」への掲載を希望して、編集部へ見本誌を1部送りました。これがいつのことだったかは不明です。

その結果、平成4(1992)年4月号(Vol.39)に掲載されました。
当時、この「DOUJIN BANK」は人気コーナーで、故にここで紹介されることは同人誌界においてのステータスシンボルという傾向がありました。

この通頒では41部を頒布しています。

『ペンギンクラブ山賊版』平成4(1992)年4月号(Vol.39)の表紙。

ここで編集部から送られてきた掲載誌は今でも保管されていますので、当コーナー担当の和泉蒼氏による書評を全文掲載します。

▼引用開始▼
 七条乱雄斉、神家処奈他、江田島平八、握手0.5秒、かないみか夫(敬称略といった作家さんによる成人向けアニパロ同人誌です。
 漫画は、握手0.5秒さんによる「琴子ちゃんの放課後」と七条乱雄斉さんの「絶対無敵ライ◯ンオー」漫画と2本。その他はエッチなパロディイラストで構成されます。元ネタは、「ロードス◯戦記」「ライ◯ンオー」「電◯少女」などなど、それなりに平均的な作りです。本音を言えば、総ページ数の少なさと漫画の少なさで、やや印象に薄い同人誌という感想を持ちました。決して作画レベルは低くないのですが……
 むしろ豊川宗憲さんによる記事「オタク的徒然草」「エロ漫画の興亡」(いずれも1P記事)の内容の濃さに感心しました。
▲引用終了▲

……。
勿論、掲載していただいたのは光栄でした。にもかかわらずこのようなことを述べるのは失礼なのですが、“むしろ”で始まる最後の段落により、『GELBE SONNE 5』の評価が決定的に低下している印象を受けます。これはちょっと酷いですね。

「総ページ数の少なさと漫画の少なさで、やや印象に薄い同人誌という感想を持ちました。」という件については痛い所を突かれています。だからこそ「SSP」はより多くの描き手をを求め、少しでも頁数を増やす「拡大路線」をとりました。
しかし、この考え方はもう古いでしょう。
現在は「薄い本」と呼ばれる通り、必ずしも頁数の多い本が良いという傾向はありません。
そのため、この評価には隔世の感があります。
私は今の傾向の方が洗練されていて好きですね。

次に同じく辰巳出版発行の成人向漫画雑誌『ペンギンクラブ』(B5判・中綴じ)編集部へも見本誌を送ったところ、平成4(1992)年5月号(Vol.69)の「同人誌DATA」に掲載されました。
本誌の紹介文も全文掲載します。

▼引用開始▼
 漫画、イラスト、エッセイで構成された成人向けパロディ誌です。執筆者はAKUSYU 0.5 SECOND、七条乱雄斎、豊川宗憲氏ら。七条氏の『出現!スケベ邪悪獣』は、「ライジ◯オー」のエロパロ。スケベはメイワク、というわけで邪悪獣マグワルーが3次元に送り込まれ姫木先生相手に悪の限り(?)を尽くすのですが、結局これ、迷惑になってないんですよね(笑) この本は現在在庫切れ。夏に別冊の、『四面楚歌‐第参号‐』を発行予定。
▲引用終了▲

在庫の無い品物を敢えて宣伝する…… 言わば“エサ”にして、新しい品物を売る、こういう商法をなんと呼ぶのでしょうか?(笑)
これは阿漕と言って良いやり方ですね。誰のアイディアだったかは分かりません。
『ペンギンクラブ』編集部もよく掲載してくれたと思います。
事務作業は全て私が独りで担当していましたので、この見本誌送付も私が行いましたが、このカタチの掲載にしてもらうために、どのような文面の手紙を添えたのか興味があります。

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本誌の「Vorstellung der Schreiber und Redakteure」(編集後記)から私のコメントを掲載します。

▼引用開始▼
 直接的な描写は勿論の事、低年齢キャラや過激シチュエーションは不可(印刷所が受けてくれない)という規制の多い同人誌界の現況では、正直な所、意気消沈せずにはいられませんでした。しかし、その様な苦しい製作状況でもこのG.S.5が発行出来たのは、今回Gastとして参加して戴いた、神家処奈他、かないみか夫、江田島平八の三氏、そして飛入の青梅財団作画室さんの御蔭です。どうもありがとうございました。ところで、筆者は今年で24歳となりました。そろそろ無職のプーさん、つまりアルバイト生活を脱出しなければなりません。就職の準備と同人誌活動を同時に行えれば良いのですが、残念ながら不器用な為その様な事は出来ません。又、SSPの運営方法を少々見直してみたいので、G.S.の発行は今号を以て休止とします。突然且勝手な決定で非常に申し訳ありませんが、どうか御諒承下さい。
 最後に別冊の『四面楚歌』を宜しく。
▲引用終了▲

このコメントから当時の同人誌界の状況が非常に厳しいものだったということが分かります。
修正さえすれば男性向同人誌を製作できた訳ではなく、その他にいくつもの制約がありました。それは引用文中述べられている項目の他に、どういう訳か漫画はOKなのにイラストはダメというものがありました。
この傾向は長く続き、摘発事件から3年後の平成6(1994)年になっても印刷所からの通達に「イラスト集は禁止」とあったほどです。
これは明らかに印刷業界の萎縮からくる過剰反応でしょう。
我が日本には公権力の前に表現の自由は無いということです。
漫画が描けない私にとりこれは意気消沈しました。

ゲスト執筆者を列挙する中に握手0.5秒(本誌ではAKUSYU 0.5 SECOND)の名がありませんが、これは私のミスではなく意図的なものです。
かないみか夫が「SSP」への寄稿に握手0.5秒を誘ってくれたのは、予想外の吉事でした。私は初見の時から握手0.5秒の絵柄の方が好みで、なんとかこの描き手を「SSP」のレギュラー執筆者にできないものかと考えていました。
このコメントはそれを既成事実化しようとたものです。かないみか夫への心証を無視した露骨な示威行動と言えるかもしれません。えげつないですね。

就職活動で『GELBE SONNE』を休止云々は全くもって余計なことでした。
当時、私はA見から就職せずアルバイト生活を送りながら同人誌活動をしていることについて、「将来どうするのか」という旨の小言を度々食っていました。かと言って就職先を紹介してくれる訳でも、何かアドバイスをしてくれる訳でもありません。
彼のこの言動は“お為ごかし”なうえ、水を差す行為と言って良いものでしょう。嫌煙家の私がこのような譬えをするのはおかしなものですが、喫煙所で気分良く煙草を燻らしているところ、そこへわざわざズカズカと入って来て煙草の害を説くようなものです。
本当に迷惑で大きなお世話でした。
これで思い詰めた私は「休止宣言」をしてしまった訳です。

漫画「出現!スケベ邪悪獣」はネームのワープロ打ちをM本が、スクリーントーン貼りを私がやりました。貼るといってもアシスタントの如くI上の指示を受けて貼る訳ではなく、私の独断で貼るのです。
彼の原稿が必要なのでわがままを受け入れてこういったことをしましたが、これは尋常ではないでしょう。
作業中、ついでに描き文字を私の好みに描き換えたら、“そこはそうじゃない”とけたたましく怒られました。彼のこの態度に対し私は、ならばちゃんと自分で最後までやれと不愉快になったものです。

本誌に私の作品は載っていません。描かなかったのか、描けなかったのか…… おそらく後者だと思います。私は考え込んでしまうタチなので、修正のことやA見に言われたことなどで、言わば固まっていたのでしょう。
以後、私は“絵師”としての参加をしなくなります。

スポーツチームに譬えるならば、これまでのプレイングマネージャーから専任監督になったということでしょうか?
監督業も勿論やり甲斐がありましたが、やはり選手として、つまり作品を描いて本作りに参加したいという気持ちは最後まで捨てきれず、割り切ることができませんでした。
今になって考えるとこの選択は間違いで、どのようなカタチでも私は作品を描くべきでした。描くことによって私のやりたいことを周囲に示すのが、「SSP」の活動を円滑する方法だったのです。

神家処奈他によるイラスト。
「絶対無敵ライジンオー『出現!スケベ邪悪獣』」より。

《第20回「GELBE SONNE 5〈後編〉」おわり》

※文中敬称略

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