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権威性による思考力低下について
こんにちは、みらいろです。
今日のテーマは「権威性」について。
発信界隈でよく言われていることだが、発信する「内容の質」より、「誰が」発信しているかの方が重要である。これは、権威性と呼ばれる何かと同じだ。
もちろん、誰が発信しているかというのが重要である事は紛れもない事実。なぜなら、一般人の発信する謎の情報より、大学院を修了した博士の人が発信する情報の方が、よっぽど信憑性があると考えるからだ。わざわざ、よくわからない一般の人に、自分の欲しい知識を尋ねようとも思わないのは当たり前のことなのかもしれない。
また専門性だけではなく、知名度というのも非常に重要なファクターである。ケイスケホンダが、学術的な心理学の知見をどれだけ勉強したかはわからないが、彼のマインドセットを賞賛し追従する人は多いはずだ。
結局のところ、成功者の言葉以外の情報をシャットアウトし、耳を傾けようとしないのは、人間の本能的な何かかもしれない。もちろんそれでいい。基本的に95%ぐらいは彼らの言っている事は正しいだろう。高い確率で正解と思われる選択を信じる事は、何かを成す上で重要な考え方だ。
では、残りの5%はどうすればいいのか?
我々の知ったことではない。専門家同士をコロッセオで戦わせれば良い。
こういう考えでいいのか?
真に頭の良い人は、常に懐疑的である。教科書に書かれていることが間違っていると発見できる人は、情報を鵜呑みにせず、自問自答して、正しいかどうかを判断している。彼らは天才などではなく、「自分で考えるという癖を持っている」だけだ。
考える事は非常にエネルギーを使う。生物の生存の観点から言えば、エネルギーを使う行為というのは、基本的に避けたいものだ。何か生命の危機を感じたときに、アドレナリンを放出して、全力疾走をする時を思い浮かべてもらえばわかる。危機的状況でしか、エネルギーは使いたくないものなのだ。
我々の脳は省エネモードで運転するために、考えるという行為を避けてしまう傾向がある。この行為に対する、後付けの理由が「権威性」だと思う。
情報を鵜呑みにする人は、情報の咀嚼もできていないことが多い。抽象的なまま情報を受け取り、具体的な場面に対して落とし込めていない。これも、考えることを避けた結果、情報を「情報」として摂取してしまい、その栄養素を吸収できていない。
権威というものを絶対視してしまうと、我々は考える機会を失う。考えることを諦めた人間は、ほとんどの場合、そこで成長が止まる。一方で、常に考え続けるエネルギーを持っている人は、その状況に対してうまく適応するための術を考え出すことができる。だから、権威にとらわれない頭のいい人が社会を生き残っているのだと思う。