合法メンヘラ女の軌跡3

〈地獄の日々〉

このような状態の中で一番苦労したことは排泄だ。左半身のすべてが麻痺しているので突き詰めてお話すると、排便が自力で行えなかった。いきむためには腹筋や腸を動かす平滑筋のコントロールが必要だからだ。そしてこうした身体の自由が利かないこと以外の問題もある。下手にいきむと脳圧が上がってしまい損傷している脳にさらに危険を与えてしまうのだ。それゆえ物理的に、そして安全性のために自立した排便はほぼ行えなかった。さらに、おむつ上での排泄はプライドが許さず行えず、看護師の付き添いの元でトイレでの排泄を試してみる(看護師を真横につけて排便する)かベッド上で摘便をしてもらうほかなかった。
はじめてトイレで排便を試みた際のことをよく覚えている。重度の麻痺と下手ないきみが起因し、排出したのものは便ではなく吐物だったのだ。いきみが空回りして排便ではなく嘔吐をしたのである。
この日から食べること、トイレで排便をすることに対して恐怖を覚えた。こうして私の排便方法は摘便一択となった。摘便とは患者に横向きに寝転がってもらい、看護師が肛門に指を挿れこんで便を掻きだす排便方法であるが、これが本当に怖かった。麻痺が重い私にとって、横向きになり右半身だけで自由が利かない左半身を支える体制を取ることは大きな負担と恐怖になるのだ。便を掻き出そうとされるたびに、崖のフチに立たされているような心地がするのである。そしてこの負担と恐怖という代償を払ってもすっきりする量の排便はまったくできなかった。なぜなら看護師が掻き出せる便は肛門表面にあるものだけだからだ。そして、食事量がそもそも少ないことも要因のひとつである。こうしてつらい思いをして、辛い状況を生み出していることが便秘の不快感よりもずっと情けなく、苦しかった。
そして、私が受けた開頭手術は大変大きな手術であるので体への負担の大きさも比例してかなり大きい。開頭による炎症で顔が風船のよう大きく膨れ上がって自慢の平行二重のアーモンドアイが潰れて前がほとんど見えなかった。そしてこの解消のために、頭にはドレーンという過剰な水分を排出するためのチューブが常に刺さっていたため、不快感も抱えていた。そしてさらに頭部の皮膚全体には頭蓋骨を一旦外すために切られたら大きな傷もあるのだ。つまり、頭部には常に激しい痛みがあった。
 これらの痛みと不快感は私に眠ることを許してくれなかった。つまり、1日中覚醒しているので否が応でも現在直面している苦しさや現状を考える時間が増えるのだ。 
また、これらの状況に加えて、採血や点滴の差し替えが定期的にあったことが非常に辛かった。私の血管はもともと細く針が差しにくいのだが、この病院にはたとえ難しい血管をもつ患者であっても患者の負担を最小限に留めようと行動する看護師はひとりもいなかった。その代わりに患者を犠牲にしても早く業務を終わらせたい看護師が大勢おり、針の通りやすさを優先し、多くの神経が走行していて痛みを感じやすい手背(手の甲)や麻痺を起こしている左手に針を当たり前に刺すのである。これらが本当に痛かった。特に麻痺を起こしている左半身は刺激の種類を正しく識別できなくなっており、私の場合は受け取った刺激はもれなく『痛み』として捉えるようになっていた。具体例としては、水が手にかかる感覚も激痛として感じるようなものである。するとご想像できるかと思うが、針を刺す刺激なんてもってのほかなのである。事実、私は針が刺さる刺激を気が遠くなるような痛みとして感知していた。痛さでおなかがキュウ、と軋むのだ。それゆえ、針刺しを失敗されるたびに文字通り、絶叫した。
そして、こうした苦しみを誰かに聞いてもらう術もなかったことも大きなストレスになっていた。ICUでは携帯の利用ができないので、家族や友人に救いを求めることもできない。それゆえ、私の周りには看護師(つまり敵)、ドレーン(敵)、注射針(敵)、麻痺した左半身(敵)しかおらず、味方は一人としていなかったのだ。このような環境下で私は自分が日に日に小さくなっていくような感覚があ持った。時には、(このまま極限まで小さくなって消えちゃえばいいのにな。迷惑もかけて、こんなに苦しい思いをするくらいなら中途半端に生き残りたくなかったな。)と思う日もあった。
このような身も心もボロボロになる日々をICUでは過ごした

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