合法メンヘラ女の軌跡11


〈楽しくて苦しいリハビリ生活〉

車椅子ではあるものの自分が望む行動を取れることが凄く楽しかった。そして何よりここのスタッフの方々が私のことを「ひまりさん」と敬意をもって呼んでくれたうえ、思いやりを持って接してくれたこと、『挑戦してみること』に対して大変寛容でサポートしてくれたことが私に安心感を与えてくれた。このように身動きが自由になると、心も晴れていく。そして心に余裕が生まれるようになると入院生活は色鮮やかになり始めた。
しかし、楽しいばかりではない。その要因は主に手の回復の進捗の悪さだ。作業療法(手のリハビリ訓練)の話をする。

足についてはは前述のとおり、良好なペースで回復を実感できたが、手の方はまったく回復を実感出来ない毎日が続いた。前院では理学療法(足のリハビリ訓練)がほとんどで、転院した時点で私は既に3ヵ月もの間、ほぼ一切左手を使っていなかった。それゆえ、壊れた私の脳は左手のことをすっかり忘れてしまったのである。作業療法士の「手を握ってください。」との指示や「手を開いてみてください。」の指示に従いたいのに、どれだけ意気込んでも私の手はピクリもしなかった。動かないことは前院で理解していたつもりだった。しかし、動かない自分の手とまともに向きあうことはこれまでなく、自分の立ち位置を理解していなかったのである。それゆえ毎日毎日動かない手に向き合わなければならない作業療法の時間は本当に苦しかった。毎日毎回、動かない手と対面することは勿論悲しかったので訓練の度に号泣していた。あまりに泣き叫ぶので、リハビリを中止しなければならない日もあった。

そう、上肢の回復は作業療法士が毎日上肢のストレッチと訓練を施してくれたものの、1か月ほどで中等度介助による最低限の生活動作ができた下肢とは進捗がまるで違ったのである。同じ時間、同じ練習量をこなしても得られた回復はぎりぎり腕を30度ほど持ち上げる、グーの手を作ることぐらいの動作を取ることだった。こうして下肢の回復についていけない手に毎日不安を募らせていった。

また、言語聴覚療法の訓練にも大いに苦労した。私の場合、言語や嚥下・聴覚には問題なかったのだが高次脳機能(認知や知覚や注意力・情動など大脳が司る機能)が著しく障害を受けていた。これまでご紹介した左側が見えない左空間無視や気力(正しくは集中)が続かない注意障害、多数の情報を整理できない症状、そして感情表出の制御ができない感情失禁などを来していたのである。私の頭はその実、文字どおりボコボコになっていたのだ。そして、自分ではそのことを理解どころか気づくことすら出来ていなかった。この解決策はこのボコボコになった頭を、脳を鍛えるほかない。言語聴覚士から、毎日数独や間違い探しのプリント演習を課されることとなった。担当の言語聴覚士は、自己紹介の日に宣言されていた「私は厳しいですよ。」の宣言を見事に裏切らずプリント演習の最中に、私の集中が途切れると「ほら、しっかりして!」との言葉で律したり、「生意気なその根性を正してあげる。」などの力強い言葉で、文字通り私を叩きあげたり、感情失禁や将来のことで悩む私を「感情失禁は最後まで残りやすいけど吐き出せるだけ吐き出せばいいのよ。」、「集中は持たないけど短くコツコツなら勉強できるから看護師をまた目指すのはどう?それか、こんだけ泣いてる経験を活かして臨床心理士になるのもいいと思う。勝手に決めつけてそればっかり考えるのは高次脳機能障害そのものよ!しっかり!」などの諦めないことを勧めるアドバイスを沢山投げかけてくれた。

しかし、私は間違い探しやパズルは幼少の頃から大嫌いであったし、とにかく集中が続かないのでプリント1枚を仕上げることが本当に苦痛だった。そして、こんな単純なプリントすらまともに向き合えない頭になってしまのかと自分が非常に情けなくて仕方がなかった。
そして、足の回復、肩の回復、と点と点の回復はみられるものの生活に活かせるまでのレベルまでなかなか上がらないことに一番悩まされた。


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