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日本社会とイタリア社会の間にいて思うこと

ご無沙汰しています!イタリア生活に少しずつ慣れてきて、楽しんでおります!

さてさて、イタリア生活の中には、日本コミュニティと現地コミュニティがあります。そしてその中間も。(笑)

日本コミュニティでは、お酒が2割ぐらいになって、なくなってきたら、注ぎにいく。どれだけ周りを見れて、気配りができるか、すごく大事だなって思う。ごちそうになることも多い。席は下座や上座を意識したり。

ただ、店に行けば、イタリアだ。イタリアは本当にレディファースト文化が徹底しているとつくづく実感する。ワインを入れるのはもちろん、食事も女性から順に渡されることが多い。年功序列などまっぴらだ。男性だけで行った時と、女性もいるときとでは、店員の待遇も違ったりすることは少なくないらしい。(笑)

そして、中間と勝手に名付けた、現地に長期間住む日本人や日本文化を理解する人たちとのコミュニティ。ここはなかなかにおもしろい。みんな違った経験を色々していて、人間の無限大さのようなものを日々感じる。年齢層は広いが、気を使わなくていいからね、とみんな友達のような、でもどこか気をつかってしまう部分も無きにしも非ず的な。

日々、いろんな人たちと交流する中で、(日本でもいろんな人と交流してきたつもりだったが、海外で出会う人たちはレベルが違う、おもしろい。)自分はどんな時に楽しいと思うか、居心地がいいと思うか、嬉しいか、なんだか落ち着ないのか、不快なのか、おもしろいのか、と考える。いろんな人からたくさんのヒントをいただきながら、メタ認知を深めていく。

就活でも自己分析はしたつもりだったけれど、気づいていないことはまだまだたくさんあったな、と。まだ1か月と少ししかたっていないけれど、休学して、少し寄り道を決断した自分に拍手喝采だ。

自分を知るためには案外、いろんなほかの人たち、周りの人たちとの交流が何より大事なのかもしれない。できれば大人数より少人数で深い話をね。


”心ってどこにあると思う?僕は他人との間にあると思うんだよね。”
いろんな人たちとの関係や積み重ねで、自分の心ができていく。面白くて優しくて、物知りな、私がひそかに尊敬しているイタリアのお兄ちゃんがこんなことを言ってた。





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