ない理由ではなく、今から出来る方法を問う。

無気力なのは、やりたいことがないから。
やらなければならないことしかないから。

やらなければならないことも、
終わった後のご褒美があれば頑張れる。

けれど、そのご褒美が思いつかない。
理由は二つ。

一つは、お金が惜しいから。
もう一つは、興味が薄れているから。

なぜ、これほど興味を持てなくなって
しまったのだろう。

どうして、
この世界に興味が持てないのだろう?

という発想が、
そもそも間違っていたのかもしれない。


この世界は、私の解釈で成り立っている。
なら、問題と認識しているのは、私。

つまり、私が問題を作り出している
ということになる。

それが真実なら、
自己保身に捉われている間は、
原因がわかっても、問題は解決しない。

自己欺瞞を自覚することはできないので、
最もらしい言い訳のせいにして、
根本的な解決には至らない。

表面的な現実は解決しても、
根本が変わらなければ、
違う現実が困難として降りかかる。

問題だらけの困難な現実が出来上がる。

どうしたら、
負のループから抜け出せるのか?

まさに、それ。

なぜ?
ではなく、
どうやったら?

問題を作り出している原因が私なら、
その解決策も私の中にあるということ。

なので、原因を究明するより、
どうやったら解決できるのかを問う。

意識を原因に向ければ、
真相がわかることもあるけれど、
自己欺瞞にハマることもある。

自己保身は無自覚に発動するので、
全てを真相だと思い込んでしまう。

解決しようとして、
間違った方向に進む可能性が高い。

ない原因を探さない。
そうなる方法に目を向ける。

方法を尋ねることは、現実がベース。
「今、できること」に限定すれば、
できないことや、理想や、欺瞞を
取り除くことができる。

なぜ、興味を持てないのか?
なぜ、この世界を愛せないのか?
なぜ、希望を見出せないのか?

ではなく、
どうしたら、今の私でも、
興味を持てるようになれるだろう?
愛せるようになるだろう?
希望を見出せるだろう?

現実的な方法を尋ねてみる。
問えば、答えは返ってくる。
いつになるかはわかはないけれど。


この世界は、私なので、
興味を持てないのも、愛せないのも、
希望を見出せないのも、私のこと。

きっと、理由はあるのだろう。
けれど、すこぶる納得できる理由も、
フェイクかもしれない。
私の自己保身は、最強ですから。

なので、理由には目を向けなくていい。

ただ、どうすれば得られるのか?
それだけを問う。

ない理由ではなく、
今、できる方法を尋ねてみる。

これまでとは別の意識に目を向ける。

それから、シンプルに考える。

どうすれば、興味を持てるのか?
も、不要なのかも。

なぜなら、興味が持てない原因から
派生した質問だから。

無気力で、やりたいことがないなら、
どうしたら、元気が出るんだろう?
やりたいことが見つかるんだろう?

それだけでいいのだと思う。

遠い未来や大きな夢ではなく、
今日出来ることに限ってみる。
今日からやることに限定してみる。

獲得した自由を失わず、
無限の可能性に翻弄されないためには、
小さく刻んで考えてみる。

さて、どうやって今日の私を
元気にしようか?

 fumori 

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