いつか全ての感情を愛おしく思うことができますように。
今ある現実といわれるものが、なんなのか?
生きている限りはわからないけれど、
もしかしたら、アリスが見ている
夢のようなものかもしれない。
ラストに目が覚めて、
全てが夢だったことを知る安心感。
現実ではなかった。
命を狙うハートの女王は、もういない。
身の安全を保障された目線から
振り返る不思議の国は、
主人公としての不安や困難さえ
輝かしい冒険の一幕に映るかも。
恐怖も不安も、悲しみも寂しさも、
恨みつらみもあるけれど、
ホーンデットマンションのカートに
乗っているようなもの。
アトラクションを出たら、
青い空と、夢と魔法の王国が待っている。
次になにに乗ろうか?
それとも、
ここでしか食べられない食事にする?
限定のドリンク?
ポップコーン?
食べきれないし、
一日では回りきれないし、
何回乗っても、なぜか楽しい。
私たちの現実って、
もしかしたら毎日、ディズニーランドで
暮らしているようなものなのかもしれない。
ラストのなんとも言えない読後感が
未だに心に残っている。
アリスが目覚めた後の安堵感と、
不思議な国に対する名残惜しさ。
夢だったからこそ、少し憧れる感じ。
映画を見終わった後のような。
目を覚ました後が現実であることを
疑ったことはなかったけれど、
寧ろ、逆な気もするのです。
現実に於いて、ラストのアリスのような
安堵感を得られることってないんじゃないかな?
私たちは、いつだって死の恐怖に晒されている。
いつ死ぬかは、誰も知らない。
そこから逃れることはできない。
絶対的な安全地帯から、
人生を振り返ることってできないわけで、
だとしたら、
アリスの目覚めこそが死の安らぎで、
夢見ていた不思議の国での冒険劇が
現実なんじゃなかろうか?
そんなことを朝から夢想してみました。
今、私が生きている現実がなんなのか?
終わってみないとわからないけれど、
人生のラストが、アリスの目覚め
みたいなものだとしたら、
今の私はもっと安心して
現実を楽しんでもいいのではないかしら?
死んだら終わり。
けれど、それ以外のルールなんて、
本当はないのかもしれない。
死を恐れて、安全策ばかり選んでいたら、
ホーンデットマンションで一生を
過ごすことになりますよ?
もちろん好きだけどさ、
スプラッシュマウンテンに乗りたいなら、
ディズニーシーにも行ってみたいなら、
カートから降りないと。
アトラクションを出ないと。
暗い建物の外に出て、
あー楽しかった。
ぜんぜん怖くなかった。
ホログラム綺麗だった。
昔っから変わらないね。
そんな、ありきたりの、
誰もが言いそうなコメントしながら、
次のプランを練るのです。
現実は、感情を揺さぶる場。
悩み苦しむためだけにあるのではないし、
目が覚めたら、そんなネガティブな想いも、
懐かしく思えるのかもしれない。
終わってみれば、
一生をディズニーリゾートで遊んでいただけ。
そんな風に思えたら、最高だな。
ネガティブな感情に右往左往してないで、
自分は今、なんのアトラクションの最中なんだろう?
そんな視点で今を眺められたら、いいのかな。
いつか、アリスの姉のように
全ての感情を愛おしく思うことができますように。
fumori