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森絵都『つきのふね』読書感想文


 特に、思春期の気持ちがガタガタ落ち着かない人におすすめしたい本。
とは言いつつ、私がこの本に初めて出会ったのは10代だったけれど、当時この本に対する気持ちとしては、距離を取るような、冷めた感じの受け取り方をしていた気がする。
敢えて、深入りしたくなかったのかも。頭がパンクしそうだから、あんまり深く考えたくなかったんだと思う。
本はずっと持っていたら、また歳を重ねてからも手に取れるから良いよね〜


すっかり忘れていたけれど、登場人物に「梨利(りり)」が出てきて、名前被りをしているのが単純に嬉しかった。

物語は、1998年〜1999年、そして2000年に向かっていく。
丁度世紀の転換期に合わせることで、不安定さを助長させて上手く登場人物達に投影させていた。
(あんまり世紀の概念を持っていなかったけれど、私自身が世紀の転換点に生きれたこと、なんだか嬉しく感じた。次の世紀の転換期にはこの身はこの世にいないから。)



この本に出てくる登場人物は皆それぞれ『寂しさ』を抱えながら生きていて、その『寂しさ』が物語の中で交錯することで、ある種の化学反応を起こしているように感じた。
それぞれが違う『寂しさ』の表現をしていて、それもこの小説の面白さだった。
個人的には、勝田くんの『寂しさ』の表現が分かりやすくて、子供みたいで単純で好き。
寂しさを打ち明けているところ、寂しいって言っちゃうところも好き。
単純で分かりやすくて素直で真っ直ぐな人が好きなんだろうなぁ。

『寂しさ』を誰かにぶつけて、その場限りのそれがほんの心の拠り所になれば良いのか。
遊びという名の気休めなのか。
そこに虚しさを覚えないのか。
もう麻痺してしまっているのか。
そこに愛がないのが悲しいと思ってしまうが、それは建前だけの話か。

どうしてもどうしても越えられない壁があって、潰せない何かがある。
無力だと感じる。
力不足だと感じる。
愛不足だと感じる。
そういう意味で、寂しく感じる。

何度だって涙を流す。
何度だって号泣する。
何度だって悔し涙を流す。
でも、もう向き合うことを恐れない。
私自身が輝くことを諦めない。
精一杯、独りよがりだろうが愛することをやめない。


どこからが心の病かと言われたら確かに難しくて、智さんと同じく私も心の病を抱えている1人かもしれない。
露木さんが言ったように、心の病はそんなに特別なことではない。
未来の助けてくれるはずの、安全に守ってくれるはずの、宇宙船を創り上げることを自分の任務と課すことで、心の支えにしてる気もして納得できた。


露木さんが送った手紙の内容、

人より壊れやすい心に生まれついた人間は、それでも生きていくだけの強さも同時に生まれもってるもんなんだよ。

P.173、P.212



久しぶりに眠れない夜を過ごした。
カーテン越しにお部屋が徐々に明るくなってきた。
私は自分自身の中にある『孤独』を愛しているのかもしれない。

勝田くんの言葉、
時に熱く、時に行動的で、人の心を動かす力を持っていて、思わず好きになる。

「ああ、言われなくたってわかっているよ。どうせオレはおせっかいだよ。人のことばっか気にしすぎてんだよ。でもな、オレから見りゃおまえたちみんな、自分のことばっか気にしすぎてんだよ」

P.185〜

その言葉に共感した。
世の中の何も考えない、何も人のことを推し量れない、自分の欲望だけが先行した自分勝手な言動に、とても苛立つ。とてもムカつく。とても腹が立つ。心底馬鹿馬鹿しい。
でも、それは人それぞれの生き方の問題だし、誰かに強要させる話でもない。
じゃあ、私も誰の事も何も考えない王様になれば良いやんって思うんだけど、それは私の本望ではない。


最近、嬉しかったのは「健気だね〜」って言ってもらったこと。
私の取り柄だと思う。
言葉は魔法だ。

小学ニ年生の戸川さとるくんが、つゆ木くんに宛てて精一杯に書き伝えた、「とうといもの」
私も「とうといもの」になれるように、今日も明日もこれからも前向きに頑張っていく。


何もかも、どーでもいいし!!って思うんだけど、どこまでもどーでもいいよね。で済ませられないのが私だと思う。
沢山の空想をして楽しかったが、ちょっと疲れちゃった。


読んで下さった方、ありがとうございます。
またね!

曲紹介、『羊文学/1999』

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