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れもん

夏になったら思い出すこと。

私がかつて『れもん』と呼んで可愛がった、ワンちゃんがいる。


父が福岡に転勤になり、私は福岡の中学に通うこととなった。
住んでいたマンションの駐車場の向かい側がお庭付きの一軒家だった。
車の駐車スペースの後ろが一軒家の庭で、丁度フェンス越しにワンちゃんの小屋が見える。
そこの住人は、よくワンちゃんに大声で怒っていたり、記憶は定かじゃないけど、そのワンちゃんは叩かれていたりしていた気がする。
お散歩に連れて行ってもらってる様子もほとんど見受けられなかった。
多分、名前もつけられてなかった。
怖い飼い主だな〜って印象だった。

マンションのベランダからも、ワンちゃんの様子を見ることができる。
そのワンちゃんは、夏でも冬でも大概庭にいた。

福岡の中学に通い始めて、しばらく経ったある日ワンちゃんに会いに行った。

柴犬だった。
目が合った。
意外と吠えられなかった。
見つめ合った。
ウルウルとした目がとっても可愛かった。

ふと、ワンちゃんの小屋の上を見上げたら、檸檬の木があった。
勝手に、『れもん』って名付けた。
(人の家のワンちゃんなのに、名前をつけて大変申し訳ございません!!!
当時は特に悪気もなく、名前もつけられてなさそうだから、私がつけちゃおうと思っていました笑)


その後も度々、れもんに会いに行った。
いつも、その場所に座っていた覚えがある。
「今日の調子どー?」とか「元気ー?」とか、たまに「こんなことあったよー!」とか話かけていた記憶がある。
大体、じーっと見つめてくれて、
静かに話を聞いてくれた。
時折「くんっ」と言ってくれてた。

会いに行く度に、「れもん!れもん!」って何度も何回も呼んだ。
本人?本犬?もきっと自分が「れもん」だと理解していたと思う。

ある日、父や母と一緒にれもんを見に行った時は、しっかりと吠えられた。
父や母は悪者じゃなくて、私の仲間だと説明したら吠えるのをやめてくれた。
多分、理解してくれたと思う。 

風が強い日には、生え変わった毛が風に乗って私の方に流れてきた。
フェンスもあるし人の犬だから、れもんには触れたことはなかったけど、れもんを側に感じることができた。


丁度、今くらいの夏の時期だった。
中学2年生の途中、今度は大阪に転校することになった。
引っ越しの当日、荷出しを終えて、れもんにバイバイを言いに行った。

「元気でね!」「頑張るんだよ!!」れもんに精一杯の挨拶をし、エールを送った。

何かいつもと違う感じがしたのか、何か言いたげで、見たこともないような寂しそうな目で私の乗った車が見えなくなるまで見送ってくれた。

1年と数ヶ月、れもんとの日々に終止符が打たれた。


福岡での中学時代は、よく泣きながら1人で下校していた。
とにかく、環境の変化や教育の仕方の違いについていくのに必死だった。
人間関係では軋轢を生んでいたし、
連帯責任を被ることもあったし、
廊下で正座もしたし(させられた)、
日々闘っていた。

中学のクラスメイトにも、れもんのことは話した事がないし、自分の中の秘密というか、自分の特別だった。
自分だけのとっておきだった。


今思えば、慣れない土地で慣れない生活の中で、れもんは心の支えだったんだと思う。
ワンちゃんだから、もちろん言葉は話せないけど、側にいるだけで楽しかった。

私の人生の中で、苦しい時、辛い時には、いつも何かが心の支えとして側にいた気がする。
とても恵まれている話だ。

ずっと大好きだよ、れもん!!


読んで下さった方、ありがとうございます。
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