書評:ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
最近週末も家にいることが多いので、家にある本をもう一度取り出して読み直している。
イギリス在住の著者、ブレイディみかこさんの ”僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー”もそんな中の一冊だ。
この本は著者の息子さんが中学に入って1年半の生活を書いたもので、
様々なレイヤーの多様性、アイデンティティの問題と真正面から
向き合いながらどんどん成長していく様子が描かれる。
1年半というのが信じられないくらい色々なエピソードがあるのだが、
この息子さんがとても賢く、瑞々しい感性の持ち主だ。
多種多様な人種、家庭環境の背景を持つ周囲の人と関わる中で
起こる一つ一つの出来事について、自分の言葉で考える。
彼の考察が冷静かつ知的で、ユニークだ。
本書は読み物としてもとても面白く、ぜひオススメしたい。
今回は筆者が息子さんの期末試験について描いたエピソードが面白かったので、その中で取り上げられていたテーマについて少し考えてみたい。
イギリスの学校では、シティズンシップ・エデュケーションという教育があるそうだ。
本書で翻訳されていた英国政府のサイトに記載されいているシティズンシップ・エデュケーションの目的を、そのまま記載する。
”質の高いシティズンシップ・エデュケーションは、社会において充実した積極的な役割を果たす準備をするための知識とスキル、理解を生徒たちに提供することを助ける。シティズンシップ・エデュケーションは、とりわけデモクラシーと政府、法の制定と順守に対する生徒たちの強い認識と理解を育むのでなくてはならない”
”政治や社会の問題を批評的に探求し、エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主張を行うためのスキルと知識を生徒たちに授ける授業でなくてはならない”
おそらく著者がこれをひいたのだろうという原文を、合わせて記載する。
”A high-quality citizenship education helps to provide pupils with knowledge, skills and understanding to prepare them to play a full and active part in society. In particular, citizenship education should foster pupils’ keen awareness and understanding of democracy, government and how laws are made and upheld. Teaching should equip pupils with the skills and knowledge to explore political and social issues critically, to weigh evidence, debate and make reasoned arguments. It should also prepare pupils to take their place in society as responsible citizens, manage their money well and make sound financial decisions”
実際にこの方針のもとで授業が行われており、11歳の息子さんはキーステージ3として、
・議会制民主主義や自由の概念
・政党の役割
・法の本質や司法制度
・市民活動
・予算の重要性
といったことを学ぶらしい。
日本でも小学校で議会の話くらいは授業でやったかな、くらいに思っていたのだが、
息子さんの期末試験の内容をみて、全く教育の質が違うことを痛感させられた。
最初に出たのは、「エンパシー(Empathy)とはなにか」という問題。
また少し本書の文書をひいてみる。
”「自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」
自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現であり、他人の立場に立ってみるという意味だ。”
翻訳されているのでわからないが、おそらく息子さんが書いたのは、
”Put myself in someone’s shoes” または Think in their shoes”といったところだろうか。
英語らしくて面白いな、と思う。
続けて著者は、オックスフォード英英辞典(https://www.oxfordlearnersdictionaries.com)のサイトを引用して、
エンパシー(Empathy)とシンパシー(Sympathy)の違いを説明している。
せっかくなので、本書の翻訳と合わせて辞書の記載をそのまま引用してみる。
■Sympathy
1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと
2.ある考え、理念、組織などのへの支持や同意を示す行為
3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解
1.the feeling of being sorry for somebody; showing that you understand and care about somebody’s problems
2.the act of showing support for or approval of an idea, a cause, an organization, etc.
3.friendship and understanding between people who have similar opinions or interests
■Empathy
他人の感情や経験などを理解する能力
the ability to understand another person’s feelings, experience, etc.
続けて本書で引用されているケンブリッジ英英辞典のサイト(https://dictionary.cambridge.org)の定義も、翻訳と合わせて
辞書の記述通りの内容を載せる。
■Empathy
自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力
the ability to share someone else’s feelings or experiences by imagining what it would be like to be in that person’s situation
なので著者が書いているように、エンパシーを「誰かの靴を履いてみること」とするのは、”すこぶる適切な表現”なのだ。
また辞書の定義通り、エンパシーは「能力(ability)」なのだ。
少し話は変わるが、日本人の一般的なイメージとして、謙虚、親切、気遣いができる民族といったものがあると思う。
実際に私自身も、親切で優しい人に囲まれて生きてきた自覚がある。
一方で社会人になり、社会の様々なものを垣間見るにつけ、本当にそうなのかな、と思うようになった。
正確に言うと、その度合いは人それぞれだし、それだけでは社会は機能しないのでは、と言うことを最近強く感じている。
同質性の高い社会においては、”親切”、”気遣い”と言うのはうまく機能するのかもしれない。
しかし社会で生きていくにあたって、様々なレイヤーの他者が存在する。
この場合において、必ずしも「私の考える親切」が機能するとは限らない。
また相手が「私の求めている気遣い」を他者がしてくれなかったといって相手がダメで冷たい人間、ということにはならない。
多様なレイヤーの人々で構成される社会においては、「相手が違う前提に立ってるかもしれない」と言うことを決して忘れてはならない。
何かが正しいか、間違っているかと言う判断さえも、もちろん前提によって異なってくる。
こういった社会でうまく知的に生きていくために必要な能力がエンパシーなのだ。
先ほどの辞書の定義をもう一度ひいておこうと思う。
■Empathy
・他人の感情や経験などを理解する能力(オックスフォード英英辞典)
・自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力(ケンブリッジ英英辞典)
一方で英和辞典をひくと、「共感」「感情移入」といった言葉で説明されている。
日本語の辞書に書いてあるように「共感」としてしまうと、
なんだかそこまで難しいことではないような気がする。
ただ自分がその立場にいた経験がない中で、
「その人の立場だったらどうだろうと想像すること」
そしてそれによって
「誰かの感情や経験を分かち合う」
と言うのは、時にとても難しい。
例えば自分と相手の利害が一致しない場合などが、難しいケースに当たるかもしれない。スケールの大小はあるが、そういった場面にはたくさん遭遇する。
英国でシティズンシップ・エデュケーションというものが積極的に行われ、
11歳の少年に「エンパシーとは何か」といった課題をだす背景には、
「その人の立場だったらどうだろうと想像すること」が
いかに難しく、しかし何よりも大切なことである、というコンセンサスが英国社会の中にあるのだろうと思う。
最後にシティズンシップ・エデュケーションの目的について、もう一度振り返ってみる。
”政治や社会の問題を批評的に探求し、エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主張を行うためのスキルと知識を生徒たちに授ける授業でなくてはならない”
”Teaching should equip pupils with the skills and knowledge to explore political and social issues critically, to weigh evidence, debate and make reasoned arguments. ”
今私たちは混乱の最中にいる。
そんな時、”エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主張を行うためのスキルと知識”が文字通り私たちの命を救うのかもしれない。
そしてそのスキルと知識のベースになるのが、きっとエンパシーだ。
自分一人でどうにもならないとは思わず、知性を総動員し
「その人の立場だったらどうだろうと想像すること」
「エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主張を行うこと」
またその「能力」を磨くことを決して怠らないこと、
そんなことは今私たちに求められているのかもしれない。
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