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朝、カフェで考える母のこと、これからのこと。

娘の高校留学を機に、2023年4月、メルボルンに移住しました。高校卒業までの期間限定の海外暮らし、残り316日のあれこれをnoteに綴ります。


昨日、日本に住んでいる兄と長電話をしました。3歳離れた兄は年老いた母と同居していましたが、昨年、母が精神的に弱って入院をしたので、実家にひとり暮らしです。
年末、一時帰国した際、病院の先生に一時退院の許可をもらって、正月の三が日だけ家族で過ごすことができました。先生からは初期の認知症と診断がでていて、久しぶりに会った母はかなり怒りっぽくなっていました。

入院先から老健へ

母が入院したのは昨年12月中旬。2か月経った頃、主治医の先生から系列の老人保健施設への入所をすすめられました。そこは、介護を必要とする高齢者に対して、介護サービスやリハビリなどを提供し、自宅復帰への支援を行う施設です。先生からも、兄からも老健のことを母に再三説明しましたが、なかなかわかってもらえず、“家に帰りたい”の一点張りでした。今の母の状態は家でひとり過ごすことはままならず、かといってデイサービスやショートステイなどを利用できる状態ではありません。

母のLINEに返信ができない

先週から母は老健に入所しています。母が納得したかどうかは定かではありませんが、主治医、ケアマネージャー、兄、そして私で話し合った結果、母を入所させることが現状ベストな選択と判断しました。
母は毎日、何十回も兄に電話をしているようです。朝、昼、夕、夜、関係なく、何度も何度も。入所先には携帯電話はありませんが、施設内にある公衆電話からかけています。入所したその日からずっとですから、兄もかなり参っていました。じつは、母がまだ家で暮らしていただ頃、同じようなことが私にもありました。LINEで何度も何度も連絡がありました。内容はここでは言えませんが、返事をするのに頭をかかえてしまうことばかりで、既読したままにすることもたびたびありました。

兄の気持ち、母の気持ち

昨日、兄と電話で話した内容のほとんどは母のことです。父は7年前に他界していますから、私と兄、ふたりで母のことを考えています。入院した当初は先生から前向きなお話がありましたが、今は厳しい現実と向き合っています。これからのことを考えようと思えば思うほど、先が見えなくなってしまう。老健は老人ホームと違って、3か月の区切りがありますから、都度、母の状態を見極めなければなりません。
1時間以上LINEでビデオ通話をしていましたが、声と表情ではっきり疲れているのがわかりました。普段はやさしい兄ですが、言葉の端々に少しだけとげがあり、それを自分でも自覚しているようで、さらに落ち込んでいました。そんな兄の言葉を受け止めながら、兄の気持ちを考え、母の気持ちを考えています。

老いることに抗い続けた母

今思えば、母は老いることを人一倍恐れている人でした。そのせいでしょうか、五木寛之さんの本が大好きで、“彼が言うんだから、年をとることなんて怖くない”というのが口ぐせで、“子どもたちに心配かけるようなことだけはしたくない”とよく言っていました。高齢者を元気づける自己啓発系の本ばかり読んでいました。いつまでも元気でいたくて、ジムに通い、詩吟教室に通い、市民講座で勉強をして、ついこの間まで前向きに暮らしていた母。5年も10年も前の話ではありません。

これからの私の気持ち

今私にできることはとても限られています。母のことを考えると気持ちがふさいでしまう自分がいます。そんなとき、私は2年前に気持ちよく送り出してくれた母の顔を必死で思い出しています。
noteの初回記事「はじめまして」に、私はこう書いていました。
“娘の成長を見ながら私も成長したい。”
“折り返しの人生を豊かに彩りたい。”
“直感を信じて生きていきたい。”
今もそう思っています。きっと、2年前よりも強く思っています。


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