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公演記録|EUREKA PROJECT 本番

6月から始まったユリイカ公演の稽古12回を終え、7月30日から本番を迎えた。2週に渡る全6回公演を振り返る。

公演日:7月30日31日・8月6日7日

ユリイカ!!プロジェクト
未名の踊りが立ち上がる「発見ノ現場」Vol.2
『メタモルフォーゼ、行ってきます!!』
I’m going to metamorphose!!

未知のからだを謳歌する2024年、夏。
「発見ノ現場」シリーズ第二弾!!

構成・演出・振付
鯨井謙太郒 大倉摩矢子


本番初日 2024.7.30

愛さん 神田さん

11時に三鷹SCHOOLに集合。
アップ後、九相図のシーン、女性群舞の返しをおこなった。
大倉さんから、再度、この9人の女性のシーンのイメージの共有があった。
九相図、色んな描かれ方がある中で、一例として、修行僧が女性への性の煩悩を断つために女性が朽ちていく姿が描かれたと説明があった。朽ちていくというイメージは他にも連想するものはあり、自分の中でイメージしやすいもので構わない、と話される。「耳垂れ、よだれ」と、大倉さんから身体の部位が朽ちていく順番が語られる。男性陣はこの場面は出ないけれど、大倉さんのこの言葉が耳に残っている、と後日話していた。
小屋入りギリギリまで練った海のシーンは変容して、深海、人によっては地中の中。肉体が形成される始まり。イメージは一つには統一されず、新しい生命が立ち上がる、というものになった。イメージは統一されないけれど、共有されたいくつかのイメージはあって、稽古当初から繰り返し行ってきた立ち上がりのメソッドも活用されていた。これまでに女性群舞の稽古でやってきた海のシーンでの体づくりも活きていると思っている。
女性9人で、形にすらならない柔らかいものが湧き上がる、最終的に演出されたこのシーンが私は大好きだった。

ゲネ。体力勝負だった。
自分の中でトリガーとなる場面がいくつかあって、この山を越えれば、みたいなポイントがあった。長旅とか登山をするのと似ている。どんなに遠いところでも一歩一歩踏んでいけば辿り着く、まずは一歩だ、と自分の中での暗示のようなものをかけていた。それでもやっぱり場当たりでうまくいかなかったところがあり、イメージでも再度確認をする。

私から見える風景は、ココちゃんは稽古始まり当初から変わらずノートに大事だと思ったことを書き留めていて、初舞台の田中くんは元々ある柔らかさの中に踏ん張る力強さが見えてきて、南澤さんは「本番、行っちゃってください」という南澤節が出てきていて、別な場面では温かい言葉をくれていてた。
本番前の楽屋では緊張感がグッと深くなっていて、会場から金森さんが接客をする声を聞いてワクワクした。田中くんといつものように会話をして、頭の中でちあきなおみの喝采が流れ、しばらく話していたけれど、もうそろそろ最初の出番の人が出る頃かと思って黙ると、田中くんの顔つきが急に変わるのを見た。舞台に向かっていく人の顔は様々。

去年、この本番前の緊張感が嬉しくて泣いたことも思い出した。舞台の空気。この空気がある場所に戻ってきたかったのだと分かって泣いていた。全身で喜ぶというのはこういうことだと思った。今回の身体は去年とは違う。
楽屋から出る最初の一歩。自分が動くことで変わっていく空気、お客さんの視線を感じ始める身体感覚。客入れのジャズと、開演前のアナウンスの間も踊りだった。見る人の視線を感じたり、パンフレットが擦れる音や椅子が軋む音を聴いて、空間の流れを見ていたような気がする。この冒頭の場面もすごく好きだった。

田中くん

本番のことを書こうとすると、どうしても個人の体験が強くなってしまうけれど、記録しておく。
どのシーンも自分にとって重要だったけれど、特にラストシーンは想いが強かった。6回の公演のラストシーン全てを振り返ったあとで初回のラストを考えると、まだ意識は浅瀬にあったような気がする。
この頃に気がかりだったのはラストシーンに入る前の立ち位置で、立ち位置を気にする理由は照明の当たる位置で、即興群舞の後に倒れ込むスペースがなかったり、自分が間に合わなかったりしたことがどうしても気になっていた。それは四つ脚のソロの時も同じで、空間のどこに自分が立つのか、はっきりとした自信につながっていなかった。
結局は全6回ともラストシーンの前で倒れ込む場所も体勢も違った。ゲネまではずっと同じ体勢をとるようにしていたけれど、この初日の公演で「同じ位置」「同じ体勢」という自分の中での縛りが取れたような気がする。不安が取れた、と言ってもいいのかもしれない。
全て違う位置、体勢だったけれど、その中でも一番外れていたのが初回で、自分は今、奥にいる、と認識したあとは無我夢中で、今までにやったことがない起き上がり方をしてしまった。「え、身体が起きてしまった」と思ったのを覚えている。立ち上がる体勢になるまでが早く、立ち上がるのも早く、溶けていくまでを見せる形になったのではないかと思っている。終演後に、ラストは立ち上がったところで終わった方が良かったのではないかと頭を悩ませた。そして、やったことがない動きで立ち上がりの体勢になったことにまだ驚いていて、空間のどこを向いて立ち上がっていたのかまるで思い出せないことにも気づいた。暗転後に立ち上がった時の記憶と混ざってしまったのだと思う。あとで確認をするとセンターで正面を向いていた。
初日を終えて、どこで身を投げても私の身体は大丈夫、という意識の位置付けをした。鯨井さんから「照明の位置は気にしなくていい、いくらでもフォローできるので」という言葉をもらって、ハッとしたのも思い出される。ラストはセンターじゃない方がいい、という視点ももらい、この後の本番ではラストに向かう前の位置、体勢について不安に思うことはなくなった。むしろ、ここからいかに起き上がるか、を試していたような気がする。

初日アフタートーク

この日はアフタートークもあり、お二人の出会いからユリイカプロジェクトが立ち上げられた経緯が話された。2012年、全く違う踊りをするお二人が、お互いにどういう風に踊りを立ち上げるのかを実践してみる期間があったこと、2017年からワークショップが始まったことが話された。テルプシコールとのご縁から広がりがあり、トライアル公演、その2年後に去年の本公演があったこと、この辺りからお二人の踊り、構成が混ざり始めたというお話もあった。全く違う二人の踊りが混ざっていく12年の歳月、取り組みを、「ボクシングと寝技」「幼虫と北極星」という例えで表していた。
今回の公演は予想外の14人の応募があったこと。タイトルの「メタモルフォーゼ 行ってきます」についても話された。
「メタモルフォーゼ」については「この公演に参加される方は、意識的にしろ無意識的にしろ、自分の身体を変容させたいという衝動があってほしいな、あったらいいなという思いがあった」と話されていた。
「行ってきます」については「行って」「帰ってくる」と言う意味があるということ。行ってきますと行ってらっしゃいは日本古来の見送りの祈り、というお話があった。

お客さんからの質問もあり、振り付けについて航空自衛隊のブルーインパルスの話が鯨井氏から話された。操縦士は命懸けでやるから、超感覚、ピッタリ合わせることができる、というお話。稽古場でも五人衆の群舞で同じ話をされていたことが語られ、「ただね、この話は長渕剛が言っていた」というオチはやはり会場でも爆笑だった。

楽しくて仕方ない本番が終わったけれど、公演後、メンバーの感情は様々だった。日頃から身体を鍛えてきた人、踊りを長くやってきた人ばかりではない、いろんな立ち方の人がいるけれど、踊りの場に出て自分を変容させたいという衝動はみんな同じだと思いたい。「ギリギリに立った時の衝動的に湧き上がる身体の動きは、何年も身体を鍛えてきたとかというキャリアは関係ない」のだと、アフタートークでも話されていた。
唐突にアフリカの話を盛り込むけれど、アフリカでは普通のおばさんやおじさんが物凄く踊れたりするらしい。小さい頃からダンススクールとかに通って、とかではなく、日常に踊りがある。録音された音ではなくて、生音で、音があれば踊りの場が始まるのだと友人から聞いた。
もっと踊りは身近であっていいと思う。踊りに対してこう思っています、と言葉で語ることよりも前に、形になっていない衝動はあるはずで、考えたり言葉にするよりも動いた方がわかるということはあると思う。今回の応募も衝動で、という人がいたことをメンバー本人から聞いている。
踊りはやってこなかったとしても、身体とは生まれてからずっと付き合っている。その身体が踊り始めたら何をしでかすか、分からないのが面白いと思う。もっと深い衝動。
そういうことに興味を持つ人が増えたらいいなと思う。

知子さん 田中くん 小林さん

本番2回目 2024.7.31 マチネ

昼公演、夜公演と1日に2回の本番がある日だった。
全6回の公演の中でこの日のマチネほど不思議な感覚になることはなかった。きっかけは冒頭のシーンの立ち上がりの途中で救急車の音を聴いたこと。よくよく、音を聴いた。
そのあとから身体がとても楽になって、動きも自動操縦のようだった。
田中くんがゆっくり去っていくのが視界の中にあって、焦点を合わせているわけではないのだけれど、遠ざかっていくのはわかり、感情が湧きあがったのを覚えている。このシーンは進化に取り残される存在というイメージをもらっていて、具体的に言葉になるような感情は本番のその時には認識できないのだけれど、エモーショナルな表情が顔に出てしまっていた、と後から指摘された。
顔には出してはいけない。いけない、というわけではないのだそうだけど、顔ではなく全身に伸ばす方がいいのだと。全身に伸ばして、それでも滲み出てしまった表情は心を動かすのだと、教わった。
芝居をやっていた頃のことが少し思い出された。号泣する芝居は見ていてうんざりすることがある。泣くのをこらえている芝居の方が観客は泣くのだと。
突発的な出来事が起こった後、何か意識が切り替わるような体験も思い出す。南澤さんが以前、公演中にビンタをされたことがあると言っていたけれど、私も芝居の稽古で即興的にビンタをされたことがあった。チェーホフの三人姉妹で、次女がうだうだ長台詞を言うシーンがあり、その途中でビンタをされた。あのビンタの後の長台詞は自分も知らなかった声が出てきて面白かった。救急車の音を聴いた後の状態はその感覚に似ていたような気がした。ビンタと救急車、全く違うように思うけれど、そこまでかけ離れているものでもないような気もする。

この公演は登山だ、くらいに思っていたのに、この日のマチネはあっというまだった。体力も全く必要ない。九相図の後の女性群舞のところでは笑みがこぼれ、ラストシーンも前回とはまた違う動きになった。特に立ち上がる前のうねりの動きは、どうしてできたのか分からない。「わー、まだこの身体の角度で進むんだ」と思っている自分がいた。出産の時も同じような状態になった。ある意味分離。絶叫している自分とそれを観察している自分。
この回の後の公演でもこの状態にならないかどうか探ってみたけれど、この回だけしか起こらなかった。

本番3回目 2024.7.31 ソワレ

夜公演、ソワレは旧友が観に来てくれた回で、昼のマチネでも八ヶ岳の友人、随分あっていなかった東京時代の友人たちが来てくれて、大事な人が同じ空間を共有しているということが力になっていた。
東京入りしてから滞在させてもらいお世話になっている旧友がソワレでは観に来ていて、この1週間弱の私のもがきも観ているし、自分が出る舞台を見てもらうのもかなり久しぶりで、気持ちが入った。
ソワレが終わってから友人から感想を聞けた。特に冒頭のシーンが美しかったと言っていた。「6人が去っていった後に、まだそこに余韻のようなものが残っていて、その空間が本当に綺麗だった」と。あのシーンを見れただけでも行った甲斐があったとも言っていた。
逆に九相図のシーンの感想では毒舌が出て、死に切った人と死にきれていない人の差が出ていて、ちゃんと死ね!と思ったと言っていた。死に切っていないと、死んでますというのをやっている人間が見える、とも言っていた。急に緊張して、更にちゃんと死のうと思った。
旧友、一緒に舞台やアートイベント立ち上げていたこともあり、感覚が似ているというか、共感する部分が多く、観てもらえて言葉をもらえたことは有り難かった。私個人を見るのではなく、作品や一人一人を見て感想を言ってもらえることも。

自分の中での印象としては、四つ脚のシーンが面白くなってきていたのが思い出される。稽古の中では最初の頃から四つ脚の振り付けをもらっていて、取り組んだ時間だけを考えても長い。動物の嗅覚のような身振りもつかんできて、視線、顔に出せない感情、腑に落ちてきていた。表情筋が人間とは違っていて、威嚇はできるけど、笑えない。その分、身体や背後にあるものが語るんだ、とか、それが動物同士ではわかるんだな、とか、公演後に振り返ったりしていた。

この回で入りをミスした。即興群舞で出てくるタイミングが早くなってしまった。本番初回から私が入る前の空間が空いていることが気になっていて、じっと見ていたら思わず早く出てしまった。楽屋から一歩出てしまってから、あ、まだだったと思ったけれど、出てしまったからには行くしかない、とお客さんが並ぶ通路を低い姿勢でゆっくり進んで、私の入りが早かったことを後に出てくるメンバーが気づいているか分からなかったので、手を広げて通行止め的なことをしていた。私の後ろで渋滞が起こっていてポップコーンみたいにろこちゃんが飛び出していって、あー!と思い、その後に幸さんが行き、ああ、と思い、タイミングになったので私も踊りの空間に出ていった。このミスで出てきた即興的な入り方がこの後の回でも演出として加わることになった。
間違いや偶然から生まれるものはこの世にはたくさんあるけど、ユリイカでもこういった場面が時々見られた。間違えましたと演出家お二人に言っても、お二人から「間違いじゃないですよ」という言葉をよく聞いた。「本番に本来の演出とは違ったことをやってしまったとしても、逆にそれがよかったとお客さんから言われることはありますから」と。
こう書くと柔らかさのある現場のように感じるかもしれないけれど、厳しさは絶えずある。自分が費やしてきた時間とは関係なく、作品のバランスの中で動きが組まれる。カットされたり、即興でやったことも、それはしないくていいと直される場面もあった。みんな活気立って、それぞれ自分が出る場面で熱量が上がり、それゆえ強弱、交通整理、色付けが必要に感じられるシーンがあった。個人的な視点だけれども。どう交通整理、色付けをするかはとても勉強になった。この後、一週間後の本番までの間に演出が変わる。

稽古13日目 2024.8.2 西荻窪

15時から稽古場に集まる。
その後は百鬼夜行の返し。演出が一人一人細かく加えられていった。
正面の位置、斜めであるということが再度全体に共有された。それによってシーンごとの振り付け、個人の振り付けでも正面の向きが変更される。わずかなことのように思えるけれど、大きく違うのだと思った。
百鬼夜行の色付け。動きのニュアンスが個人に伝えられる。その人の身体の癖のようなものがあり、無意識にその癖が出るけれども、意識的に踊りの形、フォームをとるように伝えられる。
振り付けがさらに加えられた人もいたり、動線指定がある人もいた。直接身体が接触する振り付けというのは今までなかったけれども、男女の絡みのようなものも加えられる。最後の即興シーンでも色付け、同線、個人によって指定されたり、されなかったりと演出があった。

私個人は本番3回を振り返っていて、ノートには、綺麗に踊ることをやめたいと書いている。表現しようとすることも。
人間になれなかった存在たちがいて、そのことを知っている人間がいる。踊りで彼らに語らせることはできるのか、など、考えていた。

稽古14日目 2024.8.5 三鷹 小屋入り

再び小屋入り。2週目の本番前日。

会場設営が終わって、全員が集合したところで大倉さん鯨井さんから作品についての共有があった。
全員の意識が、最初の入りから最後の暗転まで繋がっていない、ラストシーンの前で切れている、という内容だった。ラストシーンは一人が踊るのではない。演出としては、全体の流れがラストに向かっていくように後半の部分は作っていきたい、と話され、皆さんの意識の作り方としては、全員の意識がラストに向かう、ということが話された。私はこの言葉にほっとして、そして緊張した。

この日はラストの立ち上がりを変えていた。足を揃えずに立ち上がったらどうなるのだろうかと試してみたけれど、足を開いた状態で片足に体重を乗せてゆっくり立ち上がるのは難しかった。手は対角線に伸びていかないといけない。筋力が足りず、両方の足に体重が乗ることになった。足を揃えずに立ち上がった方がアンバランス感が出るだろうかと思ったけれど、体重を支えられず、結局安定感が出る立ち上がりになってしまった。見え方としても仁王立ちのようだったと指摘を頂いた。
身体の癖、立ち方から指導を受ける。立ち上がりの法則性を再度確認する。
みんなの時間が伸びてしまっているのが気になって、申し訳なく思った。

南澤さんが連絡をくれた。
励ましの言葉だった。急に心細くなって、今感じていることを全て言葉にして聞いてもらいたいと思ったけれど、何かがそれをとめて、全部飲み込んだ。

本番4回目 2024.8.6

朝、喫茶店に入り、作品を最初から整理するためノートに向かう。
まずは呼吸から。足の運び、片足にちゃんと乗ること、体の事実を見ること、感情が湧き上がっても顔に直結する前に身体に流す。と、ノートに書いて、夢かもしれない、と思う。冒頭のシーンは「夢の中に入っていく」というイメージに決める。

思い立って、シュタイナーの本を開く。煮詰まった時に何かの役に立つかもしれないと思い、持ってきていた。
熱体、気体、光体、感情を持つ体。本に書かれているそれそれの体の特徴をメモして、シーンに割り当てた。
稽古が始まってから何度かこの本をめくっていたことがあって、その度に目に留まっていた「薔薇十字」の箇所。この薔薇十字をラストの立ち上がりでやれないだろうかと思い、ゲネで試してみることにした。

薔薇の花の緑の樹液は、太陽の光で生み出され、欲望によって曇らされることはなく、純粋。四季の移り変わり、つまりは天体の動きと一致した生命の営み。この薔薇のように、人間の血液も利己的な欲望や衝動が純化される。

「神秘学講義」 高橋巌 角川ソフィア文庫   

ゲネで試すが、十字、シンメトリーは意味を持ってしまうと大倉さんからご指摘をもらう。途中、外に広がっていこうとする意識の流れを感じたけれど、内側に集中したくて、無視した。何かをやろうとしている時点でまるで自分中心。全くダメだった。

ゲネの後、神田さんが声をかけてくれた。自分の反省を少し話すとまた急に心細くなり、また、のみ込んだ。声や言葉を放つと途端に何かが抜けていくような気がして、黙った。今出てこようとしている感情は自分とは繋げたくなく、感情を解放したくもなく、どこか奥の方に置いておきたかった。
鯨井さんからもこのシーンに対しての捉え方、イメージをもらう。大倉さんからもこのシーンのイメージを以前から頂いていて、共通してる部分があった。
心寄せがありがたくて、感情が溢れそうだったので、煙草を吸いに外に出た。終わった公演3回の時とは全く別な場所に立っているように感じた。ラストシーンに向き合う時、どこか孤独感があって、見え方としても、生命の誕生というよりかは、孤独、みたいな印象の方が強くなっていたのではないかと思ったりした。全体がラストに向かっていく、その流れを受けて立ち上がる、というのはとんでもないことだと、また急に心細くなった。

八ヶ岳から仲のいい友人が観に来てくれていた。彼女がいる、彼女の意識と無意識と同じ空間を行くんだと思ったら力が沸いた。
ラストシーンではゆきさん、みゆきさん、小林さん、愛さんも演出が加わった。みんなで一緒に登っていくんだ。一人でやるのではない、と思って、煙草の火を消した。

本番はやっぱり面白かった。
前の3回よりも音が多く聞こえた。途中眠っている方もいたと鯨井さんから聞いた。興味深いと思った。この空間で眠っている人がいるというのは、ものすごい無意識と繋がる穴ができているんじゃないかと妄想が膨らんだ。
冒頭のシーンを自分の中で「夢の中に入る」という設定に変えて、田中くんが去っていくのが見えても悲しくなったりはしなかった。
演出で変わったことはまだあって、四つ脚シーンで流れていた曲がなくなり無音の中で動くことになった。曲がなくなったから前の3回よりもよく音が聞こえたと印象に残っているのかもしれない。
百鬼夜行で自分の動線にも演出が入った。この日だけでも本番までに一人一人微調整が入っている。動線が整理されて空間が空くということもなくなっていて、何よりもみんなの集中力が増してそれぞれの踊りにキレが見え初めていた。
ラストシーンも今までとはまるで違う印象だった。お客さんから聞こえてくる音がいつもよりも多く聞こえて動き出しを早めた。視線を集める意識もいつもよりも強く働いた。でも、立ち上がるところはゆっくりいきたいと思っていた。今まで以上にゆっくり、繊細に。音楽が入って、呼吸をした。

この記録を書くまで、忘れていたけれど、この回の立ち上がりの前で床を張っている時に、1年前に見た夢が突然思い出されて、しばらくの間その夢の映像が頭の中に流れていた。本番中なのに、記憶って面白いなと思う。

暗転、そして照明が付いて全員が一列に並んだあと、客席から友人の姿が見えた。退場する時に目が合って、嬉しくて楽屋に入ってから少し泣いた。

公演後のミーティングで、出演者から冒頭のシーンについて質問があった。
どんなイメージを個々で持っているのかと聞かれたと思ったので、自分の持っているイメージを話した。もちろんイメージだけでは動いていない。大倉さんの言っていた言葉が思い出された。「イメージがあって技術がない踊りは危うい。技術があってイメージがない踊りは虚しい」は、私の中で大事な言葉になっていた。
冒頭のシーンについて、どういう捉え方をして作っているのかという演出家お二人からお話があった。質問を投げる人がいてくれたから、演出家お二人からの意見を聞ける流れとなった。この話を聞けたことはありがたいと思った。

本番5回目 2024.8.7 マチネ

朝からラストシーンに気持ちが向かっていた。ラストの立ち上がりの前のうねりの動きを変える事にした。やろうとしている。慣れてきたのもある気がした。外側ですることは全てやめるくらいの気持ちでやろうと思った。もっと内側に起こることに集中したかった。

無音になって2回目の四つ脚シーン。時折、空耳があった。頭の中で音が鳴っているのだとわかるのによく耳を澄まさないといけないくらい。そういうことは本番に入ってから何度かあって、驚かず、頭の中に流れる音をそのままにして動いた。
九相図のシーンでむせてしまった。唾を飲むことを忘れて起こる現象。なんとか堪えようとして小さくむせた。

百鬼夜行は最後に身を投げる場面で周りと意識を共有する力が強くなっている気がした。特にロコちゃんと金森さんがどう動くかをよく感じていたような気がする。この回は3人ほぼ同時に朽ちた。でも、私はうつ伏せで、いつもとは違う大勢で、狙ったつもりはないけれどもその後のシーンでいつもと違う動きが出た。

最終回直前アフタートーク

前回のアフタートークとは違う内容が大倉さん、鯨井さんから話された。
この公演を立ち上げることにした経緯。
今年2024年のゴールデンウィークの集中合宿でのこと。3日間の合宿の中で、以前からユリイカに通っている方の身体から何か変容したい衝動があるように感じたと。それでこの公演を決めたのだと話されていた。
「メタモルフォーゼ(変態、変容)、とタイトルに入れたのは、公演に出て夏の思い出、とかではなく、これを機にものすごい変貌してほしい、向上とかではなく変貌、変容してほしいという思いがあった」と。
「ユリイカとしても6回公演をするのは初めてで、こんなに変わるんだなというのを目の当たりにした。生きた空間が変わっていくことを毎回見させていただいて、体験したことがない感情がある」と、話されていた。
お客さんからの質問があり、裸体でやるという発想はないのですか、という質問があった。そうですね、そういう演出の作品もあるのですが、と間をとってから、じゃあ夜は、と鯨井氏。また爆笑だった。
振り付けについての質問で、「魂振り」という言葉があることを話されていた。魂が振るえる。その人を見てどのように振るえるかを、ある意味共同で作っていると。

終演後のミーティング。
大倉さんからラストシーンについて言葉をもらう。「もっとギリギリ感が欲しい、あと1ミリでもずれたら崩れてしまう、くらいのギリギリ感。」
その後に、灰柱の話があった。舞踏家、土方巽のメソッドの最終形態、灰柱の歩行。土方のメソッドとは知らないで、去年の公演の稽古でそのメソッドを行なっていた。とても好きなメソッドだった。
線香の灰。煙が全部出ていってしまった後に崩れずに残っている一本の柱。
遠くに聞いておいてほしい、と大倉さん。誰もができるわけではないと。
「今のままでもよいのだけれど、もっと円さんを見たいと欲が出ているのだと思う」と、ありがたい言葉をもらった。

灰柱、私は崩れてばかりだと思った。崩れて、散り散りばらばらになるのが怖いから、立っていられないから、逃げてきた身体と思った。

本番6回目 2024.8.7 ソワレ

大きなうねりのようなものを客入れ前に感じていた。
その前に、みんなが眠る時間があった。
開場前の休憩時間、メンバーの半数が会場の隅に横になり仮眠をとっていた。会場は薄暗く、時折楽屋から他のメンバーの会話が聞こえ、誰かの寝息が聞こえ、静かな時間があった。
私も身体を伸ばした後に、少し横になった。
ずっと前に、人間になれなかった存在の話を小説にしようとしていたことがあり、その存在のことを考えていた。肉体は借り物で、完全なる憑依で、何の目的でいつまで地上に滞在するのか分からなかった。物語の中で、女性が嵐の日に子どもを産むというシーンがあった。土砂降りで、雷が鳴っていて、人間になれなかった存在はその嵐の日にいなくなった。どこにいったのか分からず、まだ彷徨っているのか、それとも別の何かになったのか。最後まで書ききれていない物語で、書かないとまだ彷徨っているんじゃないかと、妙な気分になる。
作品として生み出されるものと、そうでないもの。
あんまり形にすることを長引かせると、もっと早く形にできる人の頭の中と繋がって、この世界に打ち出されてしまうだろうなと思う。時がその人を選ぶのか、その人が時を掴むのか。イメージと夢と作品の元となる世界は誰もがアクセスできる巨大な貯蔵庫だと思う。

どこの回だったか忘れてしまっていたけれど、ラストの立ち上がりの前に、一年前に夢で見た映像が頭の中に流れていたことを思い出して、本番って何が起こるか分からないなと誰かの寝息を聞きながら考えていた。

最後の回の、楽屋から出る最初の一歩はよく覚えている。楽屋のドアを出る瞬間。もうすでに6人が深く溶けていっている空間があり、お客さんの意識はまだそれぞれで、だんだんと作品の中に入っていく流れの途中。鯨井さんはこの冒頭のシーンを「半分はお客さんが作っている」と言っていたけれど、私も作品の中に入っていく、という意識だった。楽屋から外は、別空間がある。その境目を跨ぐとき、その瞬間を覚えていたいと思ってゆっくり踏んだ一歩だった。

雷が鳴り出したのは、九相図あたりからだと思う。
金森さんのソロシーンから雨が一気に降り始めた。
百鬼夜行の即興シーンで、私の中では金森さんが起点だった。自分と対局関係にあると思っていた。私が着物を脱ぐ時には金森さんは着物で顔が見えなくなっていて、偶然なのか金森さんの演出なのか分からないけれど、面白い絵ができていた。
公演6回、着物を振り回した中で、初めて人に当ててしまった。幸さんがお客さんに威嚇する音でのけぞり、金森さんがバタバタのたうちまわる音で、もう一度全体でも動きが生まれていたり、簡単にはくたばらない妖怪たちの執念のようなものが現れていた。

エミさんのソロシーンでは再び雷が鳴っていた。
妖怪たちが去って無音が訪れると、お客さんが一呼吸する時間が感じられた。椅子がギシギシ鳴るのを聞いても、すぐに動きだそうとは思わなかった。

床があって、それと触れている肌があって、一度は少し身体が起き上がったけれど、もう一度床に落ちていった。頬で床の冷たさを感じたら雷が鳴って、それで再び身体が動いた。

これで最後なんだという認識がうっすらとあった。立ち上がりの途中で雷が大きく鳴ったの聴いて、起点が胸まで昇ると感情が湧き上がり、震えが来て、顔には出さないんだよと思い、腕が上がると顔に影ができて、影はゆっくり目の前を移動していき、同時にあかりが視界に入ってきた。空間全部を引き連れて上方に、何かが向かっていくような気がして、送り出そうとしたけれど、寂しくて、あともう少しで見えなくなってしまう、と思ったら再び感情がやってきた。まだ少し、あともう少し、と思った。暗転で顔が崩れて、明かりがつくまでの間だけ、顔まで全部開放した。自分の呼吸する音が聞こえた。

これじゃあ、「いってきます」じゃなくて「いってらっしゃい」じゃないか、
と思ったのは、確か公演が終わってから数週間くらい経った頃だったと思う。

作品、メンバーの変貌を見てきたけれど、一番びっくりした変貌は公演後のユリイカワークショップでだった。久しぶり通常クラスで、公演メンバーは2週間ぶりの再会。12人くらいが集まる中、3チームに分かれて群舞、即興で踊った。3チーム目、公演メンバーのみゆきさんが発光しながら立ち上がっているのを見た時、号泣してしまった。
大倉さんは「変容が起こりましたね」と興奮してる様子で、鯨井さんは「大倉さんが乗り移ったんじゃないかと思った」と言っていた。

公演は今年2024年の7月末、一週間後の8月頭で、今は9月の最後の週。公演の記録を書き始めて、自分でもこんなに時間がかかるとは思っていなくて、でも、濃厚だった時間をさっとは書けなくて、書きながらゆっくり消化していた気がする。
もう新しいことも始まり、いろんなことが舞い込んできているけれど、全てをやれるかというとそうでもなく、自分の中で矛盾がないかというところが物事の選択の軸になっていたり、自分の視点とは相反するものがあるから、葛藤したりできるわけで、これも力になっている。これらは公演中にずっと続いていたことで、公演が終わったら元に戻るかというとそうはいかなくて、継続。飛んだり跳ねたり、朽ちたり咲いたりしながら、変化し続けるんだなと思っている。

EUREKA PROJECT

ユリイカ!!プロジェクト
未名の踊りが立ち上がる「発見ノ現場」Vol.2
『メタモルフォーゼ、行ってきます!!』
I’m going to metamorphose!!

未知のからだを謳歌する2024年、夏。「発見ノ現場」シリーズ第二弾!!

2024年
7月30日(火) 19:00
7月31日(水) 14:00 /19:00★
8月 6日(火) 19:00
8月 7日(水) 14:00★/19:00
★の回はアフタートークあり

会場:三鷹SCOOL
https://maps.app.goo.gl/4JrcyQvUyqPDahtY7
東京都三鷹市下連雀3-33-6三京ユニオンビル5F
JR三鷹駅より徒歩6分

構成・演出・振付
鯨井謙太郒 大倉摩矢子

出演
石上みゆき
イトウエミ
金森裕寿
神田智史
久保田愛
ココ
小林崇信
田坂 円
田中毅杜
富田ろこ
丸山 幸
南澤英幸
村岡由季子
吉田知子

【ユリイカ!!プロジェクト】
Whenever Wherever Festival 2012でのコラボレーションを機に、鯨井謙太郒と大倉摩矢子によって始動。それぞれが培ってきた異なる身体作法の「今」を、あの手この手でエクスチェンジさせ、「新舞踏譜」ならぬ未知のコレオグラフィーの開拓と新たな身体性を発見してゆくプロジェクト。2017年より毎月一回開催しているユリイカ!!ワークショップでは、ジャンル以前の"未名の踊り"が立ち上がる瞬間を聖域なく探求している。2021年、ワークショップ参加者&公募メンバーによるユリイカ!!トライアル公演『生命讃歌!!』を経て、2023年、新企画「未名の踊りが立ち上がる『発見ノ現場』」シリーズをスタート。Vol.1『NAMAMONO!!PLANETS』(2023)を発表する。
【EUREKA:ユリイカ】ギリシャ語に由来する感嘆詞。「見つけた!発見した!」の意。
ユリイカ!!プロジェクト公式SNS
https://www.instagram.com/eurekaa_pro

鯨井謙太郒
Kujirai Kentaro
振付家・ダンサー・オイリュトミスト。仙台市出身。笠井叡に師事。東京と仙台を拠点に国内外で活動。KENTARO KUJIRAI コンペイトウ主宰。『阿吽山水』、『GINGAN ARAHABAKI 銀眼荒覇吐』など、オイリュトミーや舞踏の枠に収まらない舞台作品を国内外で発表。CORVUS(2010-2022)。WEU。世田谷美術館美術大学身体表現講師。第50回舞踊批評家協会賞新人賞受賞。令和元年度宮城県芸術選奨舞踊部門新人賞受賞。http://kujiraikentaro.com

大倉摩矢子
Mayako Okura
舞踏家。1999年より舞踏家大森政秀(天狼星堂主宰)に師事、天狼星堂公演に出演。2001年よりソロ活動も始め、2002年 ラボ20#13(横浜STスポット)に出演、ラボ・アワードを受賞。2004年 第35回舞踊批評家協会賞新人賞を受賞。近年では台湾国際暗黒舞踏芸術祭、アジア舞踏フォーラム出演。海外での舞踏ワークショップ、国際的な舞踏交流企画の主催・運営も行い、国内外で精力的に活動している。http://mayakoookura.com

宣伝美術
南阿豆

主催
ユリイカ!!プロジェクト

【公式YouTubeチャンネル】
EUREKA PROJECT👉https://youtube.com/@eureka-project?feature=shared

・ユリイカ!!プロジェクト公演_Documentary
1👉https://youtu.be/c63YzjO5koI?feature=shared
2👉https://youtu.be/Z638fd5V274?feature=shared
3👉https://youtu.be/iuBdOWAzEGw?si=088Aj-SXoSLN8_FL

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