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「期待しない」は、諦観か達観か。

こんにちは。社会人大学生のまどかです。

今日は「人に期待をしない」という価値観について考えてみたいと思います。

このテーマに触れるきっかけになったのは、
先日、セブンイレブンで出会った
スーパーおばあちゃん店員さん👵の振る舞いです。

その出来事から私が感じたこと、
そして「人に期待をしない」という価値観について
深掘りしてみたいと思います。


スーパーおばあちゃん店員👵


朝、コンビニに立ち寄ったときのこと。

レジにはおばあちゃん店員さん👵が一人で立っていました。

そのとき、レジ待ちの列ができていて、
店内は忙しい雰囲気。
しかし、もう一人の若い店員さんは近くで商品を陳列しているだけで、
レジには助けに来ませんでした。


通常なら、「レジ応援お願いします」というアナウンスが流れるか、
誰かが声をかけて助けに来るものですが、それもありません。

若い店員さんも気づいた様子でしたが、
自分から動くことはありませんでした。

そんな中、おばあちゃん店員さんはどうしたか。


なんと、
ひとりで二つのレジを開けて対応を始めたのです。

レジに商品を登録し、支払い操作をお客さんに任せている間に、
隣のレジに移動して次のお客さんの商品登録をする。
そして再び最初のレジに戻る…

これを繰り返して、次々とお客さんをさばいていったのです。


その手際の良さと冷静な対応に、
私は思わず「スーパーおばあちゃん」と名付けてしまいました。

一方で、若い店員さんに対して
「なんで助けないの?」という気持ちも湧いてきました。



おばあちゃん店員さん👵は、
一見すると助けを求めるでもなく、文句を言うでもなく、
ただ淡々と目の前の仕事をこなしているように見えました。

その姿には、どこか「諦観」とも「達観」ともとれる空気がありました。

「どうせ誰も助けてくれないから自分でやるしかない」という諦めなのか、
それとも「こういうものだ」と割り切っている達観なのか…。


私が感じたのは、彼女の振る舞いに隠された
「人に期待しない」という価値観です。

この「人に期待しない」という考え方は
どのようにして形成されるのでしょうか?


「人に期待しない」はどう形成されるのか


人に期待しないという価値観は、多くの場合、
経験を通じて形成されるものです。

ただし、それがポジティブな形で身につくのか、
ネガティブな形で身につくのかはその人の状況や背景によって異なります。


幼少期・青年期
幼少期や青年期は、他者に期待することが大きい時期です。
この時期はまだ自分自身が未熟で、環境をコントロールする術が乏しいため、
親や友人に頼る場面が多くなります。

しかし、約束を守らない親や裏切りを経験する友人関係など、
他者に対する期待が裏切られる経験を繰り返すと、
「期待しすぎるのは危険だ」という認識が芽生えることがあります。


 成人期
成人期になると、仕事や人間関係を通じて
「他人に頼りたいけれど頼れない」という経験をすることが増えます。
その中で、他者に期待するよりも
「自分でやったほうが早い」と考えるようになる人もいます。
このような経験を通じて、他者への期待を減らし、
心理的な安定を図る人も多いです。


成熟期
さらに年齢を重ねると、
期待しないという態度が単なる諦めではなく、
達観した価値観として洗練される場合があります。
この段階では、他人に過剰に期待しなくても、
自分と他者の関係を健全に保ちながら調和を図ることができるようになります。


「人に期待しない」の利点と課題


利点

• 他者への依存が減り、ストレスが軽減される。

• 現実的な視点を持ち、対人関係がスムーズになる。

• 自分の成長に集中できる。


課題

• 他者との関係が希薄になる可能性がある。

• 過剰な自己完結により孤立感を感じる場合がある。

• 他者への期待を手放しすぎることで、人間関係の喜びや相互支援の意義を見失うリスクがある。


スーパーおばあちゃんが教えてくれたこと


スーパーおばあちゃん店員さんから学んだのは、
「人に期待しない」という価値観が
諦めではなく成熟した形で実践されると、
自分と他者のバランスを保ちながら安定した生き方を実現する助けになるということです。


ただし、大切なのは、
期待を完全に手放すことではなく、
適度な期待を持つ柔軟さを忘れないこと。

そうすることで、豊かな人間関係を築いていくことができるんだろうな。


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