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障害者になるという事とプライドのはざま

ある日、突然、「障がい者」になるーー
自分には無縁だと思っているほど、その現実は受け止め難い。

生まれつきの方もいますが、今回は中途障がい者(健常者が障がい者になってしまった方)について思うところがあったので書き残したいと思います。


「障がい者カード」という言葉を聞いたことがありませんか?
最近の日本ではそれがなんだか資格の一種のようなもので、障がいが認められて「障がい者」となったら就職にも障がい者枠で入りやすい、とか色々配慮してもらえたり、逆に障がいを理由に働かない(働けない)という事を肯定できるものだったり…
「障がい者カード」の切り札が欲しい人が増えたなというムードを感じているのは私だけでしょうか。

私はこれが悪い流れだとは思っていません。
障がいをオープンにできる国になったんだな、と感動すら覚えます。

20年くらい前ではまだ、障がいをオープンにしたいと思える社会ではなかったと思うし、障がいを告げるとあからさまに差別を感じる事も多くてすごく苦しかった。

でも今は「あっ、そうなんですか」というすごくあっさりとした反応がほとんどなんです。
だから気持ち的にすごく楽になりました。

障害を告げるたび惨めな思いに支配されていたのは、もしかしたら私の気のせいだったのか?と思ってしまうほど。

発達障がいという言葉もここ数年で目にする機会が増えました。
人とは違う違和感を感じながら生きづらさを抱えている人達にとっては、よく知られる言葉になり、それだけ症状を「なんとなく」でも知ってもらえるという事は良い事なのかなと思います。


外国人も増えて、色んな人、宗教、文化があるんだっていうベースがある。

だから今の若い人たちって考え方が柔軟でいいな、と感じています。
ただ。40代とかそのあたりの人たちって幼少期はまだ、障がいをオープンに出来ない時代を過ごしてきたと思うんです。
受け入れられにくい時代だった。

だから、自分も障がい者に対してマイナスイメージしかなくて、自分の障がいを受け入れられない、受け入れたくない…
それは健常者だった人生がある人ほど強い傾向があるようで、本当に苦しそうです。

私も「ちょっと耳が悪い」と「聴覚障がいがある」を使い分けていた記憶があります。
親しい人にほど、「障がい者」である事を知られたくなかった。
障がい者って知ったら「あぁ、私達健常者とは違うのね」ってみんな私から離れていくだろう…友達や好きな人には絶対知られたくない、とずっと思っていた。
親しくて、この人とは仲良くしていたいなと思う友人には「ちょっと耳悪いんだよね〜」とものすごく軽いトーンで言い、しかしながら一方では学校や勤め先には「聴覚障がい者」という事実を言わなければならない。
…歪みもしますよね、心が。

私自身はその負の連鎖を抱えきれなくなって、19歳からは「耳が聴こえません」とはっきり言う事に決めて、それで離れていく人とはそれまでの縁だと、それはもう涙を流しながら覚悟を決めた日というのがあったんですが…。

こんな風に割り切れる人ばかりじゃない。

例えば事故で突然足を失った方が、「もう脚は無いのに、足先の感覚がある」という人がいる、という。
感覚はあるのに実際にはもう脚はないので、今までと同じように歩いたり走ったり、思うままに動く事は出来ない。

自分の心で「脚はない」事実を受け止めたとして、必ずしも脳もそう認識してくれる訳ではない。

他の障がいに関しても同じ事が言えるのではないかと思います。

本人の中では「健常者だった時の記憶」があって、その記憶と本人のアイデンティティとは切り離せない。
記憶に縋っているわけではなくて、これは健常者でも同じですが「今の自分」を構築するものは「過去の自分」なのですから。

その「過去の自分」に、障がい者は差別される、という時代に生きてきた認識があったとしたら…。

自分の立ち位置が定められない

身内のものが障がい者枠で就職しました。

元々彼は一般枠でアルバイトをしていてお金には困っていなかった。若くて体力もあったからたくさん働いていました。ただ、いつまでもアルバイトでいいのかな?と思うところがあり就職したものの。(アルバイトなら一般枠で雇ってもらえることはあるのですが、社会保険なども含む就職となると障害者枠でないと厳しいという現実があります)

障がい者枠30歳前の彼の手取りは月12万ほどと聞いてショックでした。
彼は一人暮らしをしており、会社はもちろんその事を知っています。残業をしないという会社だそうで、それは素晴らしいのですが残業代も稼げないという事です。

東京で手取り12万ではかなり切り詰めても厳しい。結局彼は会社の許可を得て、週末にスーパーでアルバイトをしていました。
平日はフルタイムで働き、週末はアルバイト。
休みに遊びにいったりなんてできるはずもありません。
次第に精神的に不安定になっていき
「頑張っても希望が見えない…」そんな言葉も聞きました。

障がい雇用というものは大抵、お給料が一般枠の方より低く設定されています。
これは、障がいによってできない事があるので仕方ないと思うところもあるのですが…。

障がい年金を受けている場合、少しはそれでカバーできますが、彼は障がい者手帳の等級が3級だったのでとても貯金も出来る状況ではありませんでした。

私から見て、彼の聞こえは3級だとは思えませんでした。
病院で検査して、2級になるのではないか?そうしたら障がい年金は少し増えるから、なんとか生活していけるのでは?とお話して、病院に行ってみてもらいました。

結果、彼の障がい等級は2級という無が判明し少し障がい年金が増えるようで、こちらとしては「よかったね」という気持ちだったのですが、その本人は
「3級から2級に落ちた」という事が相当ショックだったみたいです。

彼は健常者として過ごした人生もあって、おそらく昔の私のように自分の障がいを受け入れているようでも、「健常者だったプライド」(それがアイデンティティでもる)があるのでしょう。

でも、実際には今の彼は聴覚障がい2級です。3級の時より出来ない事が多いのが現実。
周りから見てもその事実は確かなのだけれど、肝心の彼は3級のままだと思い込んでいて、そうでありたがった。
出来ない事が増え、給料は少なく障がい年金もわずか…結局借金に手を出してしまったくらいに困っていたにも関わらず。

話は変わりますが、最近役所の生活相談員の方と話す機会がありました。
その時に話してくれた男性が「男の人は特に、障がいとかあっても認めたがらない。プライドから嫌がる事が多いです」とおっしゃっていました。

分からなくはないのです。
私もそうだったのですから。

でも障がいを受け入れないと生きていくのは大変です。
受け入れれば精神的にも楽になるかと言われれば、それはイエスとは言えません。どちらにせよ葛藤もあるでしょう。

中途障がい者は健常者にも相談できず、生まれつきの方にもケースが異なるので相談できない方が結構いるのではないかと思います。

そして昭和〜平成初期を生きてきた私たちはあの差別感は簡単に忘れることもできない。

でも受けられる助成があるのとないのとでは想像以上に違う。
気持ちの、生活の、困った時の、大きな助けになります。

だから、この障がいをオープンにできるようになってきた日本に喜びを感じつつ。

まだ自分の障がいを受け入れる事に苦しんでいる人が少しでも楽に生きられるようになったらいいのに、と願うばかりです。


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