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『建築家の解体』を読んで

本書籍を読んで、自身が感じたこと、考えたことをつらつらと書こうと思い、noteとして発信して記録しておこうと思う。なるべく感想などにとどまらず、私自身の経験や考えと織り交ぜて書くことを意識して書いているため、本の内容をまとめたものではないということを先に断りを入れたい。このnoteの構成については、冒頭は松村淳の『建築家の解体』を読んでの感想、それ以降は、自身が考えている建築家として取り組んでいきたいこと、といった具合で構成されている。
以前に”DIYを考える”というnoteも書いているので、特に今回のテーマとは関係はないが、合わせて読んでくださるとうれしい。

『建築家の解体』を読んで

まずは、感想から
この本の内容を一言でまとめると、”前半は建築家という職能と世界に対する分析。後半は戦後から現代に至るまでの後期近代の日本の建築家の職能の変遷”といったところではないかと思う。
個人的には、3章2部のP138の”住宅産業の誕生と建築家”以降の内容に対する知識が乏しかったことから、建築家の苦悩のようなものが知れて面白かった。
 特に戦後の住宅不足を皮切りに、日本の建築家の多くは住宅を手がけることを社会課題として取り組んでいき、その後大量供給可能になると、都市という過密な中での暮らしというものに社会的課題を移し、その後の近代を乗り越えようとするバブル期のポストモダン、最後に現代といった流れで本書は綴られているのだが、建築家の変遷が節目ごとだけでなく、間の過渡期の葛藤なども含め順を追って分析されている点が建築の著書とは違い新鮮な感覚を覚えた。建物の歴史の変遷でなく、”建築家”の変遷、つまり建築家の社会課題との向き合い方の変化が知れる点も、本書ならではポイントだろう。私は、学生時代に「建築の歴史書を読むときは、その時の社会情勢や、社会変化などにも着目しながら読むと深い理解に繋がる」と教わった。その意味でも深く理解することを助ける書籍であると思う。

そもそも何故
・篠原一男は住宅論の中で”住宅は藝術である”
と言っていたのかや
・安藤忠雄の住吉の長屋は何故評価されていたのか
など、

恥ずかしげもなく言うと、ちゃんと建築の背後にあるモノゴトを含んで歴史の流れの一部として組み込めていなかった。本書のような日本にフォーカスした後期近代の建築家の動きをまとめた本を読んだ経験がなかったこともあり、内容で初めて知ることも多かった。本書は、後期近代の日本の建築史の輪郭に広く触れるためにも有効だと思う。

追伸、是非、建築史の本で後期近代系の抑えておくべき本があれば何かしらの形で伝えてもらえると嬉しいです。

感想は以上である。

~二つの新しい局面を、目の前にして感じた悩み~

次に後半に入っていきたい。ここからは基本的に自分の考えである。※間違いもあれば、確かな調査を行ったわけでもないことを先に謝罪します。

~二つの新しい局面を、目の前にして感じた悩み~
『建築家の解体』を読みながら、建築家の向き合ってきた社会性が刻々と変化していることに改めて気づかされた。読んでいると、自分でも気が付けばあれやこれやと、これからの建築家としての戦略はどうなっていくのだろうと思考をめぐらせていた。以前昨今起こる新しい出来事に対し悩みのツイートを連投した。


”ちょっとした悩みなんだけど。ここで吐き出したい

脆弱になった国の動きに見切りをつけ、一部の強いプレーヤーたちによる公共的動きがフォーカスされている事例を見ることが肌感覚で増えてきたように感じる。

私はこの動きは建築家的だと思う、でも多くは建築家ではなく建築外の人から発信される事が多い

藤村さんは公共建築の運営を建築家として担うというやり方をとっていて、建築家の職能を引き継いでいる感じがする。でもさらにその外側に目を向けてみると強いプレーヤー達による身銭を切った戦略が盛んに行われていて、そのプロジェクトの建物担当が建築家みたいなイメージになってきてしまってる印象を持つ

また別視点でみて建築にかなり近い存在で言えば、リノベーションスクールなどはシステムを作ってプレーヤーに対するきっかけづくりをしてる。
ただ、このシステムはイベント的な動きに近く、思想を持った強いプレーヤー発掘調査に近い印象をもつ。

社会課題への向き合い方として、強いプレーヤー達の建築家的動きに共通しているのは、運営にまで入り込む事。恒久的な物として機能していく必要があると感じるため、リノベーションスクールとは別の建築家的アプローチが取れる事が必要であると思う(現状は、プレーヤー不足な現象に陥ることが多々)

今の建築家はこうした現状に対し、どう感じているのだろう。一部の強いプレーヤー達の思想を借りて、依頼が来て作るだけで、本当に良いのだろうか。個人的には自らが強いプレーヤーへの階段を登る必要があると思っている。

いつまでもアトリエにこもって徹夜する状態を修行としていると、あっという間に建築家という存在は強いプレーヤー達に取って代わられて、社会的思想は前もって準備され、依頼が来るころには完成していることにならないだろうか。

何が言いたいかというと、建築家という存在が、このままでは所謂良い建築を作れる丁寧な業者へと転落していくことに繋がるんじゃないかと最近の動きを見ていて、個人的には思う節が増えてきている。これはつまり建築家になるためにアトリエに行くというスタンスが崩壊してきてる気がする。

不平不満を述べているのではなく、本当に長いこと社会性を持って活動している建築家たちの外側では、官から完全に距離を取った建築外の強いプレーヤーたちの存在が現れ始めていることを知り、自らが何か考えて、実務の他に挑戦していくことを作る時間を確保する必要があると思ってるのだ。

このように感じる若者達意外と多いんじゃないかと勝手に思ってるのだけど違うかな?

頑張りたいと思う物事を思想を含めて、実行していく力を身につけていかねばならないし、その時は、すでに満ちていると思ってる。

長々と悩みのツイートでしたー。”


とまあこんな感じで、バリバリの深夜テンションで長々と連投したのでアトリエ云々の部分は多めに見ていただいて、、、、それでも新しい動きを目の前にした自身の中の悩みとして確かに今も思っている。この悩みを個人的に振り返ってみると何かが分かるのではないかと思って深掘りしてみることにする。

①建築家とはみなされないものの出現~現代は過渡期なのではないか~

住宅が建築家の職能になり得るか、なり得ないかといった議論が起きたことが『建築家の解体』にも記されていた。それは、建築家の取り扱う社会性が変化していくものであることを意味している。

まさに、現代は建築家の取り扱う社会性が変化してきており、その過渡期に入ってきているのではないだろうか。『建築の解体』では山崎亮や谷尻誠の存在を取り上げている。結果として今は建築家として認識している人も多いかもしれないが、初期は異端な存在だった。従来の建築家と違う点はソフトに踏み込んでいく姿勢である。
これはおそらく、モノが必要だから発注が来て、モノをつくる時代つまり作るモノ、そのものに元々社会性が備わっていた時代が次第に終わりを迎えつつあり、そうした状況から依頼そのものを自らが手がけ、必要だと思われるものを作っていく姿勢、つまり社会性を獲得するところから建築家として仕事を行う。このような存在が新しく現れたとも言えるのではないだろうか。
今はまだ王道の建築家とは少し違うかもしれないが、過渡期として捉えてみると、これは現代の建築家の職能の一つとして認識できると考えている

②公共的小商いの出現?

長いこと公共建築を作ることが建築家の社会的取り組みとして結びついてきた。それは、建築技術の発展に寄与するための活動であったり、利益を生みにくいが社会的に大切なもの、文化や福祉といった側面を公共が担う、だからこそ公共建築と建築家は結びつきやすかったのだろう。しかし近年では、民間で独自に公共的動きを見せる人々が現れてきている。(もしかすると国営の民営化なんかもこうした動きを生んだきっかけになっているのかもしれない。)

税金を使って公共建築を計画している傍ら、街の人々つまり民間人が各々手を取り合い小規模版の公共的な建築を自ら作り、運営していたりする。これを私は’’公共的小商い’’と呼ぶこととする。こうした公共的小商いは、自身の知りうる人たちの中に限ってみても少なからず増えてきている印象を持つ。例えば、富山県船橋村では日本一小さな村に学童を作る動きがあったり、徳島県神山町は一時は「消滅可能性都市」となりつつも若者を呼び込む仕組みとして集住や図書館が設立され、最近になっては高専まで設立する民間業者が現れている。この動きは私益にとどまらない、公共的なものである。むしろ国の動きでカバーできない公共的動きを自らかって出ているといった形だと私は思っている。

場を作って終わらず、運営に携わる。おそらく場を運営していく組織体制を作ることが最も重要だと考えているからこそだろう。この動きは従来の建築家的でありながらその職能を凌駕する存在のようにも感じている。

これもまた、新たな動きの一つとして私は捉えている。
二つの状況を見てみるとどちらも人口減少に伴う動きであることがかんがえられる。①では必要だから作る時代から作る時代から意味を見出していくところから始める建築家の存在、②では必要なものを国からの援助を待たず動くプレーヤーたちがいるということである。この変化に私たちはどう向き合えばいいのだろうか。

”20代建築家の卵”(修行の身)の戦略~建築家として時代の変化と向き合う~

この二つの新しい動きの中で私なりに意識している実践がある。それを今回はnoteに書いて終わろうと思う。

①社会性を持ったプロジェクトであれば、建築以外のアウトプットでも参加する

そもそも建築家教育の持つ守備範囲はもともと広い。大量供給できないアトリエの作る住宅の一つ一つでもテーマが見つかりさえすれば社会と接続でき、十分議論されうるポテンシャルを持つ。
ましてや、山崎亮のように作らなくてもこうして議論の的になるのだ。

なぜその物事に取り組んだのか、取り組もうと思ったのか、その実が問われアウトプットは何であれ一つ一つのプロセスと目的が問われる。それは時代を問わず、実はずっと長いこと建築家の職能と結びついていた。モノとコトなどのように分割して考えるまでもなく、ずっとそうだったのだと『建築家の解体』を読んで気づかされた。
建築という”モノ”寄りの言葉に縛られすぎると、本質を見失う気がするからこそ私は、アウトプットが建築でなくとも全てが建築だと思い挑戦することにしている。

②様々なセミプロとして活動する

私は、建築家になるのであれば、二十代はスキルを磨く時であり一つの物事に絞って取り組むべきだと考えてきた。その方が効率的に学べるし、早くスキルが身につくからである。しかし人手不足と情報社会はこれからどんどん加速して行くことが考えられる。そうした意味でさまざまな領域に手を出しては一つ一つ学んでいくことはこれからの時代、建築家の職能の広がりに反応するためにも非常に有効だと考えている。また、一つの領域だけでは考えることのなかったであろう判断基準が軸として身につく。当たり前と言えば当たり前だが、建築を考えながらPRを考えたり、運営を考えたり、今までになかった領域での設計が可能になる。
何に役立つかはまだわからないものでも、無駄は決してないのだと安心してセミプロ活動を続けている。

こうして振り返ってみると①②の活動は領域の横断に挑戦しているということなのだと思う。

③地方への足掛かりを見つける

三つ目は地方への足掛かりを見つけるということだ。長いこと、社会を語る上で都市は重要な場であった。もちろん、今でももちろんそうである。ただ、その外側を改めて見つめると、地方の抱える課題も目の当たりにする。先程悩みを深掘りした際にわかってきたことに、人口減少という大きな流れによる社会性の変化があった。それに伴う建築家としての新しい職能の発生が考えられた。さらに言えば地方は都市よりもプレーヤー不足と資本不足がより深刻である。そうした場に身を置くことは、これからの建築家の職能を身につける上で非常に重要だと私は考えている。

終わりに

今はまだ建築家といえばアトリエに行くことが王道であることは間違いがない。私もそのアトリエに片足を突っ込んでいる身分のものでもある。しかし日頃から感じる違和感はどうしても拭えなかった。建築家としてどうあるべきかと自身に何度も問う日々が今も続いている。その中で本書に出会い、考えていたことを頭の中だけでなく文字にすることで振り返り、分析してみようと思えた。文字にしてもやはりふわふわした曖昧なものである。それでも自身の感じていることは十分に吐き出せた、とても良い機会だったと思う。
最後まで読んでくださった皆様ありがとうございました。おそらく同じような感覚を持たれている方もいたのではないかと思います。特に建築家の卵としてこれからどのような日々を送ろうと考えているのか、そういう議論ができる機会なんかあれば、是非とも参加したいです。ぜひお声がけください。長文となりましたが以上で終わりにとさせていただきます。ご精読ありがとうございました。


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