カードゲームにコーチングはあったほうがいい
カードゲームにコーチングはあったほうがいい。
英語圏ではプラットフォームがあり、ポケカ、MTGなど複数タイトルのコーチングの申し込みができる。しかし、日本語圏ではまだ一般的ではない。
断っておくとポジショントークではない。コーチングを自分がやる予定は今のところない。
なんなら、私は誰にも師事することなくMTGを初めて一か月でオンラインランク一位になったし、そのまま2年でプロになったので、どっちかというと存在そのものがコーチング不要論の根拠に使えそうな人間である。
しかし、コーチングはあったほうがいいと思うし、コーチングがあったほうが得する人の方がコーチング不要論を唱えていたりする。
自分に直接の利益はなくとも、一カードゲーマーとして、教える仕事をする人がいて、それに価値があると思ってお金を払う人がいることは素晴らしいことである。なので、しっかり書いてみる価値はあると考えた。
コーチングはあったほうがいい
あったほうがいい。なぜなら、ある程度選択のゲームはミスをなくす競技の側面があるから。なぜミスをしたのか。ほかにもっといいプレイがあることに気づかなかったからである。では、なぜ気づかなかったことをもう一回やれば気づくことができるのか?慣れで上達する部分とは別の気づきで上達する部分は判断のゲームには間違いなくある。一回気づかなかったことは多分次も気づかないし、二回気づかなかったら三回目はもっと気づきづらいだろう。
基本的に「こういうときは常にこうせよ」というような単純な万能の答えは存在しない。しかし、人はこういう簡単な答えが大好きで隙あらば飛びつく。「〇〇するだけで儲かる」、「〇〇するだけでモテる」という広告が多いのはなぜか、飛びつく人が多くて金になるからだ。しかしそんなものは大抵存在しないし、「こうすればだれでも絶対にうまくなる方法」も同じく存在しない。にもかかわらず、「練習量がすべて」というような根性論はじめ、杓子定規な論法がまかり通っている。そして、それを信じている、とまではいかなくても、そうかもなあと思ってしまう人は自分で自分の間違えに気づいていなくて今後も同じ間違いを続ける可能性を認識できていないからそう思うのである。そういう人こそ、誰かに気づかせてもらえなければずっと間違い続けるからコーチングがあったほうがいい。
コーチングへの解像度
コーチングには誤解があると思う。「教えてもらう」というひとくくりで捉える人が多く、コーチングの良しあしが議論されないため、必要性が認知されていない部分がありそうだ。
コーチングとティーチングは違う。一般TCG理論本で元プロプレイヤーで現在コーチング事業の経営者のあむさんがこの違いについてはっきり書かれていて二つ引用したい。(重要性が理解できている人やここで理解できた人は、自分のような門外漢の記事だけではなく、ぜひあむさんの記事を読んでください。)
授人以魚不如授人以漁
人に魚をあげればその日は困らないが、釣りのやり方を教えれば一生困ることがないことの意味。答えがあり、それを教えるというのが、悪しき学校の外では使えない「お勉強」のイメージとしてあり、その間違ったイメージがそのままコーチングにも当てはめられている印象がある。答えを教えるだけであれば、そのゲームがうまい人ならだれでもできるが、どうしたら次に自分でそのプレイをできるようになるか教育することは、そう簡単にできることではなく、その難しさ故に恩恵を受けた経験のある人が少なく認知されていない。
傾聴力がすべて
釣り方を教えるには、釣りができない個人に寄りそう必要がある。信頼され相手から情報を引き出し寄り添わなければならない。先だって教えてもらう側があり、それに対する教育があるべき。先だって学ぶべき問題と答えがある誤ったお勉強のイメージとは逆。
そんなことはない、コーチングはいる
よく見るコーチング不要論について。
よくあるコーチング不要論1:本当にうまい人はコーチングしてもらってうまくなっていない
因果関係が逆。自分の改善点に自分で気づいたり、はじめの間違いの数がそもそも少ないような人は、その分さらに先に行くために時間を使えるのでどんどん先に行けるのは当たり前である。コーチングが必要ない人はコーチングを受けなくてもうまいだけで、誰かに教えてもらうとうまくなれないというわけではない。論法としては、「病院にいる人は病気の人が多いから、病院に行くと病気になる」ぐらいおかしい。そもそもカードゲームのコーチングが成熟した業界ではないことも、コーチングでうまくなって活躍している人が滅多にいない理由である。
因果関係としては、「コーチングが必要な人には必要」が正しい。そういう人は一定数いるのであったほうがいい。
よくあるいらない論2:教えてもらったけどうまくならなかった
その人がよくなかっただけではないのか?論法としては、「医療事故が起きたから医者という職業をなくせ」ぐらいおかしい。そもそもゲームのコーチングというものが歴史の浅いものなので、よくないものを叩くより、よくないのならよくしようの精神で一緒に頑張ろうぜ。
以上、カードゲームが教える価値のある技術の蓄積される場であることと、カードゲームが教えてもらう価値があると思われるものになることを願って。