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大教室の後席でぺちゃくちゃしてる馬鹿どもへの制裁方法を募集しています。

手段の目的化より、目的の手段化の方が怖い。
好き、は好き、であるだけで良いのに、ドライアイス、みたいです。熱が入ると簡単に昇華してしまって、社会正義?のためにやらなきゃいけないみたいな顔をしてきます。飄々と生きる、って案外大事なことなのかも、とか思いますね。

皆さんいかがお過ごしですか。
大学デビュー、というより、アニメ『頑張って生きているつもりです。』シリーズの新シーズンといった感じで、僕は頑張って生きているつもりです。

大学、本当に面白い。
まず「この人、何のためにこの職業してるんだろう」と生徒に心配させてくる先生がいない。気になる、と思う先生はいらっしゃるけれど、きっと、なんだかんだ好きなんだろうなって安心できる。
そのうえで「今行われていること」の目的、が言語化の有無を問わず理解できる。興味のある”目的”の授業を履修すれば良い、ということ、教授と一緒に”授業”を試行錯誤すること、大学はちゃんと学びの楽園でした。

大学は新しい人との付き合い方を考えさせる場所でもあります。
出会う人の初対面率90%越えWEEKを終え、1つ見つけたことがありました。

僕は、どうやら"物語"を面白いと思うらしい。
例えば目の前に自動販売機が置いてあるとして、確かに「自動販売機を集中させて一列に並べるの訳が分からない!ふと飲みたくなった時のための自動販売機であるのだから、分散に分散を重ねろよ。」とイライラすることはあるけれど、それがごく普通の自動販売機であったならそれ以上、たぶん、何も思わない。でも、その自動販売機が置かれていた場所の隆起/沈没のダイナミクス、BACKにある建物の推移、行き交う人の変遷、自動販売機ユーザーの自動販売機を前にして行われる短い会話の蓄積、をもし知ってしまったなら、あるいは想像してみたなら、「お前、今日もお疲れな」と労いの言葉の一言や二言、かけてやれるかもしれない。あるいは、「お前はいつもそこで飄々としているな」と、”冷たい”缶コーヒーを握りしめて、その佇まいに憧れすら抱くかもしれない。うん。
抱くかもしれないじゃないか。もしかしたらだけど。

何が言いたいのかというと、僕はその人のことを何も知らない状態でおススメのネットフリックス作品とか言われても、あーこの自動販売機のモンスターは200円で少しお得なんですねー、程度にしか思わないんです。それをお互いに言い合って適当な相槌を繰り返すの、いや俺はネットフリックスの市場調査がしたい訳じゃないし!と思う。いや、ね。流石に僕はもう18歳の大人だから、そういうウッスい会話を少しずつ掘り下げていってその人の本質に近づこうとしているのは分かるんだけど、スコップでマントルまで掘るのは流石に厳しくない?と言いたくなるし、スコップを突き合うときの微妙な空気の読み合いが、僕には耐えられないみたいだった。

僕は君の物語が知りたかった。
物語を知ったうえで、今の君と接してみたい。君という物語に突如として登場した存在としての自分を意識していたい(それが、その人のことを想う、ということなのではないか)。

所詮人の紡ぐ物語なんて、主観という名の嘘でご都合しているだけの虚構(フィクション)なのは重々承知しているのだけれど、それを語る様子から僕は君の(僕だけの)物語を想像できるようになる訳だし、時が経つに連れて、真に君は僕と違う世界に生きていることが分かる。ネットフリックスは絶対そのあとで良い。君の物語に登場したものとして、僕には理解しきることのない"面白い作品の話"をしようじゃないか。
君は君でしかなく、物語は歴史的経緯であって本質ではない、と思えるまで、僕は君の物語を聞いていたいね。

と、まぁこんな調子でいますので、福沢諭吉先生の教え通り「独立自尊」な大学生活になっていることは否めません。王様ランキングでカゲが「ボッチ!!」と叫ぶたび、呼ばれました?の顔が可能です。ただ少ないながらも出会えた人達と、アニメ『頑張って生きているつもりです。』を盛り上げていけたら幸せだなと思います。

ではー、では。











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