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知識と智慧の相違の新たなる私の独断と偏見に満ちた勝手解釈論。。🥺💘
知識は蓄えるものであり、智慧は産み出す己が本来持っているもの。
辞書には智慧とは道理を判断し処理していく心の働き。または筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力であると記されている。
だが、智慧とは本来人間に備わっている代々受け継がれている自身の魂の中に存在する知識の宝庫ではないかと思う。(既に知っていることを思い出して出てきたのが智慧)
だから、わたくしは今新たに人間界に生まれて知識を蓄えただけの人間よりは智慧のある人の方が最も尊ばれるべきであると思う。
もちろんわたくしの勝手な独断と偏見による浅はかな論理だか、、。
だから、知識人である前に人は智慧者であるべきだとより思う。
人間は本来智慧者だった。
どうすればよくなるのだろうと考えることでひらめき💡として神から知識を授かっていたからだ。
人は知識ばかり増やし本来人間に備わっている智慧を使わなくなったように思う。
即ち、神と繋がらなくなったのであると。。。
私の理論はあくまで私の勝手持論。
知識の無いもののこざかしい理論だと思っている。
本来世の中には正しいとか正しくないという価値観はその時代背景に左右されるものであり、それぞれが打ち出す理論も正しいとかの判断ではなく、どれだけ、その考えに賛同できるかということ。
多数いれば、それは正論と判断される。
実に人の意識、考えは曖昧模糊なものだと思う。
これ以上語るとより話がややこしくなるのでこの辺で切り上げます。ではまた。。
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