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人との距離のとり方

やってしまった。
人に不愉快な思いをさせてしまった。

相手があることなので細かいことは書けないのだけど
私の言動が人を不愉快にさせてしまったのだ。

私はたびたび、会って間もない人に
その人との距離を縮めるために
親愛を込めて、タメ口を聞いたり
なんなら愛称で呼んでみたりする。

それが人の琴線に触れてしまったのだ。

今まで、明るいタメ口キャラの私は
急なタメ口に一瞬驚いたような顔をすることもあるが
ほとんどの人には喜んで受け入れてもらってきた。
というより、許されてきた。

今回なぜそれがわかったのかと言うと、
不愉快であることを直接伝えてもらえたから。

伝えられたときの私の反応は、
そう思わせてしまったことは悪かったと陳謝しつつ

正直、心の中では
「私そんなに悪いことしたかな?」
と悪びれる様子がなかったのだ。

しかし、次の瞬間こう思ったのだ。

もしかして、今までも多くの人に
不愉快な思いをさせてきたのかも知れない。

背筋が凍るような感覚を覚えた。
今までの自分の言動を振り返ってみる。

銀座の女の子だった頃
テクニックとして年輩のお客様に、それも偉い方々に!
あえて馴れ馴れしく接したりしていた。

それがお客様には新鮮だったようで、
喜ばれることが多かった、という経験があった。
そうやって距離感を縮めてお店の常連になる人も多かった。

しかし、来なくなったお客様のことは
縁がなかった、くらいにしか考えたことがなかった。

今思えば、
「こんな失礼な店、二度とくるか!」
という人がいても不思議ではないと思う。

とある大企業の役員の方に

「麻子さんは、何を飲まれますか?」

と、20代そこそこの私に
とても丁寧な言葉遣いで
接してもらったのをふと思い出した。

全く偉そうにせず、どんな女の子に対してでも
敬語を使って話をしていた。
とても素敵だなと思っていたのだ。

若いうちは許されても、
年齢を重ねるとみっともないことってあるなと猛省した。

そしてもう一つ。

時代が変わったのだ。

今の小中学生達は、あだ名ではなく〇〇さん、
と皆呼び合っていると聞いて驚いたことがある。

いじめを触発しないようにそうなっているのだろう。
でも、それが当たり前なのだ。

私の小学生のころはひどいあだ名で呼び合っていて、
私はカナブーと呼ばれていた。

今は女の子に「ブー」をつけたりなんて考えられない。
「不適切にほどがある」を地でいっていた。

それはそれで、いい時代だったと思うけど。
もう時代は変わったのだ。

だから、私は決意した。

自分が変わろうと。

誰に対してでも敬意を持って、相手に敬語で接する。

といっても、急にはそうなるのは気恥ずかしいから
今から徐々にシフトしようと思う。

これから年老いていった時に、
素敵なおばあちゃんになりたいと心から思うから。
60歳になった時、普通にそんな振る舞いができるように。

今回の出来事は、
自分が変容するいい機会をもらえたのだと思う。

快く思わなかったことを
真正面から伝えてくれたことに感謝しかない。

もし、タメ口で話している私を見つけたら
やさしく注意してください。

でもタメ口希望の人には、対応させていただきます。
なんてね。

そんな54回目の誕生日。
これからもよろしくお願いします。


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