夜からの手紙 ~月と陽のあいだに 外伝~
ハクシン(5)
思い通りに歩けなくなった私は、月神殿の神官長にお願いして、特別に図書館の閲覧許可をいただきました。あの日あなたに話した通り、図書館が私の遊び場になったのです。それからは時間が許す限り、手当たり次第に本を読みました。
どんな本でもよかったの。一人ではどこへも行けない私でも、本の世界では自由でした。杖なしで誰よりも早く走り、鳥のように空を飛び、魚になって大海原を泳ぎ回ることもできました。いにしえの賢者に出会い禁断の知恵を学ぶことも、絶世の美女になって世界の覇者を誘惑することもできました。勇者になった私が倒した魔物の数は、両手の指では足りないわ。そして十歳を過ぎるころには、私は実際の年齢よりもずっと大人びた知識を持った子どもになっていたのです。
初めて図書館で会った日、あなたは私のことを「図書館の妖精」と呼んでくれたのですって? 身に余る呼び名で、恥ずかしいやら嬉しいやら。でもこの呼び名を、私はとても気に入っているの。だって妖精は必ずしも良いものとは限らない。人に害をなす妖精もいるそうですもの。私にぴったりだと思わない?
あなたには話したことがなかったけれど、私も筝が好きでした。ネイサン叔父様の筝のお弟子でもありました。もっとも叔父様は私を弟子だとは思っていらっしゃらなくて、私が時々押しかけては教えてくださるようにせがんでいただけでしたが。
まだ皇后府にいたあなたが、叔父様から蒔絵の筝を贈られて、それを弾くためにユイルハイのお邸に行っていると聞いた時、なんだかとてもムカムカしました。あなたが馬場からの帰りにお邸に寄り道していることを、皇后陛下に告げ口したのは私です。
叔父様は、私のことをちやほやしない数少ない大人の一人でした。私の外見にとらわれた大人たちは、私を過剰に甘やかして、何でも言うことを聞いてくれました。私もあどけない少女のふりをして、そういう大人を存分に利用していました。
でも叔父様は私のやり方を見抜いていらして、私がおねだりしてもなかなか言うことを聞いてくださいませんでした。私とは境遇が違うけれど、叔父様ご自身が小さい頃からちやほやされていらしたから、愚かな大人の心情や、それを利用する私のあざとさなど、とっくにおわかりだったのです。
叔父様は私が出会った大人の中でも、もっとも聡明な方のお一人でした。その叔父様が、ご自分の師であるコヘル様のもとで学ばないかと誘ってくださいました。
コヘル様のお邸は私塾のようになっていて、たくさんの若く優れた人々が歴史や哲学や天文学、時には文学や動植物のことなどを学び合っていたのです。
私の知性を評価してくださったコヘル様は、それが私自身とこの国にとって有益なものになるように導きたいとおっしゃったそうです。
叔父様は、図書館にこもり自分の世界に没頭する私を気遣って、世界を広げる機会を与えてくださったのでした。
私がそのお誘いを受けようと思っていた矢先、勝手に断ったのは祖母でした。
祖母は、コヘル様がアイハル叔父様の教育係になったときから反感を持っていました。お祖父様が父をコヘル様の元で学ばせようとしたとき、陽族の囚われ人に皇太子の教育を任せるなどとんでもないと、猛反対したそうです。
もし父がコヘル様の元で学友たちと切磋琢磨していたら、もう少し皇位にふさわしい人になっていたかもしれません。見た目の美しさだけが自慢で、教養も見識もない愚かな祖母は、つまらない見栄のために、父と私から学びの機会を奪ったのです。
そういえばコヘル様が亡くなった後、日記が残されていたのよね。ごくわずかな人だけが読むことを許され、あなたもその一人だったのでしょう。
父もその中に入っていたのに、断ったそうです。政治的な立場が違うから、読む必要はないと言ったとか。父が読まないなら、私が代わりに読んだのに。貴重な機会を捨てた父も、また愚かな人でした。