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三日坊主日記 vol.149 『西岡常一「木に学べ」』

宮大工の棟梁、西岡常一さんの「木に学べ」を読み始めた。


以前にも読んだことがあるんだけど、本棚のどこを探しても見つからないので、新しく買って再読を始めた。西岡常一さんと僕とは苗字が同じだけど親戚という訳ではない。恐らく。西岡さんは1908年(明治41年)奈良県の生まれ。代々法隆寺の宮大工の家系なんで奈良出身のお家なのだろうか。


西岡という苗字を調べてみると全国ランキングで320位、6万5千人ほどいるそうだ。京都府南部がルーツという説が有力らしいので、西岡常一さんの出身地奈良県とはお隣同士だ。一方、四国にもとても多い。西岡姓の八割は高知出身だという説もあるとかないとか。我が西岡家は高知県の出身。うろ覚えだが祖父の納骨式で高知の墓へ行った時、その墓地の墓がほぼ全て西岡姓だったことを覚えている。我が家の家紋が蝶々であることを考えると、ルーツは京都府南部(山城)だけど、源平の時代に西へ逃れて四国へ住みついたのかも知れない。それこそ知らんけど。


西岡常一さん以外で西岡姓の有名人といえば、西岡善信さん。日本を代表する映画の美術監督だった方で、この人も奈良県出身。俳優の西岡徳馬さん。政治家の西岡武夫さん。野球選手の西岡剛さん。フジテレビアナウンサーの西岡孝洋さんあたりか。いそうでいないのである。


話が大きく逸れてしまった。僕が西岡常一さんに興味を持つのは、やはり巨大木造建築物に対する驚きというか、信じられなさというか。畏怖と言っても良いかも知れない得体の知れないモノを作れた方だから。雨が多く、地震も多いこの日本で、巨大木造建築物が何百年も立ち続けている不思議。そして、重機の発達した現代ならいざ知らず、人力だけで巨木を高所まで持ち上げ、しかも精密に丈夫に組み上げる技術。ピラミッドなどと同様にとても人間の手によってできるものではないように思えるのだ。どうすればそれができるのか、精神面も含め(それがないとできない気がするが)その秘密の一端を知りたいと思うのだ。


読み始めて早くも1ページ目からやられてしまった。

棟梁いうものは何かいいましたら、「棟梁は、木のクセを見抜いて、それを適材適所に使う」ことやね。木というのはまっすぐ立っているようで、それぞれクセがありますのや。自然の中で動けないんですから、生きのびていくためには、それなりに土地や風向き、日当たり、まわりの状況に応じて、自分を合わせていかなならんでしょ。例えば、いつもこっちから風が吹いている所の木やったら、枝が曲がりますな。そうすると木もひねられますでしょう。木はそれに対してねじられんようにしようという気になりまっしゃろ。こうして木にクセができてくるんです。木のクセを見抜いてうまく組まなくてはなりませんが、木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません。絵描きさんやったら、気に入らん絵は破いてまた描けばいいし、彫刻家だったらできそこないやったらこわして作り直せます。しかし、建築はそうはいかん。大勢の人が寄らんとできんわなぁ。だから、できそこないがあってもかんたんに建て直せません。そのためにも「木を組むには人の心を組め」というのが、まず棟梁の役目ですな。職人が五〇人おったら五〇人が、私と同じ気持ちになってもらわんと建物はできません。

西岡常一「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」


映画も全く同じだ。
家族も、会社も、国家も。すべてに通じる大切なことなのである。




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