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三日坊主日記 vol.254 『うめきた再開発とブラックホールと大淀中(前編)』

朝からクライアント打合せで大淀中(オオヨドナカ)へ。


大淀中というのはザクっといえば梅田スカイビルのあるところで、大阪市北区大淀中という地名(当時は北区ではなくまだ大淀区)。僕が社会人のスタートを切ったのが、この大淀中にあったテレビ制作プロダクションだった。当時はまだここにABC朝日放送があって、僕が入った会社はABCの関連会社だったから、すぐそばにあったのだ。


この大淀中というのが都会にある陸の孤島で、大阪駅または梅田駅からJR環状線か阪神電車でひと駅の福島駅が最寄り。もしくは、梅田からかの有名なJR下の長い長い地下通路を通って行くか。大阪をご存知の方ならわかると思うが、どちらも結構面倒くさいし時間がかかる。いわゆる陸の孤島であった。


というのも、大阪駅の北側には巨大なJR(当時はまだ国鉄)貨物基地があって、あらゆるものを分断していた。JR貨物基地なんて一般人には関係ないし、中にはもちろん入れないから、その一帯はもう完全に異世界で、巨大なブラックボックスというかブラックホールのような存在だった。ただ唯一その地下を貫く長く細く暗い地下道で向こう側と繋がっているだけだった。


それが変わり始めたのがバブルの崩壊後。旧国鉄の債務削減のためにこの土地が売りに出された。JR西日本の本社が取り壊されたのが1992年で、その後いろいろあったみたいだが2001年にヨドバシカメラが開業し、少し空いて2013年にグランフロント大阪が開業(うめきた1期エリア)した。


僕が生まれてからずっと大阪の街はJR大阪駅までだった。おかしな言い方だけど、大阪駅の向こう側は辺境の地で、人が住んでいないようなイメージがあった。もちろん大淀中には人がたくさん住んでいるし、繁華街もあるし、放送局だってある。だいいち僕はそこで4年間働いていた。でも、その大淀中はまた別の場所であって、JR大阪駅の北側ではなかったのだ(イメージね)。中津も十三も、それぞれ中津と十三であって、大阪駅の北側ではなかったのだ(イメージね)。こんな印象を持っているのは僕だけだろうか。いや、多分みんなそう思ってたはずだ。


だから、とにかく、グランフロント大阪ができた時、人の流れが大阪駅を越えるとは思えなかった。正直いってこの開発は失敗で、大阪駅北側に巨大な廃墟ができてしまうのではないかと本気で心配した。しかし、実際は僕たちの予想に反して人の流れは大きく変わった。人々は、まるでずっと昔からそうだったように大阪駅を跨いで北側と南側を行き来する。かくいう自分も行き来する。というか、なんなら僕はグランフロント大阪が大好きで積極的に利用している。北側に廃墟ができるなどと思っていた僕としては、このプロジェクトを成功させた人たちに一言お詫びしたいくらいだ。


前置きが非常に長くなってしまった。
さて、ここからが本題なんだけど、長くなってしまったので続きは明日にします。


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