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三日坊主日記 vol.240 『「聲の形」というアニメーション映画』

録画してあった『聲の形』というアニメーション映画をみた。


京都アニメーション制作の映画を初めてみたが、なんと凄惨なストーリーなんだろう。そして、壮絶な作品なんだろう。僕には到底真似も想像もできない圧倒的な負のエネルギーを感じた。まったく上手くいえないが、いろんな感情がドロドロを混ざり合ってものがつくり出す、誰も抜け出せない渦の底から聞こえてくる叫び声のようなものが聞こえたような気がした。


この監督の他の映画を見たことがないのでわからないが、どんな人なんだろう。この作品はこの人の叫びなんだろうか、それとも商業監督として仕事で作ったのだろうか。どちらにしてもすごいものを見せてもらった。


この脚本を実写で撮るとどうなるのか考えながらみていたが、どうしても完成がイメージできなかった。なぜだろう。実写だとビジュアル情報が多すぎて、その情報が雑音になるからだろうか。俳優の演技だとか、もっというと血の通った生身の人間がいること自体が邪魔になるのだろうか。


日本はアニメーションがとても発達していて、ありとあらゆるジャンルや内容のアニメーションを高いレベルで作っている。どれも(すべてではないが)実写ではなく、アニメーションでなければ描けない世界、アニメーションならではの作品に仕上げてあるが、この作品も間違いなくそのひとつなんだろう。


それにしても、この映画で描く世界が現代のリアルなんだろうか。子供の残酷さとか無知さからくるイジメは昔からあった。僕らの時代ももちろんあったし、僕自身、誰かをからかったり、弄ったり、いまならイジメといわれても仕方がないようなこともやった。それは僕だけではもちろんなく、みんなそうだった(ような気がする)。イジメる方も、イジメられる方も、仲間だったような記憶があるんだけど、それは勝手な思い込みなのだろうか。


きっと都合の良い思い込みなんだろう。いつの時代も、どこの世界でも、イジメる側とイジメられる側がいて、イジメる側には自分勝手な正義があってイジメられる側にその正義を押し付けようとする。そしてイジメられる側も相手しだいでは簡単にイジメる側に回ってしまう。クラスとか学校とかそういうスケールの話だけではなく、大人になって、もっと大きな規模になっても、同じことを繰り返している。


とても考えさせられる作品だった。ちなみにこの映画の中でいちばん恐ろしい登場人物は、小学校の担任。世の先生方には非常に申し訳ないが、僕はこの先生の描き方にとても共感した。


あらためて、被害者のご冥福をお祈りいたします。



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