『監視社会』 デイヴィッド・ライアン
監視システムの社会学
カナダの社会学者であるデイヴィッド・ライアンは、本書で「情報社会は監視社会である」と断言する。
とはいっても、マンションやデパート、さらに繁華街にいたるまで、あらゆる場所に監視カメラが設置されるようになったから、という意味だけではない。
ライアンは、監視の行為を「個人データの収集・保存・処理・流通」という、もっと広い意義でとらえなおそうとしている。
インターネットを利用していると、自分の閲覧したサイトの情報が誰かによって収集され、その結果、自分用にカスタマイズされた商業広告が自動的に送信されてくるようになる。
また、オンライン登録をしたときの個人データが、企業によってひそかに売買されているという事実もある。
このように、誰かが強制的に個人をスパイしたりするような狭義の「監視」だけではなく、電子的な通信情報テクノロジーによって、私たちの日常生活がモニタリングされていることをも、監視活動の一部として考えようと提案するのだ。
監視というと、どうしても否定的な側面ばかりが強調されがちだ。
だが、たとえば正当な代金が銀行口座から引き落とされるためには、クレジットカードの使用状況を記録する必要があるように、個人データのモニタリングは個人や企業、政府にとって利便性があるからこそ発達してきた。
社会全体が合理性とリスク管理をもとめてきた末にたどりついたのが、効率的な監視システムであり、近代以降においては、社会そのものが監視というプロセスを必要とし、その構成要素として監視を内部に組みこんでいるというのだ。
都市空間にはりめぐらされる監視システム。個人の身元確認を行う網膜スキャンやDNA検査といった生体認証。
インターネットなどの国境を越えていく情報の流れ。本書は、多様なレベルで広がる監視社会のすそ野を、社会学の枠組みでとらえようとする画期的な試みである。
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