見出し画像

呪術師を知る

ジャワ再訪

 2019年9月にジャワ島のジョグジャカルタ近郊の村で、ジャティランと呼ばれる憑依芸能の調査と記録映像の撮影をおこなった。2020年3月にルソン島の山間部をめぐった旅をさいごに、パンデミックによって海外へ調査旅行にいく機会は失われた。ひとまず撮影したフッテージをもとに短編ドキュメンタリーを完成した。2022年8月、およそ3年ぶりにジャワ島に行けることになった。インドネシア語通訳が同行したこともあり、約1ヶ月の滞在のなかでジャティランの撮影だけでなく、パワン(呪術師)やジャティル(踊り手)や専門家への詳細な聞きこみ調査をおこなうことができた。
 ジャワ島の中部に位置する古都ジョグジャカルタ。その北西部にガンピン地区に、わたしが通うグヤンガン村がある。町内会会長のエルナンさん(45歳)によれば、村にはおよそ400世帯があり、1600人程度の住民が暮らす。その村でジャティランを見た2019年秋の以降、村ではコロナ流行の影響で、3年近く開催できない状態がつづいた。折よく2022年7月29日がジャワ暦の新年にあたり、あちこちで村祭りが開かれるタイミングだった。グヤンガン村でも8月14日に開催されることになり、準備段階において村の若い衆が群舞の練習をするところから見学できた

ジャティルたちの証言

 ジョグジャカルタ市のクラトン(王宮)を中心に継承される正統的な古典芸能とちがい、民衆の芸能であるジャティランを見物にくる外国人は少ない。そのような理由から、グヤンガン村の多くの人がわたしのことをおぼえており、調査に対しても協力的だった。村のジャティラン・グループである「ツロンゴ・ブスポ・ケンコノ」における、若手のリーダー格であるグナワンさん(24歳)は、すらりとした背の高いハンサムな青年。ふだんはインドマートというコンビニで、食べ物のデリバリーの仕事をしている。3年前は最後のババック(幕)に登場し、ジャティルとして踊った青年である。「コロナのあいだ、ジャティランの練習はどうしていましたか」
「マスク着用などのルールを守りつつ、ガムランの練習のために集まっていました。自分自身は踊ることが好きです。やっぱり昔からつづく芸能だし、コロナをこえてつづけていけるといいと思います」とさわやかに笑った。

 トロさんは小柄だが筋肉質のいい体つきをした20代の青年で、ひときわ肌の色が濃いのは、日頃から工事現場で働いているからだろう。今年のジャティランでは最後の幕で踊るほか、最初の2幕においてパワン(呪術師)としてデビューする予定だ。
「トランスをしているときは、どんなふうに感じますか」
「精霊が体に入ってきたときには、それとわかります。視界がまっ暗になって、音が聴こえなくなる。言葉がでてこないので、自分から話すことはできない。5分か10分経つと、視界が見えるようになり、音楽にあわせて体が無意識に動くようになります」
「これまで、どんな精霊に憑依されたことがありますか」
「いろんな精霊が憑依してきますね。誰かはわからないけど、動物ではなく人間の霊で、たいていは男性の老人です。この土地の精霊の場合も、ほかの地域からくる場合もある。遠い祖先だとは感じるけれど、祖父のような直接の家族や親戚が憑依してきたことは一度もない。パワンが憑依する精霊をコントロールしているおかげでしょう」

 青年たちの話をきいていると、小学校の裏にある広場にいつの間にかゴザが敷かれ、さまざまな大きさの銅鑼やガムランやドラムセットが並べられていた。トンテン、トンテン、ティントン、ティントンと、ガムランの澄んだ金属音が鳴りひびく。少年たちがクダ・ケパンという竹で編んだ馬を倉庫からだしてきて、それにまたがって広場の中央で隊列をつくる。まだ振り付けをおぼえておらず、ほかの少年が手足を動かすのを見て、真似をしているような段階だ。それを年長の青年たちが見守る光景に、憑依芸能が力づよく民衆に息づいていると感じた。

呪術師の証言

 あたりはすっかり暗くなった。ジャティランの演奏と踊りの練習は、平日の夕食後の時間帯におこなわれることが多い。ガムランと銅鑼の音色に誘われて、村の大人や子どもたちが集まってくる。そのなかに、ブランコンという伝統的な帽子をかぶった見おぼえのある中年男性がいた。パワンのワギメンさん(推定40代)だ。ふだんは建設現場で働いているだけあり、小柄でがっちりした体つきをしている。
 パワンはジャティランにおいて重要な役割を果たす呪術師、あるいはシャーマンだ。精霊を祭り場に呼びこみ、踊り手たちに憑依させて、最終的に除霊するところまでおこなう。ワギメンさんは少年や青年たちと言葉をかわし、何人かと談笑をしたあと、少しはなれた場所から練習風景を見守っている。そのまなざしには真剣なものがある。

「いつ、どうやってパワンになったんですか」
「3、4年前かな、サルジュニさんというベテランのパワンに頼まれたので。ふだんは精霊を操ったりはしないけど、何か起きたときに呪術をつかいます。この広場には精霊がたくさんいて、練習中も踊り手にポチョンという死者の霊がとり憑くことがあるので、念のために見張ってます。あるとき、甥っ子にポチョンが憑依したことがありました。彼は3、4キロメートル先から歩いてきて、首に何か刺さっているみたいに頭をグラグラさせた。そこで、ガムランを演奏してポチョンの精霊を踊らせてから、除霊の術を施しました」
「どうやって精霊をコントロールするんですか」
「ジャティランの前日に丸一日断食をして、花びらの入った聖水だけを飲みます。当日も断食をする。花びらは精霊を招き寄せるもので、精霊の食べ物なので、祭り場に招くためにつかいます。荒っぽい精霊を寄せつけないためにも撒く。踊り手のジャティルに精霊を入れるときは、祭り場にきてもらい、憑依をしたいかどうか精霊に尋ねます」「どのように精霊と意思疎通をするんですか」
「人間に憑依した精霊は、何かほしいものがあると地面に文字で書く。花びらの入った水が飲みたいとか、果物を食べたいとか、腕や足をムチで打ってほしいとか、踊るために好きな曲を演奏してほしいとか。そこで、パワンや楽隊や会場スタッフが、精霊にほしいものを与える。ほしいものを与えるから、わたしのいうことを聞きなさいと伝える。しかし、なかにはコントロールできない荒っぽい精霊もいます。その場合は、ジャティルの体から追いだすことになります」

ここから先は

4,298字 / 1画像

¥ 500

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が参加している募集

リトルマガジンにサポートをお願いします!