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憑依芸能の社会学


 これまでブラジルのウンバンダや、ベナン共和国のヴォドゥンなど、精霊がダイレクトに人間に憑依する儀礼を意識的に調査してきた。ところが、2019年の秋にジャワ島中部のジョグジャカルタ近郊の集落で見ることができた「ジャティラン」という憑依芸能では、言葉にならないほどの衝撃を受けた。
 そこで、わたしはフィールドワークの方法として映像と写真を使うことが多いので、ギャラリーにてインスタレーション展示に挑戦した。写真パネル27枚と2面マルチの映像によるインスタレーション作品を展示し、祭り場の雰囲気を再現することを試みた。映像人類学的なフィールドワークは作品を完成して終わるのではなく、「自分が撮影した儀礼が何であったのか」と問うところから何年にもおよぶ研究がはじまるのだと思う。

若者による憑依芸能

 2019年9月に、ジョグジャカルタ近郊にあるギャンピン村でおこなわれた憑依芸能「ジャティラン」のフィールドワークと撮影をおこなった。「ツロンゴ・プスポ・ケンコノ Turonggo Puspo Kencono」という、複数のシャーマン、若い男女の踊り手、ガムランや銅鑼を中心とする楽団から成るグループによるパフォーマンスを調査した。多くの場合、ジャティランは村の大掃除の儀礼や結婚式、少年の割礼式など、特別なときにスポンサーとしてお金を払う人間や村長などが現れて、ジャティランのグループが呼ばれるという。[註1]
 最初に、町の広場に会場が設営された。四方を鉄パイプで囲った祭場で、中央にクダ・ケパンという竹で編んだ型に、足のない馬の絵をカラフルに描いたものが用意される。その前で、パワンと呼ばれるシャーマン(=トランス・マスター)の男性が、精霊の食べ物とされる薔薇などの花びらやお香によって、精霊たちを召喚する儀礼がおこなわれた。祭場の角には、精霊に憑依された踊り手に食べさせるため、円錐形に盛られたご飯、鶏の唐揚げ、バナナなどの果物、飲み物が準備された。子どもや青少年から大人までがジャティラン見物に集まったが、場がヒートアップしてくると見物人のなかからもトランス状態になる者が現れた。

 儀礼が終わると出し物がはじまった。4人から8人くらいの少年の踊り手が、竹で編んだ馬とむち(または木製の剣)を手にもち、ババックと呼ばれる幕ごとに登場。ジャティル(若者)と呼ばれる踊り手の華美な衣装は、13世紀から15世紀にかけてジャワ島中部で権勢を誇ったマジャパヒト王国の兵士の姿を模すといわれる。馬に乗る10代のハンサムな兵士たちという設定だ。馬踊りの最中に馬の精霊に憑依された青年たちは、動物のように振るまい、草を食み、線香を口で噛む。用意された大型のバケツに水がはってあり、その水面には精霊が好む花びらが浮かせてあった。喉が乾くと、ジャティルたちは馬のようにバケツの水をがぶ飲みした。
 伝統的に踊り手は少年や青年が担ってきたが、近年はきらびやかな衣裳の女性グループも増えている。ジャティルは、地元の貧しい農家の息子や、都市部の労働者などがつとめることが多い。楽隊はガムランや銅鑼など伝統的な楽器に加えて、アンクルンという竹製の打楽器、近年はドラムスやボーカルを入れたポピュラー音楽のスタイルをも取り入れている。ワヤン・クリ(影絵芝居)の楽団に近いと考えればよい。
 最初のうちジャティルは振り付けられた群舞を踊り、戦闘を模した剣舞を披露する。彼らがむちを地面に打ち、花びらが祭場にまかれることで、目に見えない祖先霊や森に住む動物霊がやってくる。そして、踊るうちに青年たちは霊的存在に憑依され、失神して地面に倒れる。そこで「パワン」と呼ばれるシャーマンたちの出番になる。パワンは倒れたジャティルたちをあやつり、ひとり一人を起こしていく。すると、トランス状態になったジャティルたちは、見事な舞いを踊るようになる。
 ジャティルは羞恥心を失った状態にあるので、日常では絶対にしないような行動にでる。草を生のままで食べ、ガラスや剃刀の刃を口に入れて噛む。あるいは、燃える炭の上を歩いても平気で、むち打たれても何も感じず、オートバイにひかれても平気だという。あたかも、彼らが精霊に憑依されたことを観衆に証明するかのように、パワンとジャティルによって眼前でおこなわれる。ここにジャティランが憑依儀礼と一線を画し、「憑依芸能」と呼ばれるべき見世物的な一面がある。
 トランス状態にあるジャティルは本能的かつ無意識的にふるまうので、コントロールが効かないこともある。祭場の地面を転げまわって暴れ、深い恍惚状態におちいって目を閉じたまま震え、動物そのものになって観衆からおひねりをせびる。祭り場はカオス状態になる。トランス状態に入ることは、日ごろの鬱積したストレスの発散にもなる。集落の観衆にとっても、それは良いことだと考えられ、村の人たちは精霊が憑依した若者に食料や飲み物を与える。それが精霊たちへの供物になると考えるからだ。

シャーマンの役割

 若者たちに憑依して気ままに振るまう精霊たちは、やがて祭場から退場しなくてはならない。パワンと呼ばれるシャーマンが、ジャティルのひとり一人をトランス状態から解除すべく、悪魔祓い(エクソシスム)をする。パワンはジャティルの胃から食道や喉にかけて、あるいは背中から頭頂部あたりへ精霊を押しだし、目に見えない存在をつかんで放す行為によって除霊する。深いトランス状態にある場合、少しずつ精霊を彼の上半身へと移動させ、口腔部や頭頂にある泉門から精霊を外へだしていた。深いトランス状態から目覚めるとき、ジャティルは目を大きく開け、白目を剥いて苦しそうにも見えた。除霊が終わったあとは虚脱状態や極度に疲労した状態になる。少年や女性のジャティルは自分で歩けないこともあり、控えていた会場係が裏にある楽屋まで運んでいた。
 祖先霊や動物霊がジャティルに憑依するときの合図や兆しはないが、パワンが地面をむち打つことで精霊を呼びこむようだ。祭場に花びらがまかれたときは、それに触れた女性のジャティルたちが一斉に集団トランスに入った。このように祭場に精霊を呼びこみ、憑依された人間の身体から追いだす制御はパワンたちがおこなう。そして、踊り手や会場係や観衆など憑依されたすべての人の憑依状態を解除したところで、その幕は終わることになる。
 パワンというシャーマンは、黒魔術や白魔術をあやつるとされる。雨乞いをしたり、失くし物を見つけたり、呪術で村人の役に立つ。一方で、媚薬を使って誰かのために異性をとりこにするなど、黒魔術も使う。西アフリカやブラジルのヴードゥー系の憑依儀礼では、踊り手に憑依した精霊に観衆が卜占をしてもらい、予祝を与えてもらうことが重要な要素だった。だが、ジャティランにはその過程はない。現地で集めた伝聞によれば、パワンがジャティランを開催する前後に、希望する人に卜占やヒーリングをおこなうことがある。パワンには修行や訓練でなるのではなく、生来その能力をもつ人物がなるという。職業としては教師や警察官が多いという情報も興味ぶかい。ジャティランで使用される衣裳やクダ・ケパンなど必要な道具を所有するのはパワンで、一般的には踊り手よりも収入がよいとされる。

ジャティランに登場する精霊

 祭場には、兵士に扮した踊り手だけでなく、ジャティランの原型とされる伝統芸能レオグ・ポノロコ゚の精霊や歴史上の人物も登場する。ポノロゴはジャワ島中部にあった王国で、それにまつわる伝説が豊富にある。たとえば、クロノ・セワンドノはこわい顔をしたポノロゴ王で、ジャティランでは仮面をかぶり、堂々とした衣装を着て誇らしげに演じられる。ブジャン・ガノンは武道に秀でた将軍で、アクロバティックな演技を見せて子どもたちに人気だ。バリ島のバロンと異なる容姿のシンゴ・バロン王は、森の動物を統べる獅子であり、伝説では孔雀やほかの動物たちから成る軍隊を率いた。白いバロンはシモ・バロンと呼ばれ、ギャンピン村では赤白合計4体が登場した。大きな口、長い顔は今にも噛みそうな獣に見え、獅子よりも龍に似ている。
 イノシシの精霊であるチェレンが憑依する踊り手は、体が大きく太めな体型をして、顔にメーキャップを施す。チェレンが登場するときは祭場の隅に泥水の池が掘られ、そこで水浴びをして観衆を楽しませる。[註2]ほかにも、カエルや犬の動物霊が人間に憑依した例も目撃した。そして、演奏者や会場係や観衆がトランス状態に入ることも起きた。カエルの精霊に憑依された会場係の男は、目を大きく剥きだし、舌をぺろぺろ出し、ぴょんぴょんと祭場をカエルのように跳ねまわった。
 犬の精霊に憑依された男は、観衆から札金をもらって口にくわえ、祭場を縦横無尽に駆けまわった。パワンに捕まって除霊されそうになるたびに逃げて観衆の笑いをとった。ジャティランは午前中にはじまり、夕方になると場が熱してきて、みなが同時に憑依する集団トランスが起きた。自分の出番を終えて、ほかのグループの踊りを見ていた青年も再び憑依された。一度、トランス状態を経験すると何度も入りやすくなるらしい。

社会的な背景

 「ジャワ島の馬踊り」は、ジャラナン、ジャティラン、クダ・ケパン、クダ・ルンピンなど地域によって呼称が異なるが、内容は共通している。前述のようにジャティランのルーツは、レオグ・ポノロゴという民衆のダンス芸能にある。いくつかの研究論文を参照すると、その起源には諸説があるが、15世紀ごろのジャワ島にイスラム教が入ってくる前からあった芸能だと考えられている。[註3]ジャティルは15世紀のマジャパヒト王国の兵士とも、16世紀の新マタラム王国のそれとも、18世紀にオランダからの独立のために戦ったディポヌゴロ王子の軍隊だともいわれる。精霊が人間に憑依する儀礼という面では、6世紀から7世紀にジャワ島にヒンドゥー文化が入る以前の、古代ジャワの信仰にまで遡るとする考えもある。
 ジャティランがポピュラーになった背景には、1960年代後半からスハルトが「新秩序」をとなえて民衆に圧政をしき、近代化した30年の間だったという指摘がある。独裁体制下におけるストレスを、民衆は憑依芸能によって発散させたというのだ。[註4]
 ジャワ島の公式的な宗教であるイスラムに、ジャティランが認知されることはないが、現代にいたるまで人気のある民衆芸能として存続している。なぜなら、憑依芸能には集落のコミュニティを活性化し、人びとの絆を強める効果があるからだ。ジャティランのグループには特別な行事のときに雇われ、賃金をもらうという経済的な動機がある。若いジャティルにとっては人前で踊ることの喜びと、トランスによる解放感がある。踊りやトランスが興奮をともない、観衆の信仰心を高めることになれば、村人から卜占や呪術の依頼がパワンたちに舞いこむ。それゆえ、芸能を披露するだけのグループよりも、憑依をともなうグループの方が収入が高いとされる。[註5]


註1 Eva Rapoport, “Jathilan Horse Dance: Spirit Possession Beliefs and Practices in The Present-Day Java”, p6, IKAT: Indonesian Journal of Southeast Asian Studies Vol.2, July 2018
註2 Rapoport, “Jathilan Horse Dance”, p12
註3 Rapoport, “Jathilan Horse Dance”, p2
註4 Victoria M. Clara van Groenendael “Jaranan: The Horse Dance and Trance in East Java”, Kitlv Press, 2008, p8
註5 Groenendael “Jaranan”, p22

初出:「Art Anthropology 17」

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