近松秋江の連作「別れたる妻」
情痴小説家
小説家・近松秋江の『雪の日』をプロローグとする、「別れたる妻もの」の連作は情痴小説や痴愚小説の草分けとされることが多いが、私にとっては究極の恋愛小説に他ならない。
恋愛の情熱がもっとも盛り上がるのは、相手に一方的に惚れこんでいるときであろう。片恋し、あれこれと余計な想像を思いめぐらせ、恋焦がれて執着し、相手を追いかけている状態である。
他人の恋愛というものは、それが当人にとって真剣であればあるほど、傍から見ていると滑稽に見えてユーモラスなものだ。近松秋江の小説も、そんなふうに大笑いしながら読めばいいのだと思う。
1901年に坪内逍遥の指導のもとに、神楽坂周辺で若い文学者や文学青年が集まり会合を持っていた。その会場となった牛込赤城神社裏の清風邸という貸席で、秋江は女中の大貫ますという女性と知り合い、同棲をはじめた。
しかし、秋江は出版社勤務や記者などのめぐまれた就職を、次々にみずからフイにし、ますに小間物屋や素人下宿を営ませるなど苦労をさせた。そのせいで、ますはつき合ってから6年後に、下宿人の岡田という男と逃げてしまう。
『雪の日』
秋江が『雪の日』という小説を書いたのは、ますに逃げられた半年後のことだ。そんな時期に、女房とむつまじそうに語り合いながら、過去の恋愛経験をたがいに探りあう一幕ものの会話劇を書いている。
作中の雪岡とスマの会話は、『』(二重かぎかっこ)、つまり語り手の意識か記憶のなかにすっぽり入っている。だから、『雪の日』は私小説の体裁をとっているのはいえ、現実に起こったできごとや会話を扱っているとは限らない。むしろ、半年前のことを省みながら、作者のいいように再構成している「幻想のなかでの会話」といった趣がある。
半年後になって、他人に寝取られ、逃げられた女房のことを書けるようになったのは、新しい相手ができたからだったという。『別れたる妻に送る手紙』で「お宮」として登場する、水天宮裏の蠣殻町の遊女のことである。
だからといって、秋江が移り気で浮気性なのではなく、よくいえば彼は常に恋愛状態にないと生きていけないのだ。時間が経過して冷静になり、別れた妻とのことを対象化できるようになったからではなく、次の執着する相手ができるようになったからこそ、過去を振り返る余裕ができたというところが、いかにも秋江らしいといえるか。
『雪の日』の雪岡という男は、スマと4年間一緒に暮らしていても、まだスマの元亭主やその初恋の相手にまで嫉妬してしまう。先夫の幻影が彼を苦しめる。雪岡の『フム、そんなことがあったのか』というセリフがくり返し、効果的に使われているが、このフムは段々と焦燥感のあるものに変わっていく。雪岡は「呼吸が詰まるよう」になり、小説の最後で大きな欠伸をするまで、心中が波立ったままである。
雪岡がスマの過去を追究するのは、自分の恋愛を生かし続けるためである。だから、スマに「もう一遍あなたの泣くのが見たい」といわれても、懐かしそうにしているのだ。つまり、雪岡は世の常識に反し、恋路さえあれば「世界がどうなっても構わない」のであり、情念が奔流し、魂の溶けるような恋にあってこそ、真に生き生きとしていられるのである。
恋愛と精神錯乱
愚かな男の恋路における醜態が、どうしてこうもおもしろく美しいのか。秋江は『雪の日』の雪岡に、恋愛によって体がやせるほど悲しみもだえたのに、それを小説家として自分の恥部を暴露して飯を食うことなどできない、と嘆かせている。そういいながら、秋江がちゃんと小説にしているところが恥知らずであるし、なかなか商魂がたくましい。
雪岡がスマの全人生を知りたいと思うのは、妄執というだけでなく、本当のところを知りたいという妙な情熱もある。そして、書き手としての秋江は、自分のみっともなさを包み隠さずに書き、自身を「人間の標本として店ざらし」にする。
「別れたる妻もの」の『疑惑』という小説では、失踪した妻を追って日光の温泉宿の宿帳を一軒一軒調べていくくだりなど、秋江は恋愛による精神の錯乱状態を錯乱そのものとして描き、それでいて独特のユーモアを醸しだした。秋江は実生活では甘ったれの無能者であったらしいが、その小説の世界では、女々しいまでの女性性と本能の喜びをうたっている。私たちが男女を問わず、秋江のなかに自己の一部分を見てしまうのは、そんなところに理由があるのだろう。
なんでも秋江は生涯をかけて、尊敬する近松門左衛門が書いたひとりの女性のようなミューズを求めていたという。そのために様々な恋愛と女性遍歴を重ねることになった。晩年には女性ではなく、自分の子供に執着して、それを小説にも書いている。ともあれ、人間の感情には良いも悪いもなく、強い感情だけが人間と芸術を活性化させるのなら、それそれはそれでいいのだと近松ならいうであろう。