世界の宗教を学んでいた⁈空海
皆さん、こんにちは・こんばんは・おはようございます。「見たかな?観たよ!」の中の人、ひろ-macrobiworldです。
前回から少し間が空いてしまいましたが、皆さんは如何お過ごしでしょうか。
お子さん方は、既に夏休みに入られているでしょうね。既に水の事故も起きてしまっています。
お子さんのいる方は十分注意してお過ごしくださいね。
今回は今年生誕1250年を迎えた弘法大師こと、空海について取り上げてみたいと思います。
ですが、本題に入るその前に嬉しいニュース記事があったので、ここで皆さんとシェアしたいと思います。
日本の学校の特別活動…特に清掃と言うのは、皆意識していないかも知れませんが、日本人の宗教的意識に根付いたものではないかと思うので、そう言う意味では今回の記事にも関連があります。
毎年年末になると御堂や仏像の煤払いのニュースが流れてきますが、払う=祓う、なんですよね。
(はたきで叩いて埃を払い落としたり、箒で掃き清める行為は「祓う」に通じるそうです。その理屈でいくと掃除機は吸引するものなので、邪を祓う力は弱いのかも…?)
このニュースでは清掃が、暗に「社会をまとめていく為に障害となっている要素を祓う」と言うテーマで語られていたのが印象的でした。
このニュース自体はSDGsの一環として作成されている様なのですが、それは今は横に置いておいて(グレタさんのダボスでの例の発言じゃないけど、SDGsは胡散臭いと思っています。)、
この特別活動が未来の礎となって、今の子供達が社会に出ていく頃にはエジプト(出来れば政情不安を抱えるグローバルサウスの他の国々も同様に)でも、民主的な形で国を纏められるようになってくれていたら良いなあ…と思います。
と言うわけで本題に戻りたいと思います。
前回記事が超絶長かったので、今回は短かめにまとめますね。
それでは行ってみましょう!
空海とは
皆さんがイメージする、或いは知っている空海とは、遣唐使として唐に渡り、仏教や密教を修めて日本に帰国した後、真言宗の開祖となって高野山を開いたお坊さんーーーと行ったところでしょうか。
同時期、共に唐に渡り後に天台宗の開祖となった最澄が真面目な勉強家で学術派だったのに対し、空海は野山を駆け巡る山伏の様なフィールドワーク派だったとも言われます。
遣唐使になる前の空海は、叔父から儒学を学び、大学で明経道を専攻していたらしいので、元々は儒学の勉強・研究の方が先だったようです。
と言うことは、この時点で空海には陰陽五行思想の心得があったことになりますね。
その後、大学での学問には飽き足らず山に籠って修業し大日経(密教)に出会ったとされていますが、この頃から遣唐使になるまでの足取りがよく分かっておらず、謎の多い時期となっています。
そして遣唐使として唐に渡った後、鎮護国家を目的に唐で仏法を学んだ空海は、最新の密教を含む経典を日本に持ち込んで来たわけですね。
国際都市だった唐の長安
その密教の象徴的なお勤めが、皆さんもよくご存知の「護摩」ですが、
護摩のルーツはペルシャ(今のイラン)で生まれた、祆教(日本では拝火教と呼ばれるゾロアスター教※1)にあると言われています。
因みに日本で金運の御利益があると言うと「弁財天」を思い浮かべる方が多いと思いますが、弁財天のルーツはヒンドゥー教の豊穣の女神「サラスヴァティ」です。
(余談ではありますが、弁財天は水神である為、日本では神仏習合にて同じく水神である瀬織津姫神-天照大御神の荒御魂とも言われている-と同一視されていました。)
他にも
梵天=サラスヴァティの夫ブラフマー、
歓喜天=ガネーシャ、
大自在天または大黒天=シヴァ神
など、
インドからヒマラヤを超えて唐に入る過程で、仏教(チベット仏教)に取り入れられたヒンドゥー教の神様は多く、空海が唐で学んだ当時の唐にはヒマラヤを超えてやって来たインド生まれの仏教僧も多かったようです。
このヒンドゥー教の豊穣の女神「サラスヴァティ」とゾロアスター教の女神「アナーヒター」のルーツは、シュメール神話(メソポタミア神話)の豊穣の女神「イシュタル(イナンナ)※2」と言われています。
(因みにこのイシュタルはメソポタミア=現在のイラクから西に伝播するとギリシャ/ローマ神話のアフロディーテ/ヴィーナス)に変化しました。
つまりメソポタミア以西の女神信仰は多神教だったが故に一神教の勃興と共に廃れてしまったけれど、メソポタミア以東の女神信仰は形を変えて現代に続いているのです。)
ギルガメッシュ叙事詩にもその名が出て来る主要な女神…と言うか、シュメール神話はそもそもイシュタル信仰が核だったと言われてもいるので、(元は男神と女神だったものが、女神イシュタルに統合された説も含め)神道における天照大御神(※3)に通じるものがありますね。
当時の唐の長安は国際的な都市で、ペルシャ人やトルコ人など西域から来た人も多かったと言われています。
つまり長安の都は「シルクロード」を通して西域や南方との人や物の行き来が盛んだったわけです。
楊貴妃のドラマなり映画なりを観たことがある人ならよく分かるかと思いますが、唐時代の隣国の女性装束は(現代を除き)中華史上最も露出度が高く、洋装化してもいます。
そんな環境の中で、大学での研究に飽き足らず野山に飛び出してしまうくらい探究心の旺盛な空海が、仏教(密教)だけを学んできたであろうはずがありません。
空海が長安の都で見聞したであろう世界の宗教
シルクロードでの交易というと、多くの日本人は人や物の行き来だけを考えて、「宗教」の行き来までは考えない人が殆どでしょう。
ですが実際には当時の長安には、儒教・仏教・道教の他にも
唐代三夷教と言われた景教(キリスト教ネストリウス派)・祆教(拝火教)・明教(摩尼教)の他に、回教(イスラム教)やユダヤ教の寺院もあったのだそうです。
(回教はウイグル族がイスラムに改宗した事から回教と呼ばれるようになったそうです。今の中国のウイグル族弾圧に、何か関係があるのでしょうか…?)
現代の私達が想像する以上に、唐の時代の隣国は国際色が豊かだったのですね。
そして当然そうした外来の宗教の漢字で書かれた経典なども存在していたそうですから、好奇心&探究心旺盛な空海がそれらを素通り出来たとは到底思えません。
実際、空海について研究している方々や真言宗の僧侶からは、空海は景教について知っていた(学んでいた)と言う話が出てきます。
景教(ネストリウス派)は、キリスト教の本流からは異端視されて迫害を受け、東方(ペルシャ=現在のイラン&アッシリア=現在のイラク)に追いやられ、ペルシャ人司祭によって唐にもたらされた経緯がありますが、
現在に至るまでのキリスト教の出鱈目ぶり(為政者や権力者にとって都合の良いように、聖書の解釈や時には記述の改竄をする)を見れば、ネストリウス派の人たちは「信仰」と言う観点から見れば「ピュアな人々」だったのかも知れません。
つまり見方によっては、欧米の一部の勢力が日本をはじめとするアジア勢力を叩きたがるのには、西洋が正統と自認するキリスト教と、異端視されたが故に中東→東洋に逃れたキリスト教との宗派争いも隠れている(影響している)ことになるのでしょうか。
いずれにしても景教だけでなく、祆教や摩尼教、回教など凡そ(漢語で)目に耳に出来るものであれば、探究心旺盛な空海のことですから、きっと研究材料にしていたでしょうね。
以前何処かで書いたかと思うのですが、全体主義的な世界統一政府の樹立を目論むグローバリスト勢力の一部には、グレートリセットで既存の社会構造だけでなく宗教をも破壊・削除し、世界新秩序下での統一世界に相応しい新宗教の導入を企む勢力が有るといいます。
けれども、わざわざそんな人為的・作為的なことをしなくても、もともと日本の宗教は神仏習合によって世界の様々な宗教の要素がミックス(ある意味「良いとこ取り」)されていた…と言うことが、今回の記事でよくお分かりいただけたかと思います。
「日本には宗教が根付かない」とよく言われるらしいのですが、「根付かない」のではなく、もともと「神仏習合によって、既に全ての宗教の要素が日本に存在していたから、改めて新しい宗教を採り入れる必要が無かった」と言うのが、本質的な意味での正解なのかも知れませんね。
近現代の日本はカルト宗教などの問題が、一定の周期を置いて社会問題となることを繰り返しているわけですが、
それを考えると明治政府が行なった「神仏分離令」やGHQが行なった「神道司令」は、日本人の心の隙間を作り精神的なアイデンティティや拠り所を奪ってしまったと言う意味で、非常に罪深い政策だったと言えるでしょう
今回はこれで終わりです。
最後までお付き合い頂きました皆様には、大変ありがとうございました。
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【脚注】
※1;ニーチェの「ザラスシュトラはかく語りき」のザラスシュトラはゾロアスターの独語読み。
因みに日本の自動車「マツダ」の英語表記はMAZDAですが、これは事実上の創業者である松田重次郎の姓と、叡智・理性・調和の神を意味するゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー(Ahura Mazdā)にちなみ、自動車産業の光明となるよう願ってつけられたのだそうです。
ロックバンド「Queen」のヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーがゾロアスター教徒だったこともよく知られている事実です。
※2;イシュタルはメソポタミアのアッカド期、イナンナはウルク期の呼称でどちらも金星を表す。ヴィーナスは言うまでもなく金星のことで、現在でも金星の英語の呼称になっています。
占星術はメソポタミア発祥ですが、占星術上の金星は金運を表すナチュラル・ルーラーでもある為、理論的には「弁財天」も金星の象徴と言えます。
※3;イシュタルは「明の明星」は男神、「宵の明星」は女神とされていたそうです。
神道(古事記)の三貴子(天照大御神・須佐之男命・月読尊)くらいまでは性別は無いと言う説がありますが、
(記紀には書かれていないものの、)古史古伝の中には、天照大御神は瀬織津姫神(妻)と邇芸速日命(夫)が一体になった神様と言う記述があるものも見られるのだそうです。