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心の在りかについて


心の拠り所を求めて右往左往している。いわゆるリスクの分散投資。一極集中だと、そこがダメになった時に共倒れしてしまうので、なるべく沢山の拠り所に少しずつ自分を置いておくというか、セーブポイント増やしましょうね的な感じ。その中でも平等ではなく、推しが一番ではあるけども。



今回、若干踏み込んだ内容の公開独り言になるため、ネガティブ要素が多いかもしれません。読まれる際はご注意願います。



そこにあるのに見えない、でも確かにあるので物理的な心、と言っていいものかわからないけど、心は人体のどこにあるのか、そもそも心とは一体何なのか?という問題がある。ハートと言ったりマインドと言ったり、状況によって違うけど心臓にある派と脳にある派が有力。それは科学的に脳波を図ったり心拍数や脈拍数と精神状態が一致してるからだそう。ただ、脳波も脈拍も数値に過ぎないし、個人的には下半身、特に生殖器にあるんじゃないかと思ってる。冗談ではなく割りと本気で思ってる。もう1つの心というか本体というか、本音とか本能と言う場合、あまり都合がヨロシクナイ時に使われがち。出来れば隠したい真の自分。でも都合の悪い真実と科学の関係って、なんだか中世な感じがして面白くないですか?キリスト教の魔女狩りみたいな。いや決して面白がっているわけではない。事実、僕の兄弟が急に「病んだ」のだ。




二年ほど前のこと。京都ではないけど国立大を卒業するほどには兄弟一番の秀才だったが、頑固者では表しきれないほど人の話を一切聞かない性格であった。みんなそれが性格だと思っていたが、それが災いしてか異性と付き合った事はなかった。
本当にある日突然起こった。焦った様子で、その兄弟と同居していた母親が言うに、最近謎の奇行をしていて意味不明な事を喋っている、と言う。僕はそれに関して全く興味もなければ意味もわからず、その日は放置した。その兄弟と僕は年が一歳違いで、仲が昔から悪かったのだ。

数日後、本当に様子がおかしいというので仕方なく見に行ったところ、確かにおかしかった。会話が通じない。急に泣き出す。と思ったらすぐ笑いだす。恐怖でしかなかった。精神が壊れてしまったんだな、どうすればいいのだろうか、対処法を考えるとともに、その場から逃げ出したくて仕方なかった。病むって、一部の有識者が「鬱は甘え」と言ってしまうほど普通の感覚では理解出来ない事で、そんなわけないでしょ、と考える。それは検査でも数値化出来ないし、医者も匙を投げるな仕事しろ!と言うのと同じ事で、だってわからない。人体の不思議。病まない方法があるならノーベル賞取れる勢い。

そうして兄弟は入院した。そしてすぐに退院した。え、ちょっとどういう事?またまた意味がわからない。そう、精神病院は満床どころの騒ぎではないのだ。本来、診察ですら全然予約が取れない世界。それを知って、犯罪者や事故死の一部は何らかの病気であったのでは、と推測したくなるほど紙一重の世界を自分はのうのうと生きていたのかと知り、そりゃ鬱は甘えと言いたくもなるよな、と思った。(そこまで深い意味の台詞ではない)

実際自分も昔、鬱気味に引きこもりニートだった時代もあり、結構割りと長い期間そうであったので何とも言えないけども、今思えばあれは完全に修行が足りない甘え者だったかもなと思う。いや知らんけども。




退院した兄弟は普通に会話が出来る状態に戻っていた。なんかそういう薬があるらしい。完全に科学が勝利した瞬間である。不都合な林檎なんて存在しなかったんや、そう安心したのもつかの間、またも発作が発症し、街を徘徊して救急車沙汰、警察沙汰、からの再入院。自分で勝手に薬の量を減らしていたらしい。ちなみに今は落ち着いて(?)いるので、多分ちゃんと薬をしっかり飲んでいるんだと思う。

その日の奇行の中の1つに、近所のアパレル関係の店の店長の名前を叫びながら、その店のポストに自分の家の鍵を放り込むというのがあり、その店長の事を片思いしていたというのがあった。どういう経緯とか原因があるのか、真実がいつも一つとは限らないけど、僕は生殖器に操られて制御不能になったのではないかと考えている。満月の夜に豹変する狼男の様に。根拠もデータもない。それは変貌というより解放されたと言っても良いのかもしれません。
幸い、警察に呼ばれて(自分で家の電話番号は言えた)、迎えに行った時に泣き出したり異常な精神状態だったという事もあり、警察も一切関与しないという結果になり、なるほど…こういう事は昔からチョイチョイある事なんだろうな、とも思った。


出来ればコロナのせいという事にしたい。しかしそれで納得出来るかといえば、そんなはずもない。自分は幸いコロナによる症状も出てないし、血は繋がっているとは言え奇行も発してない。いや、発してるのかもしれない。うん、多分すでに発しているのだと思う。ただそれが弱いか強いかだけであって、そういう「性格」に分類されているだけなのかもしれない。まだまだ人体の謎は解明されていない所がとても多いので、他人の考えている事はわからなくても、せめて自分の事ぐらいは深く研究していきたい。


最近、頭がグルグルする事がたまにある。スカスカするというか。今までになかったことなのか、今までもあったのに気付いてなかった事かわからない。もし自分もあんな風になったらどうしよう、と不安になった。でも決定的に違うと思うのが、良く知らないし知りたくもないけど、自分を慰める方法を知らなかったのではないか、と推測する。自己肯定感、自分を認めて誉めて好きになって甘やかす。そういう事が大切だ、と以前某先輩から教わった。人の意見を聞くという事に関しては一家言ありすぎる僕に関しては大丈夫だろうと信じたい。漫画や書籍や映画などの作品を含め、色んな人の名言を求めて三千里歩いている。

個人的に脳がモヤモヤしてきて頭グルな時の対処法としては、まずアゴの力を抜いて食い縛ってた歯を開けて、はへーと言う腑抜けた顔になる。ぴゃー、でもいい。目も力を抜いてトロンとさす。そして1mぐらい先にある何かを一点集中して見る。その時に焦点は合わせず、ボーっと見る。紙に点を2つ並べて書いて、それを焦点ずらして3つに見えるようにする視力回復法みたいな感じ。ボーっとしてるけど集中して見る。すると脳にモヤモヤしてる気体のようなモノが結露して液状化して脳幹を下って飲む込む、かのような感覚になる。それでおしまい。なんだろうね?肩のちからの抜きかたなのかな。スッキリとする。楽しい事を考えるでもいいけど、そもそもそんな気分になれないので、その前段階の準備運動というか、基本動作というか。この場合、人間関係による不和が含まれていないけど、自分だけの再起動の仕方でした。人付き合いの極意についてはまた別の話で。理由もなく不安になるドキドキ編についてはもう、僕にDM下さい、一緒に飲みましょう!何も足さない、何も引かない、本格麦焼酎二階堂。


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