好き嫌いはあっていい
「うちの子、緑のお野菜は嫌いなんですぅ」
よく聞くセリフだ…
不思議とそう言うお母さんたちは、何故か堂々としてて誇らしげでもある…
何故??
そして往々にして、そういう子たちは給食は完食する…
何故??
「なんでもおいしく食べる子どもにするために」というスローガンのもと、長年食育講座を開催しているけど、最初のセリフ…年を追うごとに頻繁に聞くようになってきた
このスローガンは子どものためじゃない。
料理を担う大人のためなんだけど…
じゃあ子どもからしたら?
『好き嫌い』はあっていい。
むしろない方がおかしい。
誰にだって好み…てものはあるからね。
だけど…
嫌いなものを食べなくていい…てわけじゃない、
逆に好きなものばっかり食べてればいい。
て話でもない。
食は…殊に、日本の食は
お腹を満たすための「餌」ではなくて、
四季を感じたり、島国日本を伝える文化でもある。
各地域で特色あるお雑煮を食べる文化があるからこそ「世界無形文化遺産」になったのだし、寿司・天ぷら・すき焼きという「ザ・日本食」というのとは全く違う歴史を持っている家庭料理があるからこその制定なんだけどね。
…話を元に戻そう…
唐揚げ・ハンバーグ・餃子・カレーライス・焼きそば…
これが毎日のごはんのルーティンだというご家庭も少なくないだろう…
でも、日々食べる食事には、特に成長期の子どもたちが食べるものには、「身体を作る」という役割がある。
なのに、好きなものしか食べない…でいいの?
病気になった時に「うちの子、お薬嫌いなんですぅ」て言って飲ませない親はほとんどいないのに…である。
子どものお料理教室では、意識して野菜多めのメニューにする。
バランスの取れた献立にする。
「まごわやさしい 」のクリアはもちろん、
一汁三菜も死守するし、普段お家では食べなさそうな食材を意識して使ったりもする。
もちろん子どもたちは
「えーオレ茄子嫌いー!」
「この変な葉っぱ、食べたくないー」てなる
おーよく言った!だ。
「『嫌い』とか、『ヤダ』とか、言ってもいいよ!
だからって食べなくていい…てわけじゃないよね?」て話す。
もちろん、子どもたちは残さず食べる。
そりゃ、ま、量を減らしたりはするけど、お皿にのったものは平らげる。
何十年もやってて、食べなかった子はいない。
まぁ、頑なな子は次から来なくなるだけ。
最近は冒頭の台詞は、料理が得意じゃない大人の免罪符的な言葉なんだと解釈している。
「うちの子は野菜嫌いだから、野菜料理はしなくていいんですぅ」
てな具合にね。
よく考えてみて
自分だって好き嫌いはありますよね?
でもそれはほんのわずか。
「好きでも嫌いでもない」ポジにあるものの方が多いと思いません?
自分の感情までデジタルにしなくていいと思うし、食は感情に左右されるべきものでもないと思う
あ
なんかごちゃごちゃになってしまった…
また改めて…まとめます