人生を変えたかもしれない曲
柴田淳、というアーティストをご存じだろうか。いわゆる「シンガーソングライター」で、もう20年くらいのキャリアがある。数年前、自分でもライブで言っていたが、これといったヒット曲はない。でも、東京公演は2回するし、地方でもホールが満員になるほどに、ファンはいるようだ。私もそのひとりで、ファンクラブに入っている。そして、彼女の曲は、私の人生を変えたかも知れない曲なのである。
昔から音楽は好きで、悲しい時も、嬉しい時も、いつもそばにあった。少しだけピアノもやったし、ギターも中学生の頃から弾いていた。若い頃はカラオケなんかはなく、私のギターは、人に聞かせると言うより、今思えば、カラオケの代わりだった。その話は別の機会にゆずるとしよう。
話を戻して、私が彼女(の曲)を知ったのは、10年以上前のこと。当時、中年だった私は、自分の中で、何かが足りない気がしていた。会社の中では、まあまあ普通に出世していたし、家庭も、ちょっと変だけど、まあまあ普通だったと思う。でも、何かが足りなかった。足りないのは、夢、とか、目標、とか、そんなポジティブなものではなく、言うならば平坦な地面に、一つ、くぼみという「足りないもの」があるような感じ。今までなら、そのくぼみを埋めるのは音楽だったはずだが、当時のポップス(J-POP)を聴いても、懐かしい歌を聴いても、クラシックもジャズもよく聴いたが、どれもくぼみを埋めるようなものではなかった。
そこに、彼女の曲がすっぽりはまったのである。きっかけは、当時よく利用していた、レンタルCD屋さん。店員さんがつけたポップに惹かれて、彼女のCDを借りた。「Single Collection」といって、Single盤を中心に構成したいわゆるベストアルバム。その中でも、特にはまったのが、「それでも来た道」という、2枚目のシングル。私は曲を聴いてしまう方だけど、それでも、がんばらなくていいと言ってほしい、泣いてもいいと言ってほしい、という部分が心に刺さった。
きっと、当時はよっぽどがんばっていたのだろう。それも、そぶりを見せずに。元々、何をするにしても、淡々とする方だったので、周りもがんばってやっているとは思っていなかったのかも。そして、人生という、いつか終わりは来るけど、その頃は途方もなく長く感じられた道に、先々の希望が見えてなかったのかも知れない。同僚に、50歳まで生きられればいいよ、みたいなことを言って、驚かれたのを覚えている。
もし、彼女の曲に出会っていなかったら、今頃どうなっていたのだろうか。何も変わっていないかも知れないけれど、もしかするととんでもないことになっていたかも知れない。どんなポップだったか忘れたが、ポップをつけてくれた店員さんには感謝している。今では、彼女の曲は癒やしの曲になっている。
My Favorite Singer-songwriter、しばじゅん、ありがとう。そして、これからもよろしく。