猫とのご縁1/ミーとの出会いと別れ
今から30年前、完全室内飼いがほとんどなかった時代の話です。
私が住んでいたアパートの近くのゴミ捨て場に、親子の猫が捨てられていました。
近所のおばさんが餌を与え、そのままうちの前の通りに住みつきました。
子猫が病気になり、子猫を舐めていた父猫も母猫も病気になり、子猫と父猫は亡くなりました。
残された母猫は、おばさんに動物病院に連れて行かれ、治療と避妊手術を受けて、戻って来ました。
おばさんの家の前で毎日餌待ちをしていた母猫は、仕事帰りに酒のつまみにちくわやチーズを買って帰る私に餌をねだる様になりました。
鰹節を与えたらゴロゴロと喉を鳴らして食べ、次第に私に懐く様になりました。
私が出かけると姿が見えなくなる迄見送り、帰宅時間になると階段下で待ち、足音が聞こえると全速力で走って来ます。
そのうち部屋に入って来る様になり、私が仕事に出かける時に外に出しても、塀から屋根へ、屋根からベランダへと飛び登り、鍵のかかっていなかった私の部屋の引き戸を勝手に開けて、帰宅すると部屋の中にいることもありました。
寒い冬の夜、布団の中に入りたがったので入れてあげると、こちらをじっと見つめ、その目から涙が流れ落ちた時は、驚きました。
ミーと名付けたその母猫との不思議な同居生活は、6年続きました。
野良猫と喧嘩して大怪我をしたり、子猫を拾って来たときにはヤキモチを焼いたり、ミーを追いかけて来たオスの野良猫が、ミーに続いて私の部屋に飛び込んで来たり、本当にいろいろなことがありました。
ある朝、ミーは、私が仕事に行くのを止める様な仕草をしました。
いつも以上に甘える以外は見た所異常はなかったので、私はミーを部屋に残して仕事に行き、いつもの時間に帰宅しました。
帰宅すると、ミーは普段通り足元にスリスリと甘えて来ましたが、抱き上げると体温が低いのがわかりました。
布団の上に、初めての粗相もしています。
しかし私の顔を一所懸命舐めるミーの舌の力はいつも以上に強く、生きる力を感じました。
明日動物病院に行って診てもらおうと、一旦抱いていたミーを下に降ろしました。
ミーは私の行く先を遮りながらゴロンと何度も転がり、撫でてあげると、顎を私の手に乗せてゴロゴロ喉を鳴らし、そのまま一声大きく鳴くと、ぐいーっと伸びをする様な姿勢になり、その状態で目を見開き息が止まってしまいました。
突然の、信じられない様な、見事な死に様でした。
私は、ミーの亡骸をソファーに寝かせ、見開いた目を手で閉じて、自分の着ていたセーターを上にかけました。
気持ちを落ち着かせる為にウイスキーを飲みながら、音楽をかけ、一睡もせずミーとの6年間を思い出しながら、お通夜をしました。
翌朝、近所のおばさんにミーの死を報告しました。
ミーは亡くなる前日、捨てられてから餌をもらった近所の人皆に、頭をゴツンとぶつけて挨拶をして回っていたそうです。
おばさんはミーを近くのお寺にある動物霊園迄連れて行ってくれることになりました。
その日は桜が満開で、ミーとおばさんは花見をしながら動物霊園に向かったそうです。
毎日当たり前にいた存在が突然いなくなることの寂しさ。
猫と暮らすことの楽しさと猫の愛情の深さ。
感謝を表現してからの潔い死に様。
ミーは本当に沢山のことを教えてくれました。
天寿を全うしたミーも、元はゴミ捨て場に捨てられていた子です。
この様に愛情深く、喜怒哀楽を持ち、感謝の心を持つ猫を、
物の様に捨ててしまう人が一定数いるのは今も昔も変わりありません。
自分の子供や親まで虐待して殺してしまうニュースが後を絶ちません。
今を生きる人間は、「生命」の重さを考え直さなければなりません。
ミーが亡くなってから20年以上経ちますが、今でもミーとの日々は昨日のことの様に思い出します。
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