見出し画像

初めまして

初めまして。
まっけいゆうです。

現在、大学院へ通っている23歳の男。

周りの環境に恵まれ、何一つ不自由なく大学院まで進学させていただいた。

そんな私が最近特に感じることがある。それは、


とてつもなく暇である


ということだ。

ここでの「暇」とは、「時間的」なものではなく、「心の隙間」のようなもののことである。

ただ一日一日をこなしていくことに飽きが来た。

「暇」すぎて「生きる意味」や「人生のゴール」を、考えてしまう始末である。

きっと世の中の哲学者達は「暇」を極めし者なのであろう。


そのような「暇」を感じ出した最も大きな原因が「周りの変化」だ。

今年24歳になる年であり周りのほとんどが、いや、全員が「社会人」だ。

そして、皆が同棲・結婚・出産と大きく環境が変化しているなか私は何一つ変わっていない。

そして、

    

明らかに遊んでくれる友人が減ってきているのだ。


そう、皆「つれなく」なったのだ。

当たり前である。

私はまだ親の脛をかじりぬくぬくと大学生をしているのだから。

社会人の友人とは自由な時間の量も質も異なる。

そのため遊んでいただける日はとても貴重な日となった。

「暇」を極める私は「人生を豊かにするためには何をすればよいか」「どうすれば良い経験ができるのか」などといったことに気を回してしまい、純粋に楽しむことができていない。(全部が全部ではないよ)


以上より「暇」な現状から脱出し「人生を豊かにしたい」という想いを強く抱くようになったのだ。

そうして、その想いを満たしてくれる趣味のようなものがないかと、試行錯誤した結果とんでもない代物を見つけた。


読書である。


そうして読書を始めてみると、見事に「沼った」のである。 


「沼る(ぬまる)」
熱中する、夢中になる、ハマる、のめり込む、没頭する、という意味で用いられる通俗的な表現。特に趣味の分野において、その世界の奥深さに引き込まれていく、という意味合いを込めて用いられることが多い。(weblio辞書からの引用)


活字を見るだけで網膜が弾け飛ぶほど読書が苦手であった私だが、大学院で渋々精読させられる論文に比べればどれも夢中になれるものばかりだ。


読書の魅力は沢山あるが、その中でも、どの本を読もうかと書店で吟味している時間はたまらなく良い。

それは「サーティーワンアイスクリーム」で、ショーケースの中に連なる、色鮮やかなアイスクリームの中から、「ダブル」の組み合わせを選んでいる時の感覚と非常に近似している。


そんな読書に「沼った」私はあることを気づいた。


読んだ内容の八割以上を三日後には忘れていたのである。

その事実が発覚したのは、食卓に置かれた私の本を手に取った母親からの一言であった。


「これどんな内容だった?」


...うまく説明できない。いや、そもそも内容を覚えていない。

「本を読む」という行為に満足してしまっていたのだ。


私は今まで何をやっていたのだ。

長いとは言えない脚を組み、スターバックスラテを片手に、平日の昼間から本を片手にドヤっていた時間はなんだったのか。

絶望であった。


そして、もうこんな思いはしない。と、心に固く誓い、noteで本の内容をアウトプットすることを決めた。

そのため、「本紹介」とは名ばかりではあるが、面白いと感じた本の内容をここで積極的にアウトプットしていこうと思う。


完全に自己満足である。だが良い。
見切り発進でどこまで続くかわからない。だが良い。
ゴリゴリの理系で文才が微塵もない。だが良い。

もう「暇」すぎて四の五の言っていられないのである。

つれない「連れ」の皆さん。

よろしければ、私の「暇」に少しだけ付き合ってやってください。




まっけいゆう




いいなと思ったら応援しよう!