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家庭内条例

6月に、会社を辞めたことを機に、今まで単身で暮らしていた東京から、妻子の暮らしている福岡に戻って来ました。正確にいうと、「戻って来た」というより「やって来た」という方が正しいのかもしれません。なぜならこの家は、単身生活が始まってからローンで購入した新築マンションなので、そもそも私が一度も住んだことが無いからです。

単身で家族と別々の生活が長く続くと、いくら自分の家とはいえ、たまにしか帰って来ない我が家に、自分専用の居場所はありません。また、長く一緒に生活していないと、いつの間にか、その家にはその家独自のルールというものが生まれ、そのルールに適応できない人間は、まあまあ迷惑な存在となります。

東京のアパート生活では、独りで自由に暮らして来たため、誰に文句を言われることもなく好きに生活していました。そのくせで、ついつい福岡の家でも同じ行動をとってしまうことがあり、そのなんでもない行為によって、ときに大きなトラブルに発展することがあります。

これから話すことは、単身生活18年の中で、休みを利用して帰った時に起こった数々のトラブルの中で、もっとも衝撃的な出来事となります。出来事というより事件と言った方が良いかもしれません。ぜひ、最後まで目を離さずに読んでください。

私はお風呂に入る時に必ず浴槽に浸かり、そこで温まった身体を、最終的に冷たいシャワーで冷ますことで気持ちいい!と思うタイプなので、単身生活では、普段から当たり前のようにそれを繰り返していました。

そんな私は、福岡に来たときは多少気を遣いながらも、やはり東京と同じ習慣で、お風呂のさいごに温度調節つまみをを冷水にしてシャワーを浴びていましたが、独り暮らしのくせで、温度調節つまみをいじったあとは、元の温度の40℃の位置に戻すことなく、冷水の温度にしたままで出てしまっていました。

ところが福岡宅では、冷水でシャワーを浴びる人が私以外に居ないため、次にシャワーを使う人は、これまでの習慣により、まさか温度調節つまみが冷水になっているとは思わずに、温水に変わるまでの数秒間を出しっ放しにして、そろそろお湯に変わったかな~くらいのときに身体にかけます。

そうすると、誰でも想像つくと思いますが、「わっ!冷たい!!」ってなります。

これはその家のルールの違いというより、行動様式の差であり、どちらかが気が付けば次からは修正されるだろうし、経験から教訓を得た側が気を付ければ良い話です。

私としては、温度を確認しなかった側にも落ち度はあると思うのですが、当時のこの家の世帯主である妻の頭にはそんな反省はなく、どちらかというと、そもそも普段住んで居ない人が来なければ、こんなことは起こらなかったという考え方であり、怒りの矛先は温度調節つまみを冷水にした人に向かいます。

「ちょっとぉー!シャワーの温度はちゃんと元へ戻してよ!!」


「ああ、ごめん。」

私が帰って来る度に、何度かこのやりとりがありました。

私も別に悪気があってやっているわけではなく、数か月に一度、数泊するだけなので、どうしても東京と同じ習慣を繰り返してしまい、温度調節つまみを元に戻すことを忘れてしまうのです。

ある時、堪忍袋の緒が切れた妻から、

「今度、シャワーを水のままにしていたら、罰金千円だからね!」


と一方的に罰則が設けられました。私は冗談だろうと思っていましたが、妻は本気でした。

実は妻は、冷たいシャワーを浴びるのに懲りているため、事前に温度調節つまみをチェックし、温水に変えてからシャワーを浴びるようになっていました。なので、実際には冷水の被害には遭っていません。

にもかかわらず、罰則を設けた理由の背景には、「家族に対する思いやり」という気配りの精神を私に期待したからではないかと推測できます。

それにも関わらず、罰則が設けられた直後、私は同じ過ちを犯してしまいました。

「またシャワーが!!はい、罰金千円ね!!」


「マジか?!!」

投票権も無いところで勝手に生まれた家庭内条例に対して、私は不条理を感じつつも、渋々千円を渡しました。

ただ、考えようによっては、確かにこの罰則のおかげで、私は「次は絶対に温度調節つまみを元へ戻そう」という気になったので、このやり方自体は効果的だと感じました。だからと言って、配慮の足りない人に対して罰則を利用して正したところで、その人に思いやりの心が芽生えるかというと、はたして疑問が残るところではあります。

このとき、ふと、スタンリー・キューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」という映画を思い出しました。

罰金を支払った明くる日、私は東京へ戻る支度をしていました。すると妻から、

「空港まで送っていくけど、都市高速代は払ってね。」


これは今まで言われたことのない発言でした。

私は私の給料のうち、自分が慎ましく生活できる生活費だけを第2口座に振り込んでもらい、残りは住宅ローンと福岡の家の生活費として振り込まれるようにしていました。どちらかというと、福岡の家の方が明らかに裕福な暮らしをしており、私は洗濯機を外に置いておくような賃貸アパートで学生のような暮らしをしていたため、高速道路代を出さなければならないことに若干の違和感を覚えました。

もっとも高速道路代といっても、せいぜい600円程度です。バスと電車で空港に向かうより、クルマで空港まで送ってもらう方が、時間的にも労力的にもはるかに楽なので、それくらい払っても別に良いのですが、昨日も罰金千円払ったばかりだったので、つい、

「ちぇっ!ケチくせーの」

と、小さい声で呟いてしまいました。

するとその声を聞き逃さなかった妻が、

「送ってもらうくせに、ケチくせーとは何事だ!!そんなことなら、もう送らない!勝手に独りで帰ればいい!!」


と、烈火のごとく怒りだし、謝ったところで手の付けられような状態となりました。

もはや電車ではフライトに間に合わない時間になっており、このままでは飛行機に乗り遅れてしまうと困っていたところ、当時6歳の娘が、

「パパが飛行機に乗り遅れる!!送ってあげて!!」

と、泣いて頼んでくれた結果、妻は仕方なく、私を空港まで送ることになりました。

空港までの道中、車内の雰囲気は最悪でした。

一人は怒って無言だし、一人は怒られて喋り難い状況だし、一人は泣いたあとなので黙ってるし、とにかく3人とも無言のままクルマは進みました。

空港に着くと、私は送ってくれたことに対して「ありがとう!」と言うも、妻は振り返ることもなく、娘からの「バイバイ~!」の声だけが外に響いていました。

無事、羽田空港に到着し、お詫びも兼ねた到着の電話をしようと、ポケットのケータイを出そうとするも...

「あれっ?ケータイが無い?!!」


いくら探してもケータイは見つからず

「もしかしたらクルマの中で取り出したときに置き忘れたかも?」

と、やむなく公衆電話から福岡宅(当時は自宅電話がありました)に電話してみると、

「はい~っ!!」と、妻の明るい応答の声が聞こえてきました。

「もしもし、俺だけど、」

「・・・・」

そう言った途端、切られるところまではいかなかったものの、それまで明るかった声が無言に変わり、通話は成立せず、私が一方的に喋るだけで、まるで留守番電話にメッセージを入れてるみたいな状態となりました。

「もしかしたら、クルマに俺のケータイを忘れたかもしれないので、次に俺が帰るまで預かっておいてくれませんか?」

「・・・・」

「じゃあ、よろしくお願いします。」

「・・・・」

なぜか敬語で話している私の言葉が、受話器の中にむなしく響きます。

3日後、突然、福岡宅から会社に着払いで荷物が届きました。送り状に「携帯電話」と書いてあったので、

「なんだー!怒ってたくせに、いいとこあるじゃん!」」

「みんなー!今日から俺、ケータイ復活したから!ヨロシク~!!」

週初めに、1ヶ月くらいケータイが使えなくなったことをチームのメンバーに伝えたところだったので、この朗報に、ウキウキしながら、皆んなに早速ケータイが戻ったことを伝えました。

送り状に「携帯電話」と書かれた頑丈に梱包されていた荷物を開梱していくと、幾重にも包まれた肝心の中身はなかなか姿を現さず、ようやく最後の包みを開いて現れたケータイは、驚くことに、

真っ二つになっていました!!

それがこれです。

当時はスマホはまだ無く、ガラケー全盛の時代でした。私の使っていたケータイは、よくある二つに折りたたむタイプではなく、ボタンを押すと「シャキーン!」という音とともに、画面が上にスライドし、下から文字ボードが出て来るタイプでした。二つ折りのタイプなら、てこの原理にて、女性でも簡単に折ることはできますが、私の所有していた三菱製のガラケー(写真参照)は、二つに折れるイメージがまるで湧かない形状でした。たぶん、万力で本体を固定してから、金属バットでフルスイングしないと折れないんじゃないかと思うほどのごっついタイプです。それがこのとおりです。

一瞬、いま何が起きているのか理解できませんでしたが、1~2秒後、どういうわけか誰にも見られたくない気がして、慌ててそれを隠しました。そして気を取り直して、チームのメンバーに再度言いました。

「みんなー!ごめん、やっぱり俺、暫くケータイ無いから!!」

その後しばらく茫然としましたが、少し落ち着いてからもう一度中身を確かめ、見間違いではなかったことを確認しました。

その日はあまり仕事が手に付かず、早々に帰りましたが、なんせケータイが無いもんだから、こちらから連絡(しかも公衆電話で)しないと誰からも連絡が入らない状態です。

最初は少し不安でしたが、そのうちにそういう生活にも慣れ始め、ある意味、昭和の時代に戻ったみたいで、逆に新鮮に思えるようになりました。むしろケータイが無くなったお陰で、普通では得られない貴重な期間を過ごすことができたと言えます。

たまには、ケータイやスマホも一切使えない時間を過ごしてみるのも良いかもしれませんね。

その後しばらく、事態の鎮静化を図るため妻には連絡しませんでしたが、というか連絡できませんでしたが、1か月を過ぎた頃にようやく連絡し、謝罪と反省の言葉を伝えることで、無事に和解となりました。時が解決するという言葉を噛みしめました。

それから新しいケータイを買ってもらうまでに、一度妻のお古のピンクのケータイを半年ほど使っていた時期もありましたが、新調してもらってからはケータイを置き忘れないように、大事に大事に使いました。

あの事件から14年ほど経ち、久しぶりに同居を開始して3週間が経とうとしていますが、小さいトラブルは日々あるものの、思いやりと気配りに気を付けながら、なんとか楽しく生活することができています。

なお、真っ二つになったガラケーは、自分自身の戒めとして、今もひっそりと宝箱の中に保管しています。


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