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自閉症らしさとは 

 自閉症スペクトラム障害について一般に言われる特徴として、こだわりが強く人に対する関心がないといったことが挙げられます。
 しかし、多数の自閉症児と関わった方ならおわかりだと思いますが、その症状のあらわれ方や困り感は同じ診断名であっても千差万別です。

 娘のマユについて、「自閉症にはとても見えない」と言われることが多々あります。

 幼児期は言葉の遅れや情緒的未発達、パニック的癇癪や聴覚過敏があり、東田直樹さんの著書じゃないけれど「あるがままに自閉症です」といった様子でした。
 それが小学校に入学して以来、人前で泣いたり癇癪を起すようなことがなくなったので、見た目だけは一見して自閉症とは分からなくなりました。生来の顔つきが(あくまで顔つきだけ)「なんだか賢そう」に見えてしまうことも一因かもしれません。

 さらによくよく考えてみると、見た目のことだけでなく、自閉症の主症状である「こだわり」の内容が独特すぎて、自閉症らしさが相殺されているような気もします。

 ここで二つのエピソードをお話します。

 一つ目は、駅の階段での出来事。
 駅の階段には「上り」と「下り」の方向を指す矢印があります。
 暗黙のルールとして、その矢印にしたがって上ったり下ったりすれば、人の流れがスムーズにいきやすいということなのでしょうが、まれにそのルールに従わない人がいます。階段が空いているときは、矢印通りの進行でなくても、それを咎める人はほとんどいません。

 マユが3歳くらいの頃でしょうか。矢印の方向とは逆に階段を上っている人を見て、マユが泣き出したことがありました。
 親として、「駅の階段では矢印通りに進まなければいけないよ」と教えたおぼえもありませんが、何度か階段を上り下りしているうちに、暗黙のルールを発見していたのかもしれません。

 駅で泣かれるのは避けたかったので、なるべくエレベーターを使ったり、どうしても矢印付き階段を使う場合は矢印に目が行かないように、抱っこして早足で通り過ぎたりしていましたが、4歳になるころにはこちらの言葉もある程度通じるようになってきて、「少しくらい矢印を守らない人がいてもだいじょうぶ」と言い聞かせて理解してくれるようになりました。

 今思うと、この「駅の階段」での出来事はマユの根本的な性質をあらわしているのかもしれません。
 「与えられたルールをきっちりと守りたがる」というこだわり。
 学校の宿題もきっちりとやるし、先生がダメだということは絶対的にやりません。

 ルールを守るという性質は社会的な人間であると評されるかもしれませんが、これが「こだわり」となってくると、「生きにくさ」となって本人の首をじわりじわりと絞めつけていきます。
 ルールを守ること自体は悪いことではないので、これが自閉症的な「こだわり」に由来しているなんて、幼児期のマユを知らない人にとっては想像だにしないでしょう。

 そしてもう一つのエピソード。
 二つ目は、「きれいなお姉さんの顔が好き」ということです。

 マユは乳幼児期から、アニメーションにまるで興味がありませんでした。
 アンパンマンも、しまじろうも、おじゃる丸も、どのような幼児向けのアニメであっても無反応か、むしろ嫌がることすらありました。
 2歳児の検診でそのことを相談しても、「好みの問題です」と言われるだけでした。

 アニメは興味がないけれど、着ぐるみが出てくる人形劇は好きなようで、「おかあさんといっしょ」の「ぐ〜チョコランタン」はよく見ていたように思います。
 要するに、デフォルメされたものよりリアルな実写のほうが好きということなのかもしれません。

 ある日、2歳後半のマユと公園にでかけると、消防庁の火災予防運動ポスターが掲示板に貼られていました。
 そのポスターには「しょうこおねえさん」ことはいだしょうこさんの顔が一面に映し出されていて、マユはそのポスターの前から動こうとしませんでした。「そろそろ行こうか」と手を引いても、強い力で抵抗します。
 30分くらいかけて説得し、最後は足をジタバタさせて暴れるマユを無理にかかえてその場を離れるしかありませんでした。

 また別の日に、ダイソーの大型店で買い物していたときのこと。
 今度はハロプロの「真野ちゃん」こと真野恵里菜さんの火災予防運動ポスターが店内に貼られていて、マユはその前に立ってポスターを凝視していました。  
 しょうこおねえさんのポスターのときと同じく、マユはポスターの前から断固として離れようとしませんでした。
 自閉症児には通用しないであろう「また今度ね」という言葉でダメもとの説得を試みても、私の手を振りほどこうとしながら泣き叫ぶだけでした。

 この真野ちゃんの防災ポスターは街のあちこちに貼られていて、外出の際はルートに気を付けないと立ち往生して帰宅が困難となってしまうような状況でした。

 真野ちゃんは当時、サンリオの番組に出演している可愛らしいアイドルで、療育園の先生にその話をしたら、雑誌の切り抜きを持ってきて下さり、切り抜きをラミネート加工して療育のいろいろな場面で活用していました。
 療育園ではそれぞれの子どもが好きなものをラミネート加工していて、キャラクターや電車の車両、食べ物などがありましたが美少女アイドルの切り抜きはマユ専用でした。

 そのようなわけで、マユの美少女へのこだわりは「人間への関心」にもつながり、誕生日や血液型といった個人のパーソナルデータは簡単に頭にインプットされるようになりました。
 幼稚園のときに、それぞれの園児の誕生日と似顔絵が教室の後ろに貼られていましたが、それらのほとんどをマユはおぼえていて、名前を言っただけで誕生日を言い当てることができました。

 人への関心はデータ的なことから人の考え方や趣味嗜好といった多岐に及ぶようになりました。
 一般に自閉症児は「空気が読めない」、「人との距離感がつかみにくい」と言われますが、そのようなことがないよう、コミュニケーションを教えることも比較的容易にクリアできました。

 結論として、マユがよく自閉症にはとても見えないと言われる所以は、「ルール順守」と「人への関心」といったこだわりが功を奏し、社会的に問題なさそうな存在になり得ているということにあると思うのです。

 もちろん、聴覚過敏だとか聴覚情報処理障害といった自閉症にありがちな感覚症状も備えているので何も問題がないとは言えません。
 小学5年の冬まで、家の中では癇癪的なパニックと自傷行為を起こしていたので、家の外で自閉症的には見えないと言われたところで、家族にとっては特に喜ばしい話でもなんでもないのです。
 自閉症は治るようなものでもないので、年齢的に成長したところでその内面においてはやはり「あるがままに自閉症」であり続けるのでしょう。


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