■「現代詩」と「現代」の詩
「文学」と「作家」への道(22)
「詩人の独り言」改
◇入選はしたけれど…メトロ文学館
8月7日にアップした「湿った手」。
この詩は、このほど発表された第37回メトロ文学館に入選した。457編の応募があり、地下鉄車内に掲示される優秀作は6作。それ以外に20作の入選という。メトロ財団(主催者)のホームページに26編がアップされているが、入選作については期間限定だそう。僕の詩は34回に「笑顔が待つ」という作品で一度入選しており、今回が2度目。ありがたいけれど、一段の努力が必要っていうことだろうか。
この入選作は4月に「手」の題名で既に投稿していた。
自分ではそのことをすっかり忘れていたのだが、熱心に僕の詩を読んでくれてくださる「加澄ひろし|走る詩人」さんが『以前アップされた作品を改作されたのですね』とコメントしてくださり、思い出した次第。
「手」のほうにつけている画像は、24年前、1歳になる前の息子。春から社会人として遠い地に赴任し、初めての一人暮らしをしている。このポスターを送り、「お前のことを書いた詩だぞ」と伝えたいが、絶対気持ち悪がられるから、やめておこう…。
◇現代詩実作講座より
先日参加した、カルチャーセンターの詩講座。
7月に提出した作品に続く隅田川ネタとなる詩である、6日にアップした「隅田川雑感」だ。
大先生からは、「おもしろい」「真剣になってきた」「視点が落ち着いてきた」「よい兆候」――とポジティブな評をいただく。
見たままの感じたままの詩を書く世界から離れない、離れられない詩の書き手である僕としては何とも面はゆい。
大先生は「わざと詩にしなくてよい」ともおっしゃる。「(6連目が)散文を書ける人の詩。それが素直に出ている」とも。
先生は興が乗ると、詩ごとに満点、200点、150点などと言うこともあるが、この日の僕の詩は80点。
彼が満足する評価にはやはり足りないようだ…。
◇手帖に載る日は来るのか
先月末に発売された現代詩手帖8月号の「新人作品」の結果を書店で立ち読みするのが延び延びになっていた。きのう7日に都内の図書館で最新号を確認。当然のように僕の詩は選外佳作にもなかった。
7月締め切り分は送り忘れてしまったので、今月はまた何かヒネリ出さねばならない。
だが、しかし…。手帖誌の選者が6月号掲載分から代わっているので、昨年度までの傾向とは違う作品が選ばれるのか、と若干期待もしたが、それ以前とさほど選ばれている作品に違いはないような印象。
現代詩手帖に載るのが、「現代詩」ということか。自分が考え、書く「現代」の詩は、現代詩とは違う――としたら、なんだかおかしな気がする。こだわる必要はない、とは分かってはいるが、
詩講座に通って2年7カ月もたつが、その教室の人たちと詩作について語り合うこともないまま。
ここでも何度か書いているが、同人誌に参加するなど、生の批評をし合うような場にやはり行かないと、一段の向上はないか。
と書きながら、だらだら続けてるんだけどね。