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■90年前の「現代詩」を見つけた!


「詩集」を読んで (16) 不定期刊

◇左川ちか全集 島田龍編 書肆侃々房 2022年4月刊

23歳と10カ月余りで亡くなった、女性詩人の詩集、英文詩の日本語訳、散文、日記などを収録した、研究者による本である。
亡くなったのが1935年。生まれた1911年2月と同じなのは、元米大統領のレーガン。映画監督黒澤明は1学年年齢的には上。
左川は、日中戦争、太平洋戦争のことも見聞きしないまま、何編かの詩、翻訳を残して早世した。

新聞の書評で、この本が紹介され、初めて知った夭折女性詩人の作品を読んでみたくなり、図書館で予約した。それがようやく回ってきて読んでいる。
収録されている詩はそれほど多くなく、文字やてにをはを修正しただけのものも重複して載せたりしている。
それはともかく、彼女の詩を一読して思ったのは…

現代詩をこの2020年代に綴っている連中って90年前と同じじゃないか!

ということだった。
昭和10年代より前は、昭和初期の世界大恐慌を克服するために、意図時に戦争に向かう産業需要が喚起され、工業生産が伸びた。
同時に、それ以前の大正デモクラシー、大正ロマンのころに広がった文化の大衆化、自由表現があった時代だろう。
日中戦争後の10年余りは戦争と復興で文化、芸術どころではなかったのは言うまでもない。
そうした気風、精神的環境を背景として、今もモダンに映る感性でこれほどまでに詩が書けたものか、と驚いた。

口語自由詩を確立した朔太郎の「月に吠える」が1917(大正6)年刊。左川が小樽の女学校を出て伊藤整とも交流のあった兄を頼って上京したのは1928(昭和3)年、17歳だった。「月に――」などからも影響を受けていたのだろう。

短めの詩を1編、再録する。旧仮名使いを含めて原文のママ。

「錆びたナイフ」
青白い夕ぐれが窓をよぢのぼる。
ランプが女の首のやうに空から釣り下がる。
どす黒い空気が部屋を充たす――一枚の毛布を拡げてゐる。
書物とインキと錆びたナイフは私から少しづつ生命を奪ひ去るように思はれる。

すべてのものが嘲笑してゐる時、
夜はすでに私の手の中にゐた。

左川ちか全集P21

最終連の2行なんて、今現在、北海道から沖縄までの現代詩かぶれの若者が書きまくり、表現しそうな印象だ。
だが、これを左川は1931年、20歳で書いたのである。

当時の先進性と、2020年代が同じレベルと改めて感じさせられた1冊であった。

版元もnote内で参考記事【左川ちかを探して】をアップしているので、気になる方はお読みいただきたい。

記事は前後編、編者のテキストを中心にしている


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