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■新聞と詩の関係

現代散文自由詩人の独り言(19)

先週、6月18日付朝日新聞(東京発行朝刊)に「谷川俊太郎さん『時代と切り結ぶ詩を』」という記事が載った。
昨年11月から詩、現代詩に興味を持つまで、名前だけでも知っている存命の詩人というのは本当に数えるほどだった。
その中のひとりが、谷川俊太郎だ。谷川に限らず、詩集というものをお金を出して買ったこともなかったが、僕の中では一番有名な詩人だった。
現在89歳、今年暮れに90歳を迎えるというお方で、今回の記事は朝日夕刊に連載していた詩が、単行本(版元は朝日新聞出版)化されるというタイミングでの宣伝をかねたインタビューである。
大詩人の言葉としては、ごく当たり前のことを語っているだけで、あまり内容のある記事ではない。あいにく谷川の朝日連載も掲載時には詩に興味がなかったので読んだ記憶はない。
北海道から沖縄まで発行される全国紙、地域(ブロック)紙、地方(県)紙に限らず、業界紙や同窓会紙など、新聞の体裁をとった印刷物で、読者投稿の歌壇、俳壇、川柳というのは一種欠かせない存在だ。
しかし、詩となるとそれを定期的に載せている新聞は少ないはず。産経が朝刊1面に読者による短い投稿詩「朝の詩」を長期掲載しているのを除けば、あまり知らない。

短歌、俳句、川柳に比べれば、詩はずっと長いし、妙に空白、改行が必要だったり、独りよがりの内容も現代詩の場合は多いから、新聞という媒体には合わないのだろう。

その点、谷川俊太郎などは、まだ分かりやすい詩人だし、褒章、叙勲のたぐい、国家からの顕彰を受けていないような人だから、「朝日好み」の作家かもしれない。
これだけ名前と実績のある方でありながら、国家からの賞を受けていない、というのは立派な人、と思うのは僕だけかね。
月に一度ご指導を受けている、ゲイ術、いや芸術院会員の大先生なんかは、若い時には反体制的な詩も書かれているようだけど、ちゃっかり国から表彰されてるし、年金ももらっているし…。
改めて、谷川俊太郎、骨のある人だ、と思った次第。

タイトルは羊頭狗肉でした。

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