■政財界詩というジャンルは…ない
「詩集」を読んで 城山三郎(7) 不定期刊
「支店長の曲り角」 (講談社1992年10月刊)
図書館で詩集の棚を見ていたら、城山三郎の名前があったので、小説が紛れて置かれているのか…と思って手に取って開いてみたら、確かに詩集であった。
ご本人は、あとがきに
「私は、学生のころから詩を書き(略)、詩を書かぬ時期こそあったが、詩を読まぬ時期はなかった。詩は私に新鮮な衝撃を、あるいは静かなやすらぎを与え続けてくれた。詩のない生活は考えられなかった」
と記しており、20代のころに書いたものから、経済小説のジャンルで売れっ子となった後、1990年代の詩も載せている。
本田宗一郎や土光敏夫、大平正芳といった政財界の大物の横顔を垣間見、その実名を入れ込んだ「政財界詩」もあれば、現代詩のできそこないみたいな青臭い詩もある。
まあ、同人誌レベルだろうか。
作家として功成り名を遂げていなければ、絶対講談社が出すとは思えない詩集だろう。
ただ、あれだけの「顔」をご本人が持ち、政財界の大物との直接的な交流から感じた人柄やエピソードを好意的に書いた詩だけでなく、名前を伏せているものの、会社・経済社会の犠牲になっていった人への思いをにじませた作品(詩)はそれなりに共感でき、興味深い内容だ。
僕自身は城山三郎の小説は、おそらく「素直な戦士たち」くらいしか読んだ記憶がない。有名どころの「官僚たちの夏」はちらっと読んだか? 「落日燃ゆ」とかも未読。経済小説って、どれも文学の香りがしないからね…。
自身が特攻隊にいたまま出動することなく敗戦を迎えるといった戦争体験があることで、反権力の人とか、叙勲の類とは縁がなかったことなどで気骨ある人みたいなとらえ方があるらしい。
それでいて、自分が紫綬褒章の内定をもらいながら断ったなどというのを「勲章について」というタイトルで散文詩風にして本書にも収録している。
そんなことわざわざ書くかね? 本当に国家について不信感があり、栄誉栄転を拒絶するならそれは心にとどめておいたほうが恰好いいよ。たぶん。
つまり、俗物ということ。そりゃそうだ、芸術家じゃないもんね。
詩を書く上で、参考になった一冊だが、心震えるような内容はない―そういうことだ。