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■タイパのよい本 悪い本

「文学」と「作家」への道(7)
「詩人の独り言」改

◇滝口悠生「水平線」(新潮社、2022年7月刊)

500ぺージある小説だが、どのページも文字がぎっしりという感じで、すいすい読める本ではない。図書館で借りて3週間以上かけてようやく読了。

著者は2016年の「死んでいない者」で芥川賞を受けているが、まったく知らなかった。新聞の書評で褒められていたので、図書館で予約を入れ、何カ月かたってようやく回って来たのを読み終えた。
本作が織田作之助賞を受け、さらに先日は芸術選奨文部科学大臣賞まで受けるなど、その筋の人には評価された小説なのだろう。

読みづらかったが、全編を通して感じたのは、生と死。昔(戦前と戦中、戦後)と2020年代のTOKYO2020があったはずの東京と日本を不思議な感覚で行ったり来たりする物語のような、そうでないような小説なのである。
今まで、あまり読んだことがない小説という印象を受けた。
いや、この2年、年間100~150冊ほどの小説を含む読書量に対し、それ以前には本を読まな過ぎて、読めていない「文学」が多すぎ、「この程度の小説」に難儀したのか…。

内容
祖父母の故郷・硫黄島を墓参で訪れたことがある妹に、見知らぬ男から電話がかかってきた頃、兄は不思議なメールに導かれ船に乗った…。枝分かれする時間、交差する人生を映し出す長篇小説。『新潮』連載を単行本化。 

図書館データ

時間がかかった、読みづらかったが、中身があった。読んでよかった、と感じた。早読み、飛ばし読みはしにくかったが、記憶に残る、遺しておきたい小説だ。

◇内館牧子「終わった人」(講談社文庫、2018年3月刊)

単行本の初版は2015年、僕は3年後の文庫版で読んだ。「すぐ死ぬんだから」(2018年)、「今度生まれたら」(2020年)と続く、筆者の終活3部作という(後者2編は未読)。
1948年生まれ、団塊ど真ん中世代の人気脚本家だった筆者。現在再放送されているNHK朝ドラ「ひらり」(1993年)を録画して見ているが、実に面白い。その後、大河ドラマ「毛利元就」(97年)も書くなど、トップシナリオライターだったのは間違いない。
エッセー、小説も多数書いており、僕が密かに研究している林真理子級の女性作家だろう。

内容
大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられ、そのまま定年を迎えた田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れた。生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき続ける男に再生の時は訪れるのか? 2015年刊の一部を加筆・修正

図書館データ

主人公は、東大法学部を出て日本のトップ銀行のひとつでエリートコースを歩んだものの、役員にはなれず、40代で子会社に出され、そのままそこで定年…というところから物語は進む。
僕とは世代が違うとはいえ、60男の悲哀や、取り巻く状況が実に共感・実感を持て、ストーリテリングのうまさもあって、グイグイすいすい読めてしまう。

何度か良寛の俳句「散る桜残る桜も散る桜」が出てくるが、主人公の心情に重なる。そして「終わった人」(エリート街道を走っていないが)の僕にも強く共感できるのだ。

2018年に映画化された際に見ていて面白く感じたが、内館作品を小ばかにして原作を読まないでいた。しかし、原作はなかなかに骨格のある小説という印象を持てた。内館牧子はたいしたもんだ。
それなりにボリュームのある本だが、3時間もかからずに読め、面白く考えさせられ、記憶に残る本だ。
つまり、タイパのよい本なのである。

では、3週間もかけて読んだ「水平線」が悪い本だったのか――。もちろんそうではない。
ストーリーを追いかける楽しみとは違う、文章、行間にある空気を感じられるという意味で、タイパとは無縁の良さが「水平線」にはあったと思う。

量的にも質的にもペラペラでいながら、何を言いたいのか分からないひとりよがりの現代詩のような純文学が多い中、小説の多様性を改めて感じた次第(当たり前ですね、今さらですね)。

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