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【受講の感想】先日のご指導――
「文学」と「作家」への道(34)
◇マルハラをフックにしてみたが
先日あった現代詩実作講座。
この日の先生はいつにも増して饒舌で、文学論その他についての語りが多く、受講生の提出作品講評がやり切れるか…という感じだった。
うんこれはいいね、満点、150点…と褒められる作品が多い中、僕が提出したのは11日noteアップの「言語感覚」という詩だ。
前半の、最近の文章に句点が見られないという話は、歌人の俵万智がXにて「マルハラ」についてつぶやいたことが話題になっている、というのをヤフーで読んで知り、書いてみた。
俵万智さんの“マルハラ”に一石投じる一首
それだけだと短いので、これまでにも僕は詩ではない形で何回か書いてきた「させていただく……」が嫌いというのを後半に持ってきた。
◇自意識過剰を反省しつつ…
先生は開口一番「うん…言葉事情ね。『させていただく――』多いね。言葉の難しいところについて書いているんだけど、そこにもっと入っていく書き方がほしいね」との感想を漏らす。
そして、「自意識が過剰。自意識でなく、もっと広い意識を持つこと。(これだと)自分の今の感想だけになっている。扱っていることをもう少し考えてみる。何の問題なのか、と」…という厳しめの指摘をいただいた。
さらに、「自意識を出すのと、独自性を出すのは違う。視野を広くすること」「自分だけが思っている、と思っていることは、みんなも考えていること。そこでまた考えてみる」「みんなが思ってないことを書く。詩は社会的表現であり、自分だけのものではない。自意識の提示でなく、それを解体すること」「言葉は何なのか――を探ること」「世相を映すことにとどまらないように」――。
と言われたのだ。当日の提出作品の中で、一番長くコメントされたと思う。
3年余り通っており、これまでの作品傾向もある程度先生も把握されているうえで、3年分の講評をもらったような印象だ。
◇詩、文章への探求を続ける
自意識過剰だからこそ、承認欲求を求めて、詩を書きSNS、note含めて投稿をしているのだ。今も昔も、ものを書き、それを他人に見せようか、などと考えて行動する人間で「自意識過剰ではない」人間はいないだろう。
――と言いたいところだったが、膨大な過去の文学作品を読み、素人の自意識過剰な詩その他を、これまた膨大な量読んでこられた方の発言である。
的を射ており、こちらとしてはぐうの音も出ない。
まあ、確かに、月に1度の作品提出で先生他何十人かの受講生に見られているわけで、もうちょっと考えて、文言を練るべきではある。
「言葉は何なのか――を探ること」を肝に銘じ、詩、文章への探求を続けたい。
でも、たぶん来月も似たような感じになりそう。やっつけで(笑)。