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本日は大寒なり

泊木俊太郎

 今年の目標は「旧暦マニアになろう!」だ。

 新暦は周知のように、世界的な暦で、日本の土地に由来するものではない。もともとは旧暦というものがある。新暦が導入する前、一説によると六世紀――鎌倉で1185(いい箱)も作られていなければ794(鳴く世)ウグイスすらいなかった時代、遣隋使もいない頃の飛鳥時代だ――その頃から導入され、明治五年まで使われた、じつに一二〇〇年あまり歴史がある暦だ。

 旧暦マニアになろうと思い、まずは、葛飾北斎の浮世絵が施された、手帳型の旧暦カレンダーを購入した。
 それが「和暦日日是好日」というもの。ワタシの知人の友達が作っているものだという。食養生、月の満ち欠け、四季の北斎。自然派で生きる人間には生唾モノグッズ、同じような趣味のひとは、やっぱり一定数いるんだろうな。

(話の流れでリンクを埋め込んでおくけれど、べつにアフィリエイトではなく、話題を共有したいがためだ)

 しかし、それだけ暦暦(こよみこよみ)しておいて、うかつであった出来事がつい昨日あった。



「泊木さん、今日は寒いですね。明日もダイカンだし」

 三月二日に巣鴨でアートイベントを一緒に行う、céuの加藤さんと打ち合わせをしていて、彼女がさりげなく呟いた言葉である。

 へ。ダイカンっすか?

 耳慣れなくて聞き返したワタシに、加藤さんはえーっと驚いた声をあげる。

大寒だいかんですよ。小説家さんだからご存知なものだと思っていました」

 謂わく小説家はひどく赤面した。まさに裸のメロスとはこのことだ。女性に緋色のマントを羽織らせられるまでおのれが素っ裸であることに気づかなかった、太宰治のあわれなメロス。加藤さんはワタシの無知に、素晴らしい知識のマントを羽織らせてくれたのである。
 それにしても旧暦カレンダーを買ったくせして大寒すら知らなかったとは。
 あの大寒である、誰でも知っている有名な大寒、日本人の八割は目を瞑りながらでも書ける大寒、インバウンドの外国人も大寒を避けて日本に入国するに違いない大寒だ、もう呼び捨てにするのさえ烏滸がましい、お代官様ならず、お大寒様である。
 それほどのものをどうして知らずに生きてきたのか。それで旧暦マニアを名乗ろうとは、自分の教養の無さに辟易とさせられる。

 と、家に帰って調べてみると、なんと大寒と旧暦は全く関係ないものであった。

「大寒は二十四節気で、一年のなかで最も寒さが募る頃をあらわしています。
 二十四節気とは太陽の動きをもとに作られています。」

 なんと。

 ワタシはパソコンの前でフリーズした。二十四節気。どっかで見たことあるけどよく知らない言葉がでてきた。パソコンは健気にも検索結果を表示し続けている。

 旧暦、とふるえながら次は調べてみる。
 
「旧暦、別名を太陰太陽暦と呼ぶ。ちなみに新暦は太陽暦である。」

 なんでやねん。
 太陽一個しかないのに太陽にまつわる暦がなんで日本に三つもあるんや。

 ワタシは移り気な暦たちに怒りを覚え、その腰の軽さに恍惚と憧れはじめていた。

 そして、いつもの空想癖が発動して、浮気性な男に振り回される三人の女を思い浮かべていた。私が太陽くんのことを一番よく知ってるの。勝手に太陽の名前を自分につける女たち。そんな彼女たちに振り回されるワタシ。

 やめろって。他人のイチャイチャなんて見てたら寒イボたつわ。
 大寒だけに、って。

 自分で文字を打ちながら寒すぎる。これをギャグと呼べるのかわからない。
 もはやワタシは極寒の渦から逃れられない。
 もう、大寒なんて早く過ぎてしまえ。

 苛立ちに苛まれながら、大寒にまつわる情報が書いてある記事を読み進めていると、ぴたり、指が止まった。

「大寒は、一年でもっとも寒い時期です。日本の最低気温もこの日に観測されています。寒さが苦手なひとには大変かもしれないですね。
 でも、この日を越えれば『立春』はすぐそこ。
 じょじょに春のあたたかな足音が、あなたの耳にも聞こえる日は、じきに近づいていますよ。」

 文章のやさしさに、ほろほろと目からウロコが落ちた。

 厳しい寒さにあっても、ひとのこころを救うのは温情のあたたかさなのだ。
 ワタシは大寒を恨む余り、怒りに身を凍えさせていたのかもしれない。

 まがりなりにも小説家である身。このからっ風が吹きすさぶようなうら寒い世間に、こころ温い空間をつくるのが使命ではないか。

 いや、寒さとは、ひとがいかに温もりに助けられているのかを知るためにこそ、凍えるほどの寒さを施してくる人生の教師かもしれない。

 ワタシは大寒に暖かな敬意を抱きはじめていた。


 本日は、大寒なり。


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